千種・我孫子と別れてエアベースの中へと侵入した二人は、廊下を巡回するアグレッサー達を片っ端から戦闘不能へと追いやっていた。
「――『花吹雪』!」
「――『ラムバス キャノン』!」
二人の技が交差し、次々にアグレッサーの群が地に伏していく。自分たちの攻撃は彼らにとってはかなり致命的なものらしく、特にネオの魔法は効果が抜群であった。ここぞとばかりにステッキを振り回し、時折目の前を掠める刀の切っ先に慄きながらも、窓もない真っ白な廊下を走り抜けた。どこまでも人工的な光が差す空間は、少しばかり不気味に思えて仕方がない。
(なんか、どこかの収容所みたい)
アニメとかゲームなんかである、犯罪者を閉じ込める部屋。よく物語の中では脱走劇なんかが繰り広げられているが、現実ではそんなことはない。ただただ機械が動く音とそれを破壊する音、そして自分たちの立てる足音と呼吸音くらいしか聞こえない。……こんな所に一日中いたら、狂っちゃいそうだ。無音の中で人は生きられないという話を思い出し、ネオはぞっとする。戦いの最中にそんな事を考えてしまうくらい、この施設内は外界と綺麗に遮断されていた。
時折、地図のようなものが壁に飾ってあるが、それを見ている余裕もなく駆け抜ける。ここ数か月でついた体力は、施設内を走っても息すら上がらない。そのことに感動を覚えつつ、迷いもなく走るアイルにネオは心配そうに問いかけた。
「ねぇ、アイルちゃん! 地図とか見てないけど、道とかわかるの!?」
「当り前でしょ。アタシはここの人間よ」
「あっ、そっか」
アイルの言葉に、そういえばと思い出す。
――そうだった。ここはアイルの仕事場であり、帰る場所でもあるのだ。そんな彼女の場所を守るために、自分は覚悟を決めてここに来たと言っても過言ではない。……そう思うと、何もない空間も少しだけ感慨深い気分になってくる。……気分になってくるだけで、やはり何もない真っ白なそこは、ネオには受け付けられなかった。せめて窓が欲しい。廊下を突き抜け、階段を下る。右に曲がったかと思えばそのまま再び廊下を駆け抜け、反対側に設置された階段を下りていく。まるで互い違いに設置された迷路のような通路に、ネオは目が回りそうな気分でアイルの後ろを追っていく。……何で通常のビルのように、同じ場所に連続して階段を作らなかったのだろう。一々上がる度、面倒ではないのだろうか。
エレベーターはあるらしいが、不幸なことに現在この施設の電子機器は全て緊急停止しているらしい。その為、エレベーターはもちろん、空調だって利いていない。下を這いまわる冷気にぶるりと体を震わせながら、二人は必死に足を動かした。
「ね、ねえ! なんで此処、こんなに回りくどいの!?」
「軍基地だからよ」
「も、もしかして日常生活でもトレーニングを」
「違うわ」
バッサリと切られる自分の予測に、思わず肩を落としてしまう。……まあ、逆に正解だったらそれはそれでストイックだなあ、と気になってしまうのだけれど。アイルの刀に切られた機体に躓かないように大げさに足を上げて、避ける。少し開いた距離を詰めて、彼女の横顔を見つめれば、大きくため息を吐かれた。……無知でごめんね。
「建物の互い違いに階段があると、こうして侵入者が来ても多少の足止めになるでしょう?」
「あっ、そっか。お偉いさんがいるのって上階の方だもんね」
「ええ。安易に登れない階段に、真っすぐな廊下。両方とも侵入者からすればバレやすくて、迎え撃つ方は侵入者を見つけやすい利点があるのよ。エレベーターは軌道が一直線だから、使ったら確実にハチの巣にできるわ」
「ひぇっ!」
物騒な言葉に、つい悲鳴を上げてしまう。……まさか日常で〝ハチの巣〟なんて言葉を聞くことがあるなんて。
今までいた自分の世界とのギャップに心底怯えを感じながらも、ネオは止まることはない。そんな彼女を見て、アイルは少しだけ安堵に胸を撫で下ろした。
階層すらも書いていない階段を下り、飛び出してきたアグレッサー達を打ちのめす。――アイルの話を聞く限り、最上階にあるのは防御システムと迎撃システムのみらしく、エネルギーが貯蓄されている最深部は地下にあるらしい。自分達が侵入したのは最上階から半階分下だそうで、そこは基本的にシステム管理者のみしか立ち入りが出来ないのだとか。通常は赤外線や監視カメラからのトラップが仕掛けてあるらしいが、侵入した現時点でそれは作動していなかった。……恐らくトラップ系は既にハッキングされているのだろう、というのはアイルの弁。
