ふんわりとしたAラインの白いワンピースが、膝下で優しく揺れる。それを追いかけるようにして、首元から真っすぐ裾までのセンターラインを水色と鮮やかな青が彩った。
裾まで広がったラインは膝より下にある裾を、なぞるように移動していく。パッとシャボン玉のように弾けた青い線が風に揺れ、フリルへと姿を変えていった。足元を彩るのは、甘いキャラメル色の編み上げブーツ。首や肩を通り過ぎた水流は千種の頭の上を交差し、彼女の体をなぞるように流れ落ちていく。
水流から姿を現した平らなピルボックスの帽子は、千種の頭上でちょこんと自身の存在を主張をした。正面の面を囲うように青い線が引かれ、左側には金色の小さな飾りが揺れ動き、背後には白いシルクの布が彼女の一つに括った髪と一緒に靡いた。最後に金色の錫杖が彼女の手元でシャラリと音を鳴らして、姿を現す。
初めて身に纏う僧侶のような格好に千種本人ですら感嘆を上げる間もなく、四人は身軽になった体で走っていく。後ろからは相変わらず無機質なエンジン音が、焦りを掻き立てるように迫ってきている。先ほどよりも僅かに近くなった距離に、四人は全力で踏み込んだ。
「上に!」
「は、はい!」
アイルの合図に、全員がコンクリートを全力で蹴り上げる。急上昇する高度に慣れていない千種と我孫子の体が僅かに傾いた。――落ちる。そう感じた瞬間、千種の手をネオが、我孫子の手をアイルが取り、ぐんっと更なる高みへと引き上げた。アイルが二人へ後ろの様子を見るように指示すれば、自然と視線を下へと向ける。既に高度はビルの五階ほどまでに上り、あまりの高さに千種が「ひぇ」と小さく悲鳴を上げた。しかし、高さよりも目に入るのは追いかけてくる多数の敵の姿で。
「ま、まだ追ってきています~っ!」
「アイルちゃん!」
「二手に分かれるわよ!」
「うん!」
叫ばれた指示にネオは左へ、アイルは右へと方向を変えた。突然の方向転換に行動が遅れた何体かは、真っすぐ宙を切り裂いていく。頬を切り裂く勢いに、あのまま飛んでいればいつしか貫かれていたかもしれないと、四人の背中に冷汗が落ちた。
手近な送電塔へと足を付けたアイルと我孫子は、不安定な足場を物ともせず、そのまま勢いよく折り返した。引き抜いた刀と握り込まれたオープンフィンガーが、一気に敵へと襲い掛かる。破壊音が幾重にも響き、時折歪にしゃげた音が混じっていく。空中での戦いに不慣れな我孫子は、持ち前の体幹の良さと有り余るセンスでそれを補っていた。時折電柱やビルの壁に足を付けて、縦横無尽に飛び回る。
「ハァッ!」
我孫子の通り過ぎた軌道を、アイルの斬撃が勢いよく横断する。もちろん合図などない。しかし、圧倒的な力と培った経験に、アイルと我孫子へと向かった機体は無残にも散って行った。苦戦のくの字もなく、殲滅し終えた二人は最初の送電塔へと足を付けると、残りの二人へと思考を巡らせた。――その瞬間。
「ネオさん、前ッ!」
「――!!」
耳に届く悲痛な声に、二人は一斉に振り返った。
跳ねるように左へと飛んだネオは、手近なビルの屋上へと降り立つと、千種を干されたシーツの裏へと隠した。彼らの飛んでいる風で突破されてしまうくらい柔い壁だけれど、少しでも敵の意識が自分のみに集まれば、それでいい。敵との射線上に体を滑り込ませ、大きく息を吸い込んだ。……全身に痛みが走ったのは、恐らく気のせいだろう。脳裏を過る記憶を、吸い込んだ息と一緒に飲み込む。嗚呼、嫌な予感がする。
「わ、私もっ、!」
「大丈夫! 千種ちゃんはそこにいて!」
シーツの薄い壁の奥から顔を覗かせる千種に、ネオは咄嗟に叫び返す。回復型である千種は現時点、攻撃といえるものは一切持っていない。錫杖で殴るくらいは出来るかもしれないが、未知の力を持つ敵に対しての接近戦は分が悪い事くらい、素人でもわかる。つまり、中・遠距離攻撃が出来る自分が戦うしかない。……そう、わかっているのに。
(なんで、震えが止まらないの……っ、!)
