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追放された令嬢ですが、今さら戻れと言われてもお断りです!
追放された令嬢ですが、今さら戻れと言われてもお断りです!
ゆる
異世界恋愛ロマファン
2025年05月24日
公開日
4.5万字
完結済
「君はもう不要だ」 王太子に婚約破棄され、家族からも見捨てられた侯爵令嬢アルテミスは、すべてを失い辺境の町へ追放された。 だがその地で彼女は薬師としての才能を開花させ、人々を救う“辺境の薬師”として名を広めていく。 一方、聖女として寵愛された平民の少女カトレアは失態を重ね、王都では疫病が蔓延。 国中が混乱するなか、王太子はかつて捨てた婚約者に助けを求めるが―― 「もう二度と、戻るつもりはありません」 これは、追放された令嬢が新たな愛と人生を手にし、国さえも救う逆転ざまぁファンタジー。 あなたは、彼女の選んだ“幸せな選択”を見届ける―― ---

第1話 追放された令嬢

 アルテミス・ヴァルターは、その名のとおり夜空の星を思わせる気品をまとった侯爵令嬢だった。彼女が生まれたとき、夜空には一際美しい流星が輝いていたという。両親はその奇跡を喜び、星にちなんだ名を与えたのだ。

 アルテミスが物心ついた頃から、彼女は侯爵家の一人娘として大切に育てられた。読書好きで、魔法や薬学にも興味を示す好奇心旺盛な少女だったが、社交界ではおしとやかな淑女としての振る舞いを叩き込まれた。侯爵家の令嬢として、厳格なマナー教育を受け、一糸乱れぬ立ち居振る舞いが求められたのだ。しかし、アルテミス自身はもともと穏やかな性格で、華やかな場よりも静かに書物を読みふけるほうを好んでいた。

 そんなアルテミスに舞い込んできたのが、王太子アレクトとの婚約話である。王家と侯爵家の結びつきは国全体に影響を及ぼす一大事。アルテミスも最初は戸惑いながらも、王太子の婚約者として誠心誠意、努力を惜しまなかった。アレクトに恥じぬよう、宮廷での作法、貴族としての社交術、そして必要な学問にいたるまで懸命に励んだ。その甲斐あって、王城での舞踏会や晩餐会などの場面では、アルテミスはとても美しく、そして聡明に振る舞い、王太子の横に立つにふさわしい令嬢として周囲から一定の評価を得ていたのである。


 しかし、事態はある日を境に大きく変わってしまった。

 この国には古くから「聖女伝説」というものが語り継がれていた。国難の折に突如として現れ、神聖なる力で人々を救済する乙女。代々、その力を受け継いだ聖女は王家や貴族家の支持を集め、国を安定に導いてきたと伝えられている。もちろん、それが本当なのかは時代や証言によってまちまちだ。だが、長い歴史の中で聖女が存在したのは事実だと言われていた。

 そんな中、ある日突然「平民出身の少女が聖女として現れた」という噂が王都に広まり、貴族社会を一気にざわつかせた。名はカトレア。両親は既に亡く、貧民街で育ったという。

 このカトレアは、神に選ばれし力をもつとされ、治癒魔法や浄化の力、さらにはまれに見る美しい容姿を持ち合わせているらしい。加えてその可憐な雰囲気と儚げな笑顔が、人々の保護欲や慈愛の心をかき立てるというのだ。

 最初のうち、アルテミスはカトレアの存在をただ遠巻きに見ていた。彼女自身、王太子アレクトと名目上は婚約している立場にあるものの、国にとって聖女の出現が喜ばしいことならばそれはそれで良いと考えていた。王家にとって大きな利益になるなら、彼女自身も喜んで協力しようと思っていたのだ。何より、人々の苦しみを救う力を持つのであれば、それは素晴らしいことではないか。

 だが、その穏やかな気持ちは、王太子アレクトの態度が変わり始めるのにそう時間を要さなかった。アレクトは、カトレアの力が本物だと知ると、彼女の周囲を取り巻く空気に魅了されたのか、やけに熱心に聖女と会合を重ねるようになったのである。表向きは「聖女としてふさわしい居場所を与えるため」とか「王太子としてその力を確認したい」などという名目があったが、実際にはアレクトがカトレアに惹かれているのは明白だった。

