田中教授が村を去ってから三年が経った。
祠は再び平穏を取り戻し、村人たちは日常に戻っていた。
しかし、封印された男性の意識の中では、恐ろしい変化が起こっていた。
長い間失われていた記憶が、少しずつ戻り始めたのだ。
最初はぼんやりとした断片だった。
祠を壊す前の日々。村での平穏な生活。そして、決定的なことに気づいた。
私は祠を「誤って」壊したのではなかった。
記憶が鮮明に蘇ってきた。
あの日、迷子になった子猫を探していた。思えば、私の猫は村人によって攫われていたのだろう。
そして、偽の目撃証言を流し、私が祠の方に探しに行くよう仕向けられたのだ。
祠の前で足を滑らせたのは事故ではなかったように思えてきた。
思い出した。
見えない手が私を引っ張り、祠に激突させたのだ。
そして、祠が崩れ落ちた瞬間に聞こえた声を思い出した。
それは邪悪な存在の声ではなく、村の古老たちの声だった。
「計画通り」
「新しい番人が決まったな」
「これで村は安泰だ」
私は戦慄した。祠を壊したのは偶然ではなく、村人たちの仕組んだ罠だったのだ。
封印の中で、私はさらに深い真実に直面した。
三百年前に封印された「邪悪な存在」など、最初から存在しなかったのだ。
祠の中で私と共にいるのは、歴代の「番人」たちの魂だった。
江戸時代から現代まで、十数人の男女が同じように騙され、利用され、封印されてきたのだ。
彼らの意識が私に語りかけてきた。
「お前も騙されたのか」
最も古い意識が私に告げた。
「私は田んぼに毒を撒いたと濡れ衣を着せられ、この祠に封印された」
「私は商人だった」
別の意識が続いた。
「村の娘を拐かしたという濡れ衣で」
「私は教師だった。村の子供たちに危険思想を教えたなどとでっち上げられた」
一人、また一人と、歴代の「番人」たちが自分の体験を語っていった。
全員が村人たちによって陥れられ、罪を着せられ、最終的には「村を守るため」という大義名分の下に祠に封印された者たちであった。
村人たちが恐れていたのは邪悪な存在ではない。
彼らが恐れていたのは、村の秘密を知る可能性のある「よそ者」であったのだ。
封印の中で、私は村の真の歴史を知ることとなった。
この村は三百年前から、一つの恐ろしい秘密を隠し続けてきた。
村の創始者たちは、ある禁忌の儀式を行っていた。
人間を生贄として捧げることで、村に永続的な繁栄をもたらす儀式だった。
しかし、時代が変わり、直接的な殺人は困難になった。
そこで彼らが利用していたのが、祠への封印という因習だった。
定期的に「異分子」を選び出し、何らかの罪を着せて社会的に抹殺する。
そして最終的には祠に封印し、その人間の生命力と意識を村の繁栄のために利用する。
外部には「村を守る英雄的な犠牲」として美化された物語を流布する。
私が「祠を壊した罪人」とされたのも、この因習の一部だったのだ。
村人たちは、よそ者である私を次の「番人」として選んでいたのだ。
真実を知った私は、激しい怒りに燃えた。
村人たちへの復讐心が胸を焦がした。
しかし、祠の封印は私の感情さえもコントロールしていたのだった。
怒りが頂点に達すると、封印の力が私の意識を押さえつけ、「村を守らなければならない」という強制的な使命感に意識が支配されるのである。
つまり、私は自分の意志に反して、村の平和を願わされていたのだった。
大学教授らしい研究者がやってきたときも、私は意に反して語りかけていたように思う。
歴代の「番人」たちも同じ苦しみを味わってきた。
彼らは皆、真実を知りながらも、封印の力によって村を守ることを強要され続けてきたのである。
「抵抗は無駄だった」
最初の番人が私に告げた。
「私たちは何度も試みた。しかし、祠の力は絶対だ。我々は永遠に村の奴隷となるしかない。そういう運命だったのだ」
私は必死に封印を破ろうとした。
しかし、封印を破ろうとするたびに、村に災いが降りかかるように設計されていた。
私が抵抗すれば、村の子供たちが病気になり、作物が枯れ、災害が起こる。
結果として、私は村人たちを憎みながらも、彼らを守ることを強要されていた。
そして、それに合わせるように自身の意識が書き直されていくのだ。
これほど残酷な呪いがあるだろうか。
ある日、私は恐ろしい計画が進行していることを知った。
村人たちは新しい「よそ者」を見つけた。
それは隣村から越してきた若い夫婦だった。
夫婦は村の古い慣習に疑問を持ち、「もっと開かれた村にしよう」と提案していた。
村人たちにとっては危険な思想である。
彼らは夫婦を次の「番人」候補として選んだ。
私は必死に警告しようとした。
祠の前に霊体として現れ、夫婦に危険を知らせようとした。
しかし、封印の力が私の行動を制限した。
彼らに真実を伝えることができず、私は曖昧な警告しか発することができなかった。
夫婦は私の警告を理解できず、村人たちの罠にかかってしまった。
彼らは「村の大切な文書を盗もうとした」という濡れ衣を着せられ、村八分を受けていた。
彼らが村を出ようと考えていた頃、妻が妊娠していることが判明した。
村人たちは「村で生まれた子供を連れ去ろうとしている」という新たな罪を捏造し、夫婦を完全に村の敵として仕立て上げた。
夫婦が危険にさらされる中、私は封印の中で苦悶していた。
真実を知りながら、何もできない無力感。
村人たちへの憎悪と、それでも彼らを守らなければならないという強制的な使命感。
歴代の番人たちの意識も動揺していた。
「また新しい犠牲者か」
「我々と同じ運命を辿るのか」
「いつまでこの地獄は続くのだ」
私は決意した。
たとえ自分の存在が完全に消滅することになっても、この悪循環を断ち切らなければならない。
しかし、封印を破る方法は一つしかない。
外部の人間に真実を知らせ、村の秘密を暴露することだった。
それは村の滅亡を意味するかもしれないが、これ以上無実の人々を犠牲にするわけにはいかなかった。
私は最後の力を振り絞って、村八分にされた夫婦にお告げとして指示を出し、一通の手紙を現実世界に顕現させることに成功した。
その手紙は、田中教授の元に届いた。
手紙は、村の暗黒の真実と、封印されている人々の苦悩を記したものだった。
「私たちを解放してください。真実を世に知らしめてください。もうこれ以上、無実の人々を犠牲にしてはいけません」
田中教授は手紙を読み、震撼した。
彼は直ちに関係機関と協力して、村の調査を再開した。
村の秘密が暴かれると、村人たちの因習は崩壊した。
祠の封印も弱くなり、ついに歴代の番人たちの魂は解放され、成仏した。
* * *
私はこの世の最後に、村を見下ろしていた。
憎しみと同時に、複雑な愛情も感じていた。
この村で暮らした辛い日々のことを。
いざ成仏するとなると、村のことも許せる気になっていたのである。
こうして、私達、祠に閉じ込められた魂は、天に昇っていった。
「ありがとう」
歴代の番人たちの声が響く。
「ついに我々は解放された」
魂は光に包まれ、永遠の安息に向かって旅立っていった。
< 了 >