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第18話

 バンッ、バンッ、バンッ。

 弾く。殴る。蹴る。次々と受ける攻撃を流し、無機物を一撃で確実に破壊していく。耳障りな音を聞きながらも、攻撃を繰り出す手は止めない。止められない。


「我孫子さんっ、大丈夫ですかっ?!」

「うん」


 心配そうに声をかけてくる千種にコクリと頷いて、簡潔に応える。ほっと安心したように胸を撫でおろす彼女に、僅かに向けた視線を敵の方へと戻す。飛び掛かってくる案外脆い体を一突きすれば、吹っ飛ぶ灰色の塊。それを見遣りながら、我孫子は軽く手を振るった。ふぅ、と息を吐くも、敵はどんどんと湧いて出てくる。その様子を黒光りする生物に例えながら、内心ため息を吐いた。


 ――戦う理由なんてものは、我孫子にはなかった。

 幼い頃から体を動かすのが好きで、たくさんのスポーツに触れてきた。ただ――それだけの事。それが少し、高じてしまっただけだ。灰色の機体にドンッと掌底を打ち込み、アグレッサーを吹き飛ばす。徐ろに息を吐き出せば、いつの間にか周囲に転がる屍は三倍の数へと膨れ上がっていた。


「すごい……!」

「……」


 後ろから聞こえる賛辞の声に湧き上がる感情は、特にない。

(……退屈だな)

 物言わぬ屍を何て事のないように踏み越え、周囲を見渡す。このまま地道に戦力を削っていってもいいのだが、もうそろそろ面倒になってきた。


「千種。ボスの場所教えて」

「えっ、は、はいっ!」


 アグレッサーの腕を叩き折りながら、バリアの中でじっと身を潜めていた千種にそう声を掛ければ、戸惑いながらも力強く頷いた。少し嬉しそうな顔をする彼女に首を傾げつつ、上空を見つめる。

(……船に動きは無し)

 それどころか、攻撃してくる気配もない。しかし、伝わる気配はどう考えても通常の人間のものではない。……もしかしたら、あっちの方がもっと楽しいのかもしれない。エアベースの方とどっちが楽しいかはわからないが、それでもこんな紙切れのような手応えの薄い敵ばかりじゃなくて、もっと強くて手応えのある――――。


「〝マーブル・サウンド〟」


 静かに響いた千種の声に、咄嗟に走り出した思考を止めて、我孫子は背後へと視線を向けた。そこにはバリアを解いて耳を澄ませる千種がおり、彼女の無防備な姿に我孫子は更に周囲へと警戒心を張り巡らせた。

(今は、こっちに集中しなければ)

 じっと周囲を見回して、時折死角を狙ったように飛び掛かって来るアグレッサーを叩き落としていく。急所を的確に攻撃し、再起不能になった体をまとめて吹っ飛ばす。


「機械音が集結してる……右の奥、五百メートル付近にいます!」

「了解」


 高らかに宣言した千種の声に、我孫子は思いっきり地面を蹴り飛ばした。引き留める声も聞かず、一気に加速していくスピード。飛び掛かってくるアグレッサーを吹き飛ばし、敵の群の間を突き破っていく。五百メートル先なんてすぐだった。


 伸びてくる四肢を避けて、傾いた体ごと前へと倒れて地面へと手を付ける。そのまま勢いに任せ、体を持ち上げて足を振り上げれば、ガシャンッと耳障りな音が聞こえた。聞こえる破壊音にも振り返ることなく、我孫子は体を捩って更に勢いよく足を振り回す。何体かの四角い首が吹き飛ぶのを感じながら、しばらくしてぐっと腕だけで飛び上がると、既に数メートル先に迫っていたひと際大きな体をした機体の首元へと飛び掛かった。

 まるでゴーレムのような四角を繋げた体をする無機物は、残念ながら接近戦を好む我孫子にとっては、単なる大きな的でしかない。首を羽交い絞めするように足で締め上げれば、反応が鈍るのを感じる。その機会を逃すほど、我孫子はお人好しではない。


