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第2話 冷たい夫と虚ろな城

セクション1:冷たさの裏側


ルーチェがアレクトの屋敷で暮らし始めてから、数週間が過ぎた。広大な敷地と豪華な装飾に囲まれた日々は、普通の人々から見れば夢のような生活だろう。しかし、ルーチェにとっては虚しい日々だった。


アレクトとの会話は必要最低限に留まり、契約上の事務的な内容に限られていた。朝食の席で彼と顔を合わせることはほとんどなく、たまに会話を交わすとしても、「今日の予定を確認しておいてくれ」「その件は執事に任せている」といった形式的なやり取りばかりだった。


彼の態度には感情の欠片もなく、まるで彼女がただの存在しない存在であるかのようだった。ルーチェはそんな扱いに慣れつつも、心の奥底で違和感を覚えていた。



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ある日、ルーチェは思い切って屋敷の使用人たちにアレクトについて尋ねてみた。しかし、返ってくるのはどれも曖昧な答えや、表情を曇らせた沈黙ばかりだった。


「旦那様について詳しいことは……申し訳ありません、私どもでは分かりかねます。」


使用人たちは一様に怯えたような態度を見せ、必要以上に彼女と会話しようとはしなかった。その反応は、アレクトがこの屋敷でいかに恐れられている存在かを物語っていた。


ルーチェは失望しつつも、この状況を打開しなければならないと考えた。屋敷内で孤立したままでは、いずれ本当に彼の思惑に飲み込まれてしまう。自分を守るためには、この屋敷で味方を作る必要があった。



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翌日、ルーチェは自ら行動を起こすことにした。屋敷の中を巡りながら、特に目立たずに働く下働きの使用人たちに目を向けた。中でも気になったのは、台所で忙しそうに立ち働く一人の少女だった。


彼女はルーチェが近づいても、怯えることなく控えめな笑顔を見せた。その姿に、ルーチェはわずかな希望を見出した。


「あなた、名前は?」


「……エマと申します、奥様。」


「エマ、ここで働いてどのくらいになるの?」


「もう3年ほどになります。」


エマの口調はおずおずとしていたが、怯えた様子はない。むしろ彼女の目には、どこか純粋な誠実さが宿っていた。


ルーチェはエマに対して少しずつ距離を縮めるべく、些細な話題から会話を始めた。台所の様子や庭の花のこと、そして彼女自身のこと。エマは最初は慎重だったものの、徐々に心を開いていった。



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数日後、エマと話している最中に、ルーチェは思い切ってアレクトについて尋ねてみた。


「エマ、旦那様のこと、どう思っているの?」


その問いにエマは少し驚いた様子を見せたが、しばらく考え込んだ後、小さく答えた。


「旦那様は……冷たい方です。でも、それだけではないと思います。」


「それだけではない?」


「はい。時折、すごく悲しそうな目をされることがあるんです。それが……少し気になります。」


エマの言葉に、ルーチェは内心で驚きを隠せなかった。冷酷無比と評されるアレクトにも、悲しみを感じさせるような表情があるというのだろうか?



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その日の夜、ルーチェはエマとの会話を思い返しながら、屋敷内を歩き回った。アレクトの真の姿を知るためには、もっと多くの情報が必要だと感じたからだ。


使用人たちから聞き出せる情報は限られている。そこで、彼女はもっと踏み込んで調査を行うことを決意した。屋敷内のどこかに、アレクトが本当の目的を隠している場所があるはずだ。


ルーチェは自分の立場をわきまえながらも、冷静に屋敷内を探索し始めた。彼女の心には恐怖と好奇心、そして自分を守るための覚悟が入り混じっていた。



セクション2:新たな味方


ルーチェがこの屋敷で唯一信頼できる人物、それが台所で働く少女エマだった。エマは小柄で華奢な体つきをしており、目立つことを好まない性格だったが、ルーチェには他の使用人たちとは違う温かみを感じさせた。


ルーチェが初めてエマに話しかけたのは、台所で彼女が一人で皿を洗っているときだった。その姿に引き寄せられるように近づき、自然と口を開いた。


「エマ、あなたがここで働いていることは知っていたけど、直接話すのは初めてね。」


エマは驚いたように顔を上げたが、すぐに頭を下げ、控えめに答えた。

「はい、奥様。いつも遠くからお姿を拝見しておりました。」


その返答にルーチェは少し微笑みながら、椅子を引いて座った。

「エマ、こんな大きな屋敷で働くのは大変でしょう?」


「ええ、大変ではありますが……慣れました。それに、ここで働けるだけありがたいことです。」


エマの素直な言葉に、ルーチェは彼女の誠実さを感じ取った。この少女なら信用できる――そう直感的に思えた。



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それからルーチェは、毎日のように台所に足を運び、エマと会話を重ねるようになった。最初はぎこちなかったエマも、次第に彼女に心を開き、他の使用人たちの噂話や屋敷内での出来事を教えてくれるようになった。