カタカタと情けなく震える手がステッキを取り落としそうになり、ネオは慌てて掴み直した。未だ一度も攻撃を受けていないのに、全身が痛みに震える。……幻覚だと理解はしているものの、ネオには止めることが出来なかった。
――嫌な予感は、しっかりと当たってしまったらしい。どうやらそこまででもないと思っていた出来事は、ネオの中に深く根付いていたようだ。痛みを体が思い出すほどに。……今更になって、自分の中に残る恐怖心に気が付いた。
「ネオさん……」
千種の心配するような声は、残念ながらネオの耳には届かない。……全身が重くて、四肢が寒さに悴んでいく。手にするステッキが、まるで自分のものじゃないかのようで、違和感を生む。……ここで委縮してる場合ではない。そうはわかっていても、その背中を押すまでには至らなかった。……『覚悟がある』なんて意気込んだわりに、足手まといになる未来しか見えない現状に、思わず自嘲してしまう。
(しっかりしてよ、私……っ!)
後ろには千種がいて、自分は守れるだけの力を持っている。それを今ここで振るわないで、何時振るえというのか。自分の尊敬するキャラクターの言葉を思い出し、自分を奮い立たせようとし――――けれど、足は、手は。全く動かない。その間にも高い機械音が耳元を掠め、頬に一線の傷が出来る。チリッとした痛みが走り、思考へと落ちそうになった意識が強引に引き戻された。
――けれど、それはどうやら遅かったようで。
「ネオさん、前ッ!」
眼前数十センチメートルまで迫っていた機体の四肢が、ゴンッと顎横を殴りつけた。千種の叫び声が、僅かに耳に残る。けれど、それに反応をする前にぐらりと脳が揺れ、体が吹っ飛んだ。強い衝撃が肩から背中を伝い、全身に響いていく。そこまで来て、自分が幻覚ではない〝本当の攻撃〟を受けたことに気がついた。
「い……ッ、――!?」
数メートル以上吹っ飛んだ身体。痛い、と声を零す前に襲い掛かる攻撃を間一髪で避けた。二歩、三歩と後ろに大きく飛び退いて、ゆっくりと立ち上がる。じんじんと伝わる痛みに、ネオは――――。
「何しているのよ、ネオッ!!」
「ッ!」
霞み始めた思考が、一気に払拭されていく。聞こえてきた声は、ずっと聞きたくて、けれど今まで一度も聞いたことのない言葉を紡いでいた。
(いま、名前……)
――初めてじゃないだろうか。アイルに名前を呼ばれたのは。
恐怖に溢れかけた心が、一気に歓喜に塗りつぶされていく。止まっていた血液が一気に流れていく。冷たかった指先が少しだけ温かくなったような気がして、ネオはステッキを摩り上げた。無機質で別物だと思っていたステッキが手に馴染むような感覚に、笑みすら浮かぶ。
(――そうだ。自分は今、一人じゃないんだ)
あの時と違って、戦っているのは自分ひとりではない。アイルも、千種も、我孫子だって。一緒に戦ってくれている。あの時のように自分一人が、全てを背負っているわけではないのだ。その事実が、どれだけネオにとって嬉しいものだったか。血の通いだした体は力を取り戻し、強く屋上を踏みつける。
もう、震えはどこかへと過ぎ去った。
「――〝百花繚乱・天(てん)雷(らい)乙女(おとめ)椿(つばき)〟!」
空高く叫ばれた声に呼応して、ステッキの先がバチッと音を立てる。大輪の花が種類も様々に、空に咲き誇った。アグレッサー達の灰色の体を包み込むほど大きな花はとてつもなく美しく、意識が一瞬にして奪われてしまう。吸い込まれるように機体が花弁に触れた瞬間、――落雷が機体を撃ち落とした。まるで椿が散る時のように、塊となって容赦なく降り注ぐ電流。帯を引いて振り落ちるそれに、機体は煙を上げてバチバチと不穏な音を立てながら急降下していく。電気が流れ移り、燃え移った機体までもが巻き添えになっている。どうやら成功したようだ。