 そのうち、王太子アレクトの態度はあからさまにアルテミスを疎んじ始める。

「アルテミスは宮廷の伝統を重んじすぎだ。もっと新しい風を取り入れないのか」

 ある晩餐会の席でそう告げられたアルテミスは、突然の言葉に少し驚いた。今までは、彼女が宮廷の格式ある振る舞いをしていても、アレクト自身が不快感を示すことはなかったからだ。

 しかし、カトレアと共にいるアレクトは、いつもと違う。彼女の隣で微笑むカトレアは、しとやかな中にも、どこか儚さを感じさせる少女だった。身の回りの世話をする侍女もまだおらず、着飾ったドレスなどない素朴な装いでありながら、その顔立ちと雰囲気はひときわ周囲の目を惹いていた。

 実際、社交界でも「聖女カトレア様はあの平民出身とは思えない」「なんて美しい方なのだろう」「まさに奇跡の乙女」という声が飛び交っていた。皆、そうやって話題の中心にいる彼女を称賛している。その中心に王太子が寄り添うように立っているという構図は、カトレアにさらなるスポットライトを与えていた。

 アルテミスは、心のどこかで不安を覚えつつも、表向きは平静を装った。婚約者の隣にいるべき自分の立場が、まるで蚊帳の外に置かれているかのような孤独感。だが、今さらそれを口にしても仕方がない。貴族令嬢として、自分は毅然とした態度を貫くべきだと自分に言い聞かせる。

 ところが、周囲のざわめきは日を追うごとに強まっていった。カトレアに対する賛美の言葉は止まらず、逆にアルテミスに対しては次第に冷たい視線が注がれるようになる。まるで「聖女の力を称えるのが当然」という空気ができあがり、アルテミスがその流れに乗らなければ、彼女が悪者のように扱われるのだ。

 王族や社交界の貴族たちが、カトレアをもてはやすほどに、アルテミスは一人取り残される気持ちになった。さらに悪いことに、アルテミスを見下す者も増えていく。「王太子殿下が、本当に望んでいるのはアルテミス令嬢ではなくカトレア様なのではないか」と。その噂を裏付けるかのように、アレクトの冷淡な態度は日に日に増していった。

「アルテミス、お前は自分勝手すぎるな。どうして聖女様のお力をもっと敬わないんだ?」

 アレクトにそう咎められたとき、アルテミスは呆気にとられた。敬意を表さないどころか、彼女はむしろカトレアを認め、敬意を表していたはずだ。しかし、周囲の「崇拝」とさえ言えるような空気に乗らない彼女の姿勢は、アレクトからすれば「不満」と映っているようだった。

 それでもアルテミスは、王太子を正面から糾弾することなどできない。婚約者と言えども、王族に対して不敬を働けば自分にも実家にも大きな影響が及ぶだろう。なにより、まだほんの少しだけ、アレクトに対する信頼が残っていた。どんな事情があれど、最後にはきちんと理由を説明してくれると信じたかったのだ。

 だが、その願いは無残にも打ち砕かれる。ある日の晩餐会でのこと。そこに集まったのは、王や王妃、そして主要貴族たち。アルテミスは、いつも通り王太子の隣に控えるよう求められ、家の名誉を守るために精一杯美しいドレスをまとって出席した。しかし、その場でアレクトは予想もしなかった言葉を口にする。

「私は、聖女カトレアとの結婚を望んでいる。よって、これまでの婚約者であるアルテミス・ヴァルターとの婚約は、本日をもって白紙に戻す」

 王太子の声が、広い晩餐会場を静寂の底に沈めた。出席者たちは一斉に息を呑み、アルテミスに視線を集中させる。アルテミス自身、頭の中が真っ白になった。

「……殿下、今のお言葉は、どういう意味でしょうか」

 辛うじて声を絞り出したアルテミスだったが、アレクトの答えはさらに冷淡だった。

「そのままの意味だ。お前はもう私の婚約者ではない。カトレアこそが私にふさわしい相手だと、はっきりと確信したのだよ」

 その言葉に、たちまち会場内が激しく動揺する。貴族たちの中には「さすがに王太子殿下、それはいくらなんでも乱暴では……」と小声でつぶやく者がいたが、大半は驚きと戸惑いのあまり声も出せない。

 カトレアは突然の発表に目を丸くしていたが、アレクトが彼女を慈しむような瞳で見つめると、どこか申し訳なさそうに視線を伏せる。まるで「私はただ皆を救いたいだけなのに……」と言いたげな様子。すると、それを目にした周囲の者たちは「これほど清らかな聖女を前に、アルテミス令嬢では確かに見劣りするのかもしれない」