ある日、ルーチェは意を決してエマに尋ねた。

「エマ、この屋敷の中で何か奇妙なことを感じたことはない?」


エマは少し考え込みながら答えた。

「はい、実は……夜中に廊下を歩く音を聞いたことがあります。誰もいないはずなのに。」


「……それはどうしてだと思う?」


「分かりません。でも、この屋敷には秘密が多いと聞いています。特に、地下には……」


エマはそこまで言うと、少し躊躇したように口を閉じた。ルーチェはその反応に興味を引かれた。


「地下に何があるの?」


エマは少し申し訳なさそうに頭を下げた。

「奥様、あまり深入りなさらない方が良いかもしれません。この屋敷では、知らない方がいいこともありますから……。」


その言葉は、ルーチェの中でますます疑念を膨らませた。エマが隠そうとするもの、それはアレクトに関係しているに違いない。



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数日後、エマはまた興味深い話をしてくれた。

「奥様、この屋敷には秘密の通路があるんです。」


「秘密の通路?」


「はい。噂では、地下室や書庫から通じているそうです。でも、その通路は普段誰も使いませんし、場所を知っているのは一部の人だけだと思います。」


ルーチェの心臓が高鳴った。秘密の通路――それはきっと、アレクトが隠している何かに繋がる手がかりだろう。


「エマ、その通路がどこにあるのか知っている?」


エマは困ったような顔をしたが、やがて小さく頷いた。

「完全には分かりませんが、書庫の奥に怪しい扉があると聞いたことがあります。」



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その夜、ルーチェは屋敷内を静かに歩き回りながら、エマが言っていた書庫を探しに行った。書庫は広大で、多くの書物が整然と並んでいるが、その奥には人が滅多に入らないような薄暗い場所があった。


エマが言っていた「怪しい扉」は、確かにそこにあった。普通の扉とは違い、重厚な鉄製で、取っ手には見慣れない模様が彫られていた。鍵がかかっているようだが、慎重に調べると鍵穴が隠れているのが分かった。


「この先に……何があるの?」


ルーチェは思わずつぶやいたが、その場で無理に扉を開けることはしなかった。彼女はまず、エマからさらに情報を聞き出し、計画を立てる必要があると考えたからだ。



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翌日、ルーチェは台所でエマに会うと、昨日のことを軽く触れた。

「エマ、あなたの話、役に立ちそうよ。」


エマは少し驚いたようだったが、彼女が満足そうに微笑むと、安堵の表情を浮かべた。

「お役に立てたなら良かったです。でも、奥様、本当にお気をつけくださいね。旦那様は……」


言いかけてエマは口をつぐんだが、ルーチェにはその続きが何だったのか、何となく分かった。「旦那様は恐ろしい人」という言葉が頭に浮かんだが、彼女はそれを口にはしなかった。



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ルーチェはエマという味方を得たことで、自分にできることが少しずつ増えていると感じていた。使用人たちからは敬遠されていたが、エマだけは心を許し、彼女を支えてくれている。この小さな信頼の芽を育てながら、彼女は秘密の通路とアレクトの真実に迫る準備を進めていった。


冷たい夫と無機質な屋敷の中で、ルーチェは少しずつ、自分を守るための力を蓄えていくのだった。



セクション3:夫のもう一つの顔


秘密の通路の話を聞いてから、ルーチェの心はざわついていた。その扉の向こうに何があるのか。何を隠しているのか。そして、それが自分の「契約結婚」とどのように関係しているのか。考えれば考えるほど、真実に近づきたいという気持ちが募った。


しかし、それを知るためには一つ一つ手がかりを追うしかない。ルーチェは慎重に行動し、エマの助けを借りながら扉に繋がる情報を収集していた。そしてついに、その通路がアレクトの「密会」に使われている可能性が高いという話を耳にしたのだ。



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ある晩、ルーチェは屋敷内が静まり返った頃を見計らい、再び書庫に向かった。エマから聞いていた通り、書庫の奥には怪しい扉があった。鍵を開けることはまだできなかったが、隙間から通路に繋がる道が続いているのが分かる。