「フッ!」


 身体を捻り、首をへし折る。伸びてきた手を避け、でかい図体を足場に飛び上がった。宙に飛んでいる中で両の手を合わせ、手のひらを中心に九十度回転させる。自身の骨が折れないよう支え込むと、落下の速度と共に目の前の敵の顔面へと自身の肘鉄を打ち込んだ。

 ボゴッと嫌な音が響き、次いでジジジ、と何かが焼けるような音が鼓膜を刺激する。どうやら一撃で、敵のシステム部分を破壊する事に成功したらしい。爆発に巻き込まれないよう、再び倒れていく敵を足蹴にし、宙へと舞い上がる。最初は慣れなかった浮遊も、そこそこの低空であれば問題はない。くるくると宙を何回か回転して勢いを殺して着地を決めれば、ふと脳を劈くほどの高い音が鼓膜を叩いた。と、同時に壊れたアグレッサーが爆発を起こした。


「ッ、!」


 爆風が吹き荒れる中――脳みそと頭蓋骨の間を通るような甲高い音が、周囲に響き渡る。

(な、に、これ……っ!?)

 キィーーーン、と響く高い音は次第に頭痛を誘発させ、全身の警戒心を鋭い切っ先で逆撫でしていく。その感覚に心底湧き上がる嫌悪感と、一種の気持ちの悪さが我孫子に襲い掛かった。どうやらこの攻撃は敵には無効なようで、残った残党は意気揚々と飛び掛かって来る。我孫子は必死な思いで敵の猛攻を振り払い、アグレッサーの群から距離を取るのと同時に千種のいた場所へと戻ってきた。

 千種はあの後すぐにバリアを再生成したらしく、薄い膜の中で待機していた。しかし、耳を強化していたことが災いしたのか、蹲る彼女の顔色はどう見てもよろしくない。我孫子は一度バリア内に滑り込むと、ガクリと膝をつく。千種のバリアのお陰で僅かに緩和した音は、今度は形を変え、低いノイズを走らせた。


「ッ、ノイズが……!」

「……ッ」

「い、たいぃ……っ」


 蹲る体を更に丸めて唸る千種に、我孫子は出かけた息を嚙み殺した。地面に倒れてしまいそうなほど蹲る彼女を横目に見て、我孫子は唇を噛み占めると、すうっと大きく息を吸い込んだ。気持ち、少しだけマシになったような気がする視界で、我孫子は周囲を見回した。数は少ないものの、倒し損ねた敵の数々に時折視界を遮られる。それに苛立ちを感じつつも、我孫子は視線を走らせた。――早く。早く見つけなければ。


 ピキッ。


「ぇ、」


 高く響いた音に、思わず声が零れる。小さな小さな声は、誰の耳に届くわけでもなく喧騒にかき消される。だが、僅かに聞こえた音はどう足掻いても気のせいで処理は出来なかった。ピシリ、ピシリと大きく響き始めた音と共に、バリアの膜にヒビが入り始めたのだ。

(……マズい)

 そう察した瞬間、目の前でバリアの膜が砕け散る。降り注ぐ欠片の数々とノイズの下に晒された体が、まるで鉛のように重く、動かない。壁がなくなった事で雪崩れてくる敵の数々に、反撃する余裕すらなかった。はくりと口が動くが、息が吐けているのかすらも自分には全くわからなかった。

(……ああ、でも)

 アイルがヴァルキリーの力を借りている今は身体能力が飛躍していると言っていたし、どうせ当たっても大怪我には――――。


「あ、我孫子さんっ!」


 ドンッ、と予期しない方向から感じる力に、既に脱力していた体は呆気なく倒れ込んだ。頬をスレスレにすり抜けていく光の筋に、僅かに自身の髪が焦げた。はらりと飛んでいく桃色の糸のようなものを見てれば、衝撃に傾いた体が地面に叩きつけられる。咄嗟に受け身を取ったが、少しだけ肘を擦り剝いてしまった。しかし、最小限で収まった痛みにすぐさま体を起こせば、同時に吹っ飛ぶ――千種の体。