達成感と安心感が一緒くたになって込み上げてくる。彼女は、自身との勝負に勝ったのだ。ぐっと握り込んだ手が、ガッツポーズを表す。込み上げるのは――とてつもない、歓喜だった。
――『戦える』。
その三文字は、彼女の中にあった僅かな不安をかき消していく。もうあの時の痛みを思い出すことは、きっとないのだろう。
「ね、ネオさん! だ、大丈夫ですか!?」
「千種ちゃ、」
「ちょっと待っててくださいね!」
一掃されたアグレッサーが屋上から地へと落ちていくのを見ながら、ネオは呼びかける千種に振り返った。駆け寄ってきた彼女がネオの頬に手を伸ばす。ピトリと患部に触れた手が冷たくて、気持ちがいい。じんわりと染み渡る暖かい感覚に、ネオはゆっくりと目を閉じた。
「気持ちぃ~」
「気持ちいい、じゃないですよ! 見ているこっちはすっごくハラハラしたんですから!」
「ふふ、ごめんね」
「……もう、あんな事嫌ですからね」
ぶすっと不貞腐れる千種に、思わず笑みが込み上げてくる。年下の子に怒られるなんてそうないけれど、それだけ彼女が心配してくれたのだろう。くすぐったい気持ちを抱えながら治癒を受けていれば、千種の後ろからアイルと我孫子の二人が降り立ったのが見えた。走ってくる二人に手を振れば、呆れたような顔でため息を吐かれた。特にアイルの呆れようは凄いらしく、近くにまで着た彼女に小さく頭を叩かれた。
「敵の前で呆然と突っ立っているなんて、何? アンタ死にたいの?」
「いたっ」
「あ、アイルさんっ、! 一応怪我人ですからっ」
「死ぬよりマシでしょう」
はあ、と大きなため息を吐いたアイルが、治癒の終わった患部を見つめる。しばらくして「大丈夫そうね」と呟いた。自分でも衝撃を受けた場所に触れれば、そこには傷一つなく腫れている様子も全くない。……毎度のことのように千種の治癒能力に驚きつつ、ネオはゆっくりとアイルたちを見つめた。二人は流石というかなんというか、かすり傷一つないようだ。
ネオの安否を確認したアイルは、踵を返すと視線を少し先へと向けた。その先にはエアベースがあり、相変わらず無機質なそこには、頭上に大きな船の影が落ちている。アイルはその施設を一瞥すると、大きく息を吸い込んだ。
「作戦通り、アタシとネオでエアベースの中に侵入するわよ」
「えっ!? 私?!」
「千種は我孫子のサポートを。二人は万が一のために、退路を常に確保していて頂戴」
「了解」
「わかりました!」
「えっ」
ネオの戸惑いも余所に、どんどんと決まっていく作戦。困惑に声を上げようとした寸前、我孫子が先陣を切って屋上から飛び降りた。慌てて追いかけた千種が地面を見下げて、僅かに躊躇い、ゆっくりと飛び降りる。飛べるとはわかっていても、やはり本来の恐怖心がなくなるわけではない。
遠退いていく微かな悲鳴にネオは内心で同情しながら、歩き出すアイルの元へと向かった。飛び出したアイルに続いて、自身も宙を飛ぶ。先ほどとは違う、ゆったりとした風が頬を撫でるのを感じながら下を見れば、すでに戦いは始まっていた。ドンドンと酷い音が響く。そこから少し離れた場所では、バリアを張ってサポート魔法を流している千種がいる。
二人に心配の思いが込み上げるのを感じながら、ネオはアイルの後ろをついて行った。ドーム型の上へと向かった二人は、アイルの開いた非常口として設置されていた隠し通路へと身を隠した。