彼女は息を潜め、耳を澄ませた。遠くから微かに聞こえる足音。それは重く、規則的だった。誰かがこの通路を使っている――それは間違いなかった。


「まさか、アレクトが?」


彼女は恐る恐る通路に入るための別の入口を探し出し、慎重に足を踏み入れた。通路は暗く湿っており、冷たい石の壁が薄い灯りに照らされている。何かが背後にいるような気配に怯えながらも、彼女は足を進めた。


通路の先で、ルーチェは微かな声を聞いた。それは低く抑えられていたが、確かにアレクトの声だった。



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ルーチェは壁の影に隠れながら、声が漏れてくる部屋の中を覗き込んだ。そこでは、アレクトが誰かと向き合って話をしていた。その相手は黒いローブをまとった謎の人物であり、顔を覆い隠していた。


「彼女の存在を利用するのが最も効果的だ。」


アレクトの声が冷たく響く。その言葉に、ルーチェの体が硬直した。


「契約に基づいて動くだけでは不十分だ。彼女が持つ『呪い』の噂をさらに拡大させ、周囲に影響を与えなければ計画は成功しない。」


「ですが旦那様、それでは……奥様が危険にさらされるのでは?」


黒いローブの人物が低い声で尋ねると、アレクトは肩をすくめた。


「それがどうした? 契約とはそういうものだ。彼女は家を救うために私に従った。それ以上の意味はない。」


その言葉を聞いた瞬間、ルーチェの胸は締め付けられるような感覚に襲われた。自分が利用されていることは分かっていたが、ここまで冷たく道具扱いされているとは思わなかった。


しかし、その一方で彼の横顔には一瞬だけ、孤独や葛藤のようなものが浮かんでいるようにも見えた。それが真実なのか、それとも演技なのかは分からない。



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会話が途切れると、アレクトは何かを手に取り、ローブの男に渡した。それは小さな封筒だった。


「これを確実に届けろ。今後の展開は私が指示を出す。」


ローブの男は静かに頷き、通路の反対側に消えていった。アレクトはしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて深いため息をついた。その姿は、彼が計画を進めながらも何かしらの葛藤を抱えているように見えた。


ルーチェはその様子を見て、胸の中に奇妙な感情が湧き上がった。怒り、失望、そして……同情。それらが入り混じり、彼女の心を掻き乱した。


「私は……あなたを許さない。でも……あなたのことを知りたい。」


心の中で呟いたその言葉は、彼女自身を驚かせた。



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その夜、ルーチェは自室に戻り、アレクトとのこれまでのやり取りを思い返していた。彼は確かに冷徹で感情を表に出さない人間だった。しかし、書庫で見た彼の一瞬の表情は、何かを隠しているように感じられた。


「彼は何を抱えているの……?」


ルーチェは自分を道具扱いするアレクトに対して憤りを感じていたが、同時に彼の背負う影にも興味を抱いていた。


「でも、私がここで終わるわけにはいかない。」


彼女は冷静に自分の状況を整理し、次の行動を考え始めた。アレクトが計画していることを暴くためには、彼に直接対峙する必要がある。しかし、今はまだその時ではない。彼女は慎重に準備を進めることを決意した。



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数日後、ルーチェはエマにだけ、自分が見たものの一部を打ち明けた。エマは驚きと不安の表情を浮かべたが、彼女を支える決意を新たにしたようだった。


「奥様、旦那様は……本当に恐ろしい計画を持っているのかもしれません。でも、私にできることがあれば、何でもお手伝いします。」


ルーチェはその言葉に励まされ、心の中に小さな光を見出した。彼女は孤独ではない。この屋敷の中で、少しずつ味方を作り、逆転の糸口を掴んでいくのだ。


そして、夫のもう一つの顔を暴くための準備を着実に進めていくのだった。



セクション4:復讐の計画


アレクトの計画の一端を垣間見たルーチェは、自室に戻っても心を落ち着けることができなかった。書庫での出来事が頭から離れない。アレクトが発した「彼女を利用する」という冷たい言葉、そしてその裏に隠された彼の孤独な表情――どれもが彼女の胸を締め付けていた。


「私は彼の道具じゃない……」


ルーチェは自分にそう言い聞かせながら、深い息をついた。彼に従うだけの人生はもう御免だ。自分を守るためにも、彼が企てていることを暴き、逆手に取る必要がある。彼女は心の中で小さく決意を固めた。



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翌朝、ルーチェはエマを呼び寄せた。エマはいつものように控えめな態度で現れたが、ルーチェの緊迫した表情に気づき、少し戸惑った様子を見せた。


