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第15話

 ぶるりと体を震わせ、ネオは会社の窓を見つめる。今日はやたらと寒い。八月も終盤となっているのに、一体どういう事なのか。悴む両手に「はあっ」と息を吹きかけ、熱を生むように両手を擦る。こんな真夏に冬へ逆戻り、なんて予報はなかったはずだけれど。あまりの寒さに忌々しげに外を見つめれば――そこに広がる光景に、ネオは目を見開いた。


「ゆ、雪……?」


 既に夏が過ぎ去ろうという中で、今の季節に通常見ることの無い物が宙を舞う。ついポロリと言葉が零れたのは、仕方がないだろう。

(な、なんで!? 今八月、だったよね……!?)

 一瞬、自分が月日を間違えたのかと思ってパソコンのカレンダーを見るが、記憶に間違いはない。暦的にも真夏である。決して、雪が降るほどの凍える寒さが訪れるなんて事はなかったはず。……まさかこんな天気になるなんて。

 ネオは慌てて近くのエアコン操作機の元へと向い、二十四度で保っていた室温を二十七度まで引き上げた。冷房で更に冷やされていた室内は、既に凍えた社員で溢れている。意識した瞬間から、余計に寒くなってきた気がする。


(冷房の真下じゃなくてよかったぁ)

 冷房が一番当たるであろう場所には、凍えている部長の姿がある。……プライドが邪魔して言えなかったのだろうか。両手を合わせて『南無南無』と呟いていれば、隣の席の先輩が温かいコーヒーを片手に歩いてきた。


「荒木さん、ありがとう~。私も今ね、我慢出来なくってつけようと思ってたのよ~」

「いえ。でも雪だなんて……おかしいですよね」

「そうねえ。どうしちゃったのかしら」


 先輩が長い髪を揺らして、コーヒーを差し出してくれる。素直に受け取りつつ言葉を返せば、先輩は困ったように首を傾げた。どうやら情報通の彼女でも、わからないらしい。

 部署内は外の現象に気づいた瞬間から、もう仕事どころではない。数人は珍しさに写真を撮り始め、数人は社員の一人が付けたニュースに釘付けになっている。

 異常気象だと騒いでいる声が室内に響くのを、ネオはどこか遠くで聞いていた。ニュースキャスターによると、これは関東地方のみの異常気象らしく、しかも雪が降っているのはここ――にしたま市近隣のみだそう。路面凍結注意が、頻繁に呼びかけられている。


「こんなに寒いと温かいものが食べたくなるわねぇ」

「そうですね」

「あ、それなら、おでんとか良くないですか? 隣町の『彦でん』さんのおでん、美味しいんですよ~」

「あら、そうなの?」

「今度行きましょうよ、先輩!」


 後ろで交わされる先輩達の会話を聞きながら、ネオは再度雪の降る外へと視線を向ける。再度見上げた空はやはり曇天空で、暖かい太陽は覆われ、雪が路面に降り積もっていた。

 先輩達の意識がテレビの音声へと向かうのを他所に、ネオは窓の近くへと歩き出した。触れた窓がとてつもなく、冷たい。


 ――〝異常気象〟。

 ……本当に、それだけなのだろうか。この胸騒ぎとも悪寒とも取れる感覚が、ネオの中で渦を巻く。不安感や焦燥感といったものが腹の底から湧き上がり、何だか恐ろしいものに見つめられたように震えてしまいそうだ。――そんな時だった。


 ブー、ブー、とポケットの中でバイブレーションが鳴り出す。自身の携帯をこっそりポケットから取り出せば、『非通知』からの着信だった。出るべきか躊躇っていると、三コールほど鳴った着信は切れ、再び『非通知』が表示される。

(……もしかして急ぎの用事とか?)

 そう考えれば、待たせているのが申し訳なくなってくる。ネオは『応答』をタップすると、恐る恐る耳を傾けた。


「は、はい。荒木です」

『今すぐ外に出てきなさい』


 応答した瞬間飛んでくる指示に、ネオは一瞬理解が出来なかった。二度、三度瞬きを繰り返し、直ぐに聞こえてきた声が覚えのあるものだと気づいた。


「えっ、あ、アイルちゃん?」

『十五秒だけ待ってあげるわ。さっさと降りてきなさい』

「オババですら四十秒は待ってくれたよ!?」


 アイルの横暴さに思わずツッコんでしまえば、大きな声は予想外に大きく響いた。ギロ、と睨んでくる部長に咄嗟に愛想笑いを零し、ネオはそそくさと部署を出る。寒い廊下に出て、再び携帯に耳を傾けた。……が、既に切られた通話は無機質な音を立てるだけで、詳しい事を話してくれる様子は全くなかった。

(そんなぁっ!?)