「ッ、!」


 側頭部を強かに殴り飛ばされた千種が、軽々と宙を舞う。飛び散った『紅』に、我孫子は息を飲んだ。ゾッと背中を這い上がった真っ黒な焦燥感に、我孫子は無意識に走り出した。

 地面と千種の間に滑り込み、間一髪でその体を受け止める。どっと感じる人間の重み。腕の中の千種の様子を見れば、幸い意識は失っていなかったようで、千種の小さく呻く声が聞こえた。ゆっくり、こちらへとエメラルドの瞳が向けられる。額を切ったのか、白い肌に紅い血が流れており、その痛みに綺麗な瞳が僅かに歪んでいた。


「あ、ありがとうございます、我孫子さん」

「喋らないで。頭、打ってる」

「そう、なんですか? ふふっ、案外人間、丈夫なんですね」


 柔らかく笑みを浮かべる彼女に、我孫子は出かけた言葉を紡ごうとして、音にすることなく飲み込んだ。その代わり、訪れたのは盛大な呆れにも似た感情だったが。千種の震える手をぎゅっと握って、我孫子は俯いた。

(……庇う事なんて、しなくてよかったのに)

 ――自分は丈夫で、彼女なんかよりも戦い慣れている。助ける必要性なんてなかった。ましてや身代わりになる必要は、もっとなかったのだ。今も流れてくるノイズをかき消すほどの思考が、ぐるぐると脳内を回っていく。答えの出ない問いかけは我孫子の思考回路を回り回って、――弾けた。


 千種から手を放して、ゆらりと立ち上がる。千種が「ひぇっ」と小さくも情けない声を上げるが、それに反応することもなく我孫子は大きく息を吸い込む。空気が腹の中に溜まり、力へと姿を変えていく。

 ゆっくりした……けれど、どこか洗練された動きで大きく一歩足を引いて、同じ方向の手を前に突き出す。胸を開き、腰を安定させ、意識を集中させた。――我孫子の思考には、既に問いかけなんてものは残っていなかった。それどころか、邪念ひと欠片すらも持つ事を許さないとばかりに、表情から、心臓から、体内から。感情を削ぎ落とし、目の前の敵だけを見据える。その気配は、どんな敵でも触れれば一瞬にして無に帰してしまうような錯覚を覚えるほど。

 そんな我孫子は、残念ながら答えを出したわけではない。考える事をやめただけなのだ。人と接することが少なく、更に人の機敏に疎い彼女は存外――脳筋であった。


 彼女を中心に、つむじ風が舞い上がる。我孫子に向かうようにして集まった風は、次第に彼女の拳を纏い、全身を覆うように高さを生み出した。


「――『ジェノサイド・ディス・サティスファイド』」


 込み上げてくる力に、自然と口を突いた言葉。その意味を考える前に、我孫子の風を纏った拳は――敵の顔面へとめり込んでいた。刹那、目にも止まらない速さで我孫子の乱打が繰り広げられていく。殴打、殴打、蹴り、殴打、掌底、手刀。その全てが敵の急所にクリーンヒットしていく。纏われた風が的確に攻撃範囲を抉り、アグレッサーの塗装を剥がし、鉄板を藻屑へと導く。それを見て勝ち目を失った残党が退却し始めるのも余所に、我孫子は鋭く追い打ちをかけていく。まるで獰猛な獣のような攻撃の嵐に、千種はひくりと頬を引き攣らせたが、彼女の反応は我孫子の視界にすら入っていなかった。


 最後の敵を膝で真っ二つにした我孫子は、どさりと落ちる物言わぬ無機物を見下ろして、残った力の残骸を吐き出すように一つ深呼吸をした。割れたスピーカーの形をした部品を踏みつければ、響いていたノイズがゆっくりと姿を消していく。周囲を見渡してもう何もいないことを確認した彼女は、先程の獰猛さを一切見せる事なく静かに振り返った。

