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第2話「戦奴隷エーハ」

 山を越え、広大な麦畑が見える森の端で夜を明かした。そろそろ手持ちの食料が心細くなってきた、木立を透かして遠くに見える明かりはたぶん町だ。明日中にはたどり着けそうだ。

「お前、どうして戦奴隷になったんだ?」

 農場で使われる奴隷と違って戦奴隷は生まれたときから戦い方を叩き込まれるか、最初からそれなりの技術を持った人間が何かの事情で奴隷化させられる。そのどちらかだ。

「覚えてない」

 あぶった干し肉を噛みながらエーハが答えた。

「どこの生まれだ? エーハなんて名前以外の、何か覚えてないのか?」

 エーハは小さく首を振った。やはり腕輪に込められた呪に縛られて、一切の記憶を封じられているのだろうか。

「あんたは、どうして傭兵になったの?」

 エーハが聞いた。

「産まれた村が、俺がガキだった頃に盗賊に襲われて、俺以外……俺と、旅の職人を除いて。みんな殺された」

 エーハの目に、ほんの少し何かの感情が浮かんだように見えた。

「その職人ってのが、竜神だった」

「竜神って……本当にいたの?」

「俺が見たし、盗賊は全部竜神に氷漬けにされた」

「氷?」

「その竜神が吐いた息で、火まで凍ったんだ」

 エーハが信じたのかどうかわからなかったが、俺は勝手に先を続けた。

「竜になった職人が俺の目の前で人の姿に戻って、一緒に来るかって聞いた……みんな死んじまったし家も焼けたし、付いていくしかなかった。その人は俺をカバラール傭兵団に引き渡した。そこで便所掘りから始まってメシ作りをやらされて、結局兵士になった」

「まだ、傭兵なの?」

「契約更新の期間に、希望すればまとめて休暇を取れる。それで、俺を助けてくれた竜神がどこにいるのか探してみる気になった」

「竜神って……何か手がかりあるの?」

「名前だけだな。その竜神は、マーヘルトードって名乗った」

 翌朝は明るくなるのと同時に歩き始め、夜の間に見えた明かりの方向を頼りに歩き続けて陽のある内に街にたどり着いた。頑丈な街門にはメルクリウス商団連合の旗が吊り下げられている。

「都合が良いぞ、ここなら教団の奴らは好き勝手できない」

 私は後ろに付き従う格好になっているエーハに言った。

「どうして?」

「いまのガイア教団の主流派は竜神崇拝を否定している、でもメルクリウスはいまだに竜神信仰が強い。もしこの町に教団の人間が入ってきたら、まず竜神を信仰するかどうかを問いただされる」

 街門の傍には竜神のレリーフが彫り込まれた石碑があり、手を当てる場所だけが磨り減っている。私もエーハもそこに手を置き、祈りを捧げた。

 門番に聞くと、この街はグルグというそうだ。手近の食堂に入り、茶と食事を注文した。

「お前、これからどうする気だ?」

 香草が強くやけに甘い茶をすすりながら私はエーハに聞いてみた。エーハは何か落ち着かない様子で、しきりに店の中を気にしている。

すくむような店じゃないぞ」

 酒場と小さな宿を兼ねた、それほど大きくもない食堂だ。それでも戦奴にとっては居心地が悪いのか。

「食堂にも入ったことないのか?」

 私が小声でそう聞くと、やはりエーハはおずおずと頷いた。店の中には、私たち以外に隅のテーブルに男が一人いるだけだった。着ている物からすると、どうやら宗教関係者らしい。

「不審に思われるから、あまりそわそわするな」

 二人で相談し、旅の剣士とその従者を装うことにしたのだ。エーハが奴隷の身だと知られたら金を持っていたところで宿には泊まれないし、街に入れてもらえるかどうかも怪しい。

 そこで私はふと気になった。何気なくエーハを同じテーブルに着かせたが、普段から従者を連れ歩くような剣士はこんな場合どうするのか。

 私はずっと傭兵家業で、当然従者なんて持ったことがないのでエーハをどう扱えばいいのかわからない。

「これから……どこ行くの?」

 エーハが木のカップを両手で抱えるようにしながら小声で言った。

「竜神のいた痕跡を探し歩く、それくらいしか思いつかない」

「痕跡って……どこにあるの?」

「それを聞いて回るんだ。まだ埋もれて消えるほど年月は経ってない、誰かが何かを覚えているはずだ」

「人を……探してる」

 エーハがぼそっと言った。

「お前がか? 誰を?」

「え?」

「人を探してると、言ったぞ」

「あたし? そんなこと、言った?」

 エーハは、とぼけている雰囲気ではなかった。

「いや……もういい」

 捜しているのはエーハの自身の意思ではなく、間違いなくエーハを使っている誰かだ。いまエーハが言葉を漏らしたのは、その呪が緩んできたのかも知れない。

 メシがきた、干した肉を戻してほぐし、雑穀の粉と練り合わせて焼いたものだ。それに豆のシチューがかかっている。それに発酵させていない薄いパン。内陸はどこへ行ってもメシはこんなだ。

 それを運んできたのはまだ子供に見える女の子だったが、どうやら普通の人間ではないらしい。白っぽい長い金色の髪、そこから奇妙な形の長い耳がはみ出している。人間と何かの合いの子だろう。

「お前のだ」

 その少女と、目の前に置かれた料理に困惑しているエーハに向かって私は言った。

「あたし……こんな、お金、持ってないよ」

「ここまで案内してもらった、だからメシぐらい食わせてやる」

 エーハの手引きがなければ、今でもまだ追っ手から逃げ回っていたかも知れないのだ。心地悪そうにフォークを使うエーハを横目に見ながら、私は食堂の主人に道を聞いた。

 私たちが逃げてきたガイアの領地を除いて西へはまる1日でヤンヤークルス。南へは途中に村はあるが宿はなく、3日かかるがメルクリウス政都のマデルクロスに付くそうだ。

「どっちかの街に、竜の宮があるか?」

 どちらへ向かうべきか決めかねて、私は主人に聞いてみた。

「さて……」

 主人は少し考えてから店の奥に向かって声をかけた。

「おい。竜の宮があったのって、どこだっけ?」

「ヤンヤールクスの郊外。ここから西へ、一日半ですよ」

 声は客席の奥にあるテーブルから聞えた。神官のようなローブをまとった男が答えたのだ。

「ただ……街にダーマ(竜神信仰)の人間は残っているでしょうが、竜の宮神殿に人がいるかどうか。それより、神殿そのものが残っているかもわかりませんよ」

 どことなく薄気味の悪さを感じさせる神官だった。それよりも竜の宮の場所を知っていると言うことは、ガイア教団では非主流派だ。

 最近になって主流派は竜神信仰を完全に切り捨てる方針を固めたようで、非主流派は排斥どころか異端視されはじめていると聞いた。

 私は礼を言って、それきり薄気味の悪い神官のことは頭から追い払った。たぶん関わり合いにならない方が良い。

 気がつくとさっきの女の子がエーハに何か話しかけていた。エーハのような若い女の旅姿が珍しいのだろう。主人に怒られるとどこかへ行くが、またすぐ戻って来てエーハの傍にいる。エーハが困惑しながら受け答えしているのがおかしかった。

 明日の早朝にここを発つことにして、私とエーハは食堂の主人に頼んで部屋を借りることにした。この町には宿屋もあるが、食堂の貸部屋の倍以上取られるそうだ。

 それでも従者の部屋を別に取ったりベッドを使わせることなどあり得ないので、エーハは床でマントに包まって眠ることになった。それでも家の中であるだけ贅沢らしい。


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