 何もわからずただ呼び出されただけのネオは、少し考えて観念したように走り出した。彼女は怒らせるととても怖いから。


 出来るだけ音を立てないように廊下を走り、エレベーターのボタンを押す。しかし、先客がいたらしいエレベーターは、ネオの居る所を通り過ぎて、上へと上がっていってしまう。それを見て、ネオはエレベーターを使うのを諦めて階段へと向かった。普段使わない階段を駆け下りてビルの外へと出れば、思ったよりも冷たい風が吹き抜けていた。

 広がる雪景色。その中心で紺色のコートを羽織ったアイルの姿を見たネオは、そちらへと一直線に向かって行った。


「はぁっ、はぁっ……お、お待たせしました……っ」

「遅かったじゃない。十秒遅刻よ」


(お、鬼だ……!)

 辿り着いた瞬間の一言にがっくりと肩を落とす。そもそも、十秒で五階分の階段を降りてくるなんて無理があるだろう。膝に両手を付いて荒い息を整えて居れば、アイルの後ろからひょっこりと見慣れた姿が顔を出した。アイルよりも濃い色をした髪を揺らした彼女――千種の姿に、ネオは瞬きを繰り返す。


「こんにちは、ネオさん。お仕事中なのに、急に呼び出しちゃってすみません……」

「え、ええっと、それはいいんだけど……千種ちゃんも来てたの?」

「はい。アイルさんに呼ばれまして」


 家の電話が鳴った時はビックリしました、と笑う千種に咄嗟にアイルを見れば『何か?』と首を傾げていた。……一体どこで電話番号を知ったのかとか、何で呼び出したのかとか色々聞きたいけれど、何となく聞いたらダメな気がする。コートを羽織っている千種の少し乱れている髪を優しく整えれば、ふわりと肩に暖かいものがかけられた。振り返れば、アイルがネオに自身のコートを羽織らせていた。


「だ、大丈夫だよ、アイルちゃん! コート着てて!」

「アンタに風邪ひかれたら目覚め悪いじゃない。良いから着てなさい」


 パンっと軽く背中を叩かれ、返そうとしてコートを掴んだ手が止まる。コートを脱いだアイルは、いつもと変わらないスーツ姿をしていて、とてもそれだけで十分な防寒をされているようには見えない。しかし、アイルはそんな様子を微塵も見せず、淡々と空を見上げた。


「二人を集めたのは他でもないわ。――この異常気象よ」


 アイルが指を天に向けた事で、二人はつられて天を向く。そこには相変わらず、しんしんと雪を降らせている分厚い雲があり、空の果てまで全て灰色で覆い尽くされていた。その空が更に寒さを呼んできたようで、思わずぶるりと体を震わせてしまう。


「この異常気象が、私たちに関係があるの?」

「……ええ」


 ゆっくりと頷いたアイルに、ネオは顔を戻して彼女の顔を見つめた。気まずそうな、それでいてどこか諦観がチラ見えしている彼女の瞳に、ネオは心の中にあった蟠りが大きくなっていくのを感じた。……何となく、よくない気配がする。けれど、それが何なのかはネオにはまだわからなかった。アイルは視線を少し先に向けると、目を伏せた。


「……恐らくだけど、この異常気象の原因はエアベースの機能不全よ」

「エアベースの?」

「ええ」


 こくりと頷くアイルに、ネオは驚愕する。

 ――エアベース。その施設が何の役割を果たしているのかは理解しているものの、その実態は分かっていない。そんな施設が急に機能不全なんて言われても、ネオには実感はおろか想像すら追いつかなかった。しかし、事実異常気象は起きている。……もし本当にアイルの言う通り、この異常気象がエアベースによるものだというのなら、……その力は周知として言われているよりも、もっと強大で危険なものかもしれない。


「エアベースがこの地球のエネルギーを集めて管理していることは、既に知っているわよね」

「う、うん」

「そのエネルギー源に何かしら影響を与えると、天候が崩れたり、地震が起きたりするのよ。――先日のようにね」

「――!」


 アイルの含みのある言葉は、ネオにとって身に覚えのあるもので。――まさか、あの時から伏線は存在していたとでも言うのだろうか。

 本当にそうだとしたら、この事態はまさに計画的犯行で、なるべくして仕掛けられていたという事。……そんなことが、本当に出来るのだろうか。ネオは恐怖から手を強く握りしめると、確証を得るため、徐ろに問いかけた。


「ねぇ。それってもしかして」

「恐らくね。アグレッサーの力によるものだとアタシ達は考えているわ」

「あぐれっ、さー?」

「マリネシア王国からの、侵略者たちの別称よ」


(マリネシア、おうこく……?)