 千種の待つ場所へと足を進めれば、起き上がろうとしていた千種が心配そうに視線を寄越す。


「あ、我孫子さん……っ、大丈夫、ですか……!?」

「喋らないで。僕は……大丈夫だから」

「よ、かった……」


 千種の背に手を差し込み、起き上がるのを手伝う。心配そうな表情をする彼女に何となく居心地の悪さを感じていれば、華奢な白い手が差し出された。少し荒れた手に首を傾げれば、優しく腕に触れてきた。僅かに薄い緑色の膜が広がり、温かいものが流れ込んでくる。

(……人に使う前に自分に使えばいいものを)

 そう思って彼女の手を避けようとして――――状況は一変。興奮した様子の千種が、一気にその距離を詰めてきた。


「さっきの連打、凄かったです! 特に最後は的確に全ての急所を突いていて……あ~私もやってみたいなぁ。あの、我孫子さんはその戦い方、どこで覚えたんですか?」

「……家、で」

「家!? もしかしてお家の皆さん、戦闘民族とか……あっ、もしかして人知れず特訓とかした事ありません!? 山奥の師匠に稽古をつけてもらったとか……。あ、悪魔との契約なんてしてたりします!?」

「…………してない」


 若干不安になって来る目の前の人物の言い分に、我孫子は一歩、二歩と後ろへと下がった。

(悪魔との契約って……)

 そんなファンタジーな事、起きるなら是非とも受けたいけれど。かといって、それが現実に存在するとは思ってはいない。千種の勢いの良さを浴びるのは、ネオと初めて店で話した時以来だ。元々押しが強い人だったけど、きらきらとした好奇心旺盛な瞳は自分とは真逆で、少しだけ扱いに困ってしまう。

 出来るだけ彼女に気づかれないようにと少しずつ距離を取っていれば、意気揚々としていた表情がどんどんしぼんでいく。それに合わせて上がっていた肩も、ゆっくりと下がっていって……え。


「いいなぁ~、私も攻撃魔法とか欲しいです……」


(急にネガティブ)

 しょんぼりと肩を落とす彼女に、我孫子は頬が引き攣るのを感じた。……確かに彼女は攻撃力はないが、その分誰も出来ないサポートが出来る。それだけでチームとしては有難いものだろう。さっきだって、彼女のバリアと回復力があってこそ暴れられたようなものだ。

 この前助っ人として入った新体操部にもマネージャーは居たし、その存在を選手は有難がっていた……気がする。世話になった事は終ぞなかったけれど。垣間見た応急処置も的確だったし、きっと千種の存在というのはそういうものなのだろう。とはいえ、それを上手く伝える術なんて、我孫子には全く思いつかなかった。


(……どうしよう)

 この際、放っておいてもいいだろうか。どうせあの二人が帰ってきたらどうにかなるだろうし、その時にでも話して解決すればいい。……そもそも、自分と千種は単なる顔見知り程度なのだ。彼女の悩む気持ちを聞いてどう処理すればいいかなんて見当もつかないし、正直自分がその悩みを理解できる気はしない。……万一出来たとして、戦える自分が言葉をかけるのは、お門違いというものだろう。我孫子は開きかけた口をゆっくりと噤み、視線を下げた。沈黙が降り注ぐ中――不意に感じた気配に、勢いよく上空へと視線を投げた。


「来るッ!」


 ――ドォンッ!

 我孫子の声をかき消すほどの轟音が響き渡り、振動が地面を、空気を揺るがす。二人の前に現れたのは、今までの敵とは比べ物にならないほど巨大な体を持つ――アグレッサーの姿だった。


「う、嘘でしょ……」


 頭上を陣取る赤と黒の機体に、千種が声を零す。その横で、我孫子が一つ息を飲んだ。――この人、強い。そう、我孫子の直感が告げる。恐怖と驚愕に溢れた千種の声は、嫌に静まり返った空気に虚しく響いた。……どうやら心を落ち着けるのは、まだ早いらしい。

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