勿論、目指す最深部には独立したトラップがあるらしいが、それが作動しているかはわからない。……つまり、そのセキュリティが破壊されていないかを確認しながら、異常気象の原因を確認、除去するのが自分達の任務である。
階を下がっていくたび、どんどんと増えていく敵と下がる気温に、ネオは目まぐるしく視線を回していく。時々アイルに助けられながらも、寒さでかじかむ体を動かしては、数えきれないほどの敵を倒してきた。――……もう何階分降りてきただろうか。窓がないと、現在地がどれだけの高さかもわからない。そんな所に不便を感じながらも、二人は次々階層を降りていく。ぐるぐる回っていてもう目が回りそうだと思った、――その時。不意に変わった空気にネオは顔を上げた。今までの階よりも少しだけ、外の空気と混じり合っているような、そんな感覚が肌を撫でたのだ。恐らくここが、エアベースの一階になるのだろう。
「この先は地下よ」
「やっと……!」
「行くわよ」
アイルの言葉にここが一階である事と、目的地が近い事を悟る。こくりと頷き、緊張に委縮していた肺に大きく息を取り込んだ。やはり開放感があるというのは素晴らしい。閉じられた他の階よりも外との接点が多くあるというだけで、こんなにも息苦しさがなくなるとは。……凄い寒くて、鼻も喉も痛いのは変わらないけれど。
二人は一際長い廊下を走り、とある一室へと入っていく。慌ててアイルの背中を追いかけて室内へと足を踏み入れれば、アイルは周囲を見渡すと地面に手を置き、何事かを呟いた。すると、瞬く間に鮮やかな赤い線が地面に文様を描き、僅かな振動と共にゆっくりとタイルが動き出した。目の前の壮大なギミックに、ネオは目を見開く。
「す、すごい……っ!」
「地下への入り口よ。決められた人間しか開けられないわ。ここから地下に行くの」
「へ、へえ」
「手の認証と合言葉、それと声帯認証があるから、敵もそう簡単には入れていないはず。問題はないと思うけど……一応警戒はしておきなさいよ」
「う、うん。わかった」
階段へと足を踏み入れたアイルに頷きつつ、恐る恐る自分も足を踏み出す。埃っぽさも籠った空気も感じられない空間に、少し不思議な感覚を覚えながらも狭い階段を下がっていく。幅は、女性二人がギリギリ横に並んで歩ける程度。男性だと並んで歩くのは難しいかもしれない。足元を照らす人工の電灯は感知センサーでも付いているのだろう。進むのに合わせて次々と足元を照らしていくそれに、まるで別世界に来たような気分になる。
(映画館とか、ライブ会場?)
まるで自分が主人公にでもなったような感覚を抱えながら、出来るだけ早足で中心部へと向かう。先程アイルが言った通り、流石にここまでは来れなかったのか、アグレッサーの姿は一つも見えない。――けれど、アイルはそうは感じなかったようで。
「……おかしいわね」
小さく呟かれた声に、ネオは首を傾げる。その様子をアイルが一瞥すると、踏み出した足で軽く地面を蹴った。その場をぴょんと軽い足取りで飛んだ彼女に、再び疑問が湧き上がる。……突然どうしたのだろう。
「そこ。踏まない方がいいわよ」
「ぇ、ぅわぁッ!?」
振り返ったアイルの言葉を聞き返す前に、ガクンと体が前のめりになる。足元に何かが引っ掛かったような感覚がし、慌てて壁に手を付けばカチリと軽快な音が聞こえる。――と、こめかみを目掛けて突き出してきた銀色の凶器に、咄嗟に身を捩った。眼前すれすれを通り過ぎていく、銀色の刃。殺傷能力の高いそれに、ネオは悲鳴すら上げることが出来なかった。
「トラップが仕掛けてあるわ」
「先に言ってぇっ!?」
「警戒しておきなさいって言ったじゃない」
「そ、そうだけどさぁ~っ」
(まさかこんな罠が仕掛けられてるなんて、思わないじゃない!)
軽い調子で言われた指摘にネオは思わず声を荒げる。もう少しで首に食い込んでいたであろう刃物を見つめながら、恐る恐る二歩ほど下がった。十分な距離が取れたことにほっと息を吐けば、カタンと小さな音が聞こえ、ゆっくりと刃物が壁に吸い込まれていく。
……心配事の一つであったトラップが作動している事に安堵する反面、まるで忍者でも潜んでいるんじゃないかと思ってしまう仕組みに、頭を抱えたくなってしまう。幸い、餌食にならなかったものの、もし刺さっていたらどうなっていたのか。――想像もしたくない。足元を見れば、小さなスイッチが先ほど足を下ろした場所にあったのを見つけて、これが原因かと思い至る。……もしかして、この先もこんなものが続いているのだろうか。
(……え、難しくない?)