 馴染みのない国の名前を内心で復唱する。「エアベース内ではそう呼んでいるの」と続けたアイルにネオが感嘆の声を返せば、更に情報が告げられた。


 ――曰く、侵略者……別称、アグレッサー。

 技術力が発展したマリネシア王国の力で造られた、戦闘用のロボットだそう。人が乗って操作できるものから、遠隔操作が可能なものまで、その種類は様々だ。日本と大して変わらない構造をしているらしいが、差があるとすれば明らかに日本国を上回るほどの、資源の量だ。その質もいい。故に、大量生産が可能で、それを武器としているのだと。


 アイルの突拍子もない話に、そんなアニメやゲームのシナリオのような話があるのかと疑ってしまう。とはいえ、ここで嘘を吐く利点が彼女にはない。それにネオは以前、その筆頭であろう兵器と交戦したのだ。嘘だと思う方が、おかしい。戦う際に感じた痛みも、息苦しさも、全てが脳裏に焼き付いている。ネオは無意識に自身の体を抱きしめるように、右手で左腕を引き寄せた。特別、戦うことにトラウマを覚えたわけでもなければ、あの後から調子が悪い訳でもない。……それでもやっぱり、思い出すと体が震えてしまうのはどうしようもなかった。そんなネオの様子を横目で見つつ、アイルは言葉を続ける。


「それと――さっきから本部と連絡が繋がらないの」

「えっ!?」

「通常、こちらに無断で連絡が途切れることはないのだけれど……結構緊急事態みたい。だからアンタ達は、」

「なら、早く助けに行かなくちゃ!」

「そうですね!」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよっ!」


 ネオと千種が飛び出した瞬間、アイルの制止する声が響く。エアベースの方へと走り出そうとした二人はきょとんとしており、その表情にアイルは戸惑う。信じられないと言わんばかりの顔で二人を見つめたアイルに、ネオと千種は更に首を傾げた。


「どうしたの、アイルちゃん?」

「どうかされましたか?」

「どう、って。アンタ達には行く義務はないはずよ。なのに行くって、」

「義務って……」


 アイルの硬い言葉に、ネオは戸惑った。――確かに、ネオ達の抱く気持ちは『義務』なんてそんな大層なものじゃないけれど、それでもアイルの力になりたいと思うのは、自然じゃないのだろうか。それが友人であれば尚の事。それに、アイル自身もあんなに強引に自分達を呼びつけていたし、寧ろ一緒に行こうとしていたのではなかったのだろうか。


「でも、私達を呼んだじゃない?」

「そんなの、万が一アタシが戻らなかった時、この街を守る人材を確保するためで、!」

「ならいいじゃん」

「……はぁ?」

「最初から私達皆で助けた方が早いし、そっちの方が確実に助けられるじゃない?」


 ふふ、と笑みを浮かべるネオに、アイルは何も言うことが出来ず、唖然とするしか無かった。しかしそんなアイルを見ても、ネオは何一つ間違ったことを言ったという自覚はなかった。それどころか、当然とすら思っている。だって、そうなのだ。


「友達の力になりたいって思うのは、当然でしょ?」


 ――彼女が戦う理由は、その為なのだから。

 満面の笑みを浮かべるネオに、アイルは息を飲む。目の前の状況に、どうしても納得が出来なかったのだ。


 ――〝当然だ〟なんて、アイルには考えられなかった。

 自身のことを『友達』と称してくれた事も、彼女が己よりもアイルの心配をしていたことも。アイルにとっては、想定外だった。

(……なんでそんな事が言えるのよ)

 脳裏を過ぎる疑問に、答えてくれる声はない。今の今まで『友達』なんて存在がいなかった彼女にとっては、その存在自体が不気味で……けれど、幼き頃からの憧憬に値するものだったのだ。


『君は我が軍の兵器であり、モルモットなのだ。モルモットに、友人など必要ない』

 ……幼少期、飽きるほど聞いた言葉が脳裏を過ぎる。その言葉通り、アイルは今まで友人など要らないと思っていたし、ネオや千種を仲間だとは思ってはいない。……思っては、いけない。ギリ、と握りしめた手に爪先が食い込む。微かな痛みが走るけれど、アイルは気にすることなく目を閉じた。

(――友達、ね)

 ……なんて甘く、危険な音色なのだろうか。そんな気持ちで戦場に立ってしまえば、軍人として辿る道は分かったようなものだ。

 ――しかし、聡明な彼女は理解していた。真っ直ぐ自身を見つめる二人を言いくるめる術も、自分がしようとしている危険性も、……彼女達の力で勝率が上がることも。全て理解し、その結果もある程度想定出来ていた。そして彼女たちが修行でどの程度力をつけ、どの程度の戦力になるのかも――アイルが一番よく、知っている。だからこそ、断るという選択肢は取ることが出来ない。幼い頃から軍人として育ってきた彼女は、何処までも軍人でしか在れなかった。


「……痛い思いしても、知らないわよ」

「もちろん、覚悟の上だよ」

「私も、出来る限りお力になれるよう、頑張ります!」


 ネオと千種の表情に、アイルは白旗を上げるしかなかった。

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