「エマ、あなたにお願いがあるの。少しだけ私を手伝ってほしい。」


エマは驚きながらも真剣な眼差しで頷いた。

「もちろんです、奥様。私にできることなら、何でもお手伝いします。」


「ありがとう、エマ。まず、この屋敷で最近起きている奇妙な出来事について、できるだけ多くの情報を集めてほしいの。使用人たちが何を話しているのか、何か変わったことがあれば教えて。」


エマは緊張した表情を浮かべながらも、「分かりました」と力強く答えた。



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ルーチェ自身も行動を起こすことにした。彼女は屋敷の中で少しずつ使用人たちとの距離を縮めていった。特に、日頃あまり目立たない下働きの使用人たちに話しかけ、信頼を得ようと努めた。ルーチェの控えめで誠実な態度は、使用人たちの間で少しずつ噂になり始めた。


「奥様って、思ったより話しやすい方なんだな。」

「そうだな。あの冷たい旦那様とは大違いだ。」


こうした評判が広がるにつれ、使用人たちは徐々にルーチェに心を開き、屋敷内で起きていることを教えてくれるようになった。


「夜中に廊下を歩く音がするとか、地下室で誰かが何かを運び込んでいるのを見たとか、そういう話を聞きます。」

「旦那様は書庫にいることが多いですが、最近は何か資料を抱えて地下に行くことが増えたようです。」


こうした情報を集める中で、ルーチェは徐々にアレクトの行動パターンを把握し始めた。そして、彼が地下室で何か重大な計画を進めている可能性が高いことを確信した。



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ルーチェは次に、屋敷外で広がる「呪い」の噂について調べることにした。彼女はこれまで、自分が「呪われた花嫁」と呼ばれることを嫌悪していたが、その噂がアレクトの計画に利用されているのだとしたら、それを逆手に取ることができるかもしれないと考えた。


彼女はエマを通じて、使用人たちが屋敷外で耳にした噂話を集めさせた。それによると、最近になって再び「呪い」の噂が活発になっているという。


「奥様がいらしてから、屋敷で妙な出来事が起きているとか……あまりいい噂ではありません。でも、その噂を流しているのは誰なのか分かりません。」


その言葉に、ルーチェは少し考え込んだ。彼女が「呪い」の噂を流しているのはアレクト自身か、その協力者である可能性が高い。だが、その意図を知るにはまだ手がかりが足りなかった。



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ルーチェは情報を集めるだけではなく、自分なりの復讐計画を進め始めた。それは、自分を貶めた者たちに真実を突きつけ、彼らを社会的に追い詰めることだった。彼女はアレクトの行動を観察しながら、彼の計画を利用して自分の立場を強化する手段を模索した。


例えば、社交界で広がる噂を利用して、過去に彼女を侮辱した人物たちの信用を失墜させることを考えた。彼女はアレクトに逆らうつもりはなく、むしろ彼の計画の一部として動くふりをすることで、自分に有利な状況を作り出そうとしていた。



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ある夜、ルーチェはアレクトに直談判することを決意した。書庫で資料を漁る彼を見つけ、静かに声をかけた。


「旦那様、少しお話ししたいことがあります。」


アレクトは書類から顔を上げ、冷たい目で彼女を見つめた。

「何だ? 重要な話でなければ、時間の無駄だ。」


その言葉にルーチェは胸の奥が少し痛んだが、冷静さを保ちながら口を開いた。

「あなたが何を計画しているのかは分かりません。でも、私はあなたの妻です。この結婚が契約だとしても、私はただ利用されるだけでは終わりません。」


アレクトは彼女の言葉に少し驚いたようだったが、すぐに冷笑を浮かべた。

「君がどう思おうと、私の計画に支障はない。だが……君の言葉に少し興味を持ったよ。道具として使われたくないのなら、自分の力でそれを証明してみるといい。」


その挑発的な言葉に、ルーチェは小さく微笑みを浮かべた。

「もちろんです。見ていてください、旦那様。」


その場を後にするルーチェの背中を、アレクトは無表情のまま見送った。しかし、その瞳にはわずかな動揺が宿っていた。



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この夜を境に、ルーチェはさらに積極的に行動を起こしていった。屋敷内の情報を集め、エマと共に秘密の通路や地下室の謎を解き明かすための準備を進める。そして、アレクトが広めた「呪い」の噂を逆手に取り、彼を追い詰める計画を練り始めるのだった。


冷たい夫と無機質な屋敷の中で、ルーチェは確実に自分の力を手に入れようとしていた。その先に待つ真実がどれほど厳しいものでも、彼女はもはや恐れることはなかった。












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