先の事が一瞬頭を過り、ネオはだんだん胃が痛くなってきた。
「も、もう少し早く、お願いします……」
「……わかったわ」
頷くアイルに、安心する。……呆れられたような気がしたが、きっと気のせいだろう。アイルのアドバイスを受けつつ、慎重に足を進めていく。しかし、当然のことながら深淵へと向かうにつれてトラップの数は増えていく。折角避けたと思った先には、更なる罠がネオの命を掠めていくのはもうデフォルトのようなものだった。何よりも一番恐ろしかったのは、踏み出した足元が一瞬にして空洞になった時だ。垣間見えたキラリと光る銀色の先端に、悲鳴を上げなかっただけ褒めてほしいくらいだ。元々暗くて足元が見づらいのに、そんなギミックがしかけられているなんて……。もし気づくのが少しでも遅れていたら、きっと今頃針山の餌食になっていただろう。
そんな容赦のない罠の数々に、ネオは自分の命を取られないように緊張感を引き上げつつ、最後の階段を降り切った。はっ、と息を吐き出して周囲を見渡す。――そこには横にも縦にも、想像以上に広い空間が広がっていた。
「ほわあ……」
(なんて、いうか……)
「……天井、貫かれてない?」
「そうね」
ぼっかりと開いた天井とその淵からボロボロと落ちる瓦礫の数々に、ネオは口角を引き攣らせるしかなかった。……どう見ても元来のデザインではない。意図的に壊されたであろう天井は吹き抜けになっており、地上階のどこかの部屋が僅かに見て取れる。どこかの管理室だろうか。黒い何かが地面に広がっているようにも見えるが、案外遠くてよく見えない。しかし、その部屋には真っ暗な画面を映し出すコンピュータが複数見え、そのどれもがどこかしら破損していた。まるでそこで何か争いが起きたかのような――。
「っ、避けて!」
「きゃぁっ!?」
上空をずっと眺めていれば、唐突にぐっと傾く自身の体。アイルに庇われながらも、床に体が打ち付けられる。痛みが脳に信号を送り、次いで何が起きたのかと疑問が浮かぶ。咄嗟に視線を巡らせるが――それを理解する前にアイルの腕が腹部に回り、体が持ち上げられた。「えっ」と素っ頓狂な声を上げれば、目の前スレスレを通り過ぎていく紫色の〝ナニカ〟。掠めた空気が全身を撫でて、ひくりと口元が引き攣る。……人間、本当に驚くと声すら出ないらしい。
何が起きたのかも理解できない中で感じ取れたのは、鼻腔を擽る――覚えのある香り。
(この匂いは――!)
「あらぁ。随分冴えない子がいると思ったら、お久しぶりねぇ」
聞こえてきた聞き覚えのある声に、ネオはハッとして振り返る。――縁というのは随分複雑で、どこまでも単純な物らしい。見上げた先に広がる紫色に赤と白のラインを持った機体が、いつかの日と一緒の姿でそこに立っているのを目にして、ネオは息を飲んだ。ゆっくりと床から引き抜いた腕が機体に絡みつき、腕を組む。しなやかな線を作り上げるそれに、ネオは件の女性――ラズティーヌ・サーガの存在を思い出した。
「あ、あれ!」
「……もしかして、コレがあの時の?」
「う、うん。間違いないよ」
アイルの問いかけに、コクコクと何度もネオが頷く。その様子にアイルは彼女を抱えたままもう一度高く飛躍すると、足を止めた。敵を見据えたままのアイルの手が緩み、ネオが足を地面につければ解放される体。「ありがとう」と小さくお礼を告げれば、形のいい唇が「別に構わないわ」と告げる。相変わらず素っ気ない返しに苦笑いしながらも、ネオはアイルの隣になって敵を見上げた。
――以前、我孫子にへし折られた腕は既に修理済みのようで、綻びのようなものは一つも見えない。関節部分も少し補強しているのか、以前と僅かにデザインが違うようにも思える。一度見ただけだから詳しい事はわからないものの、そう検討を付けたネオはステッキを構えた。表情のない顔が徐ろにこちらを見つめ、クスリと笑みを漏らしたかのように動き出す。
「あらぁ? 貴女、その子の新しいお友達ぃ?」
「友達じゃないわ」
「えっ」
「……」
「……」
「……友達よ」
「へぇ、そうなのぉ」
真顔で返したアイルの横顔に涙目だった視界が、パァッ、と華やぐ。
(そ、そうだよね……!)
よかった。友達だと思っていたのが自分だけだったら、どうしようかと思ってしまった。競り上がる歓喜の気持ちにムフフ、と込み上げる笑みをかみ殺していれば、サーガがこちらを一瞥したように感じた。その視線が何とも言えない色を持ちつつ、ネオを見て……静かにアイルへと向けられる。
「ふぅん……。まあ、類は友を呼ぶっていうものねぇ。お芋さん同士――お似合いだと思うわよぉ」
フフフ、と笑みを浮かべるサーガ。……何故だろうか。
(今、物凄く貶されたような気がするんだけど)
彼女の間延びした話し声に悪寒を覚え、ネオは不快気にサーガを睨みつけた。どこまでも上から目線の彼女に、苛立ちが込み上げてくる。――大体、どれだけ自分のポテンシャルが良いと言っても人を見下す人間は、どんな人間でも好ましくないものだ。もちろん、相手が地球外生命体であろうと須らく適応されるわけで。――しかし、それを感じているのは、どうやらネオだけではなかったらしい。
「……ちょっと。それ、どういう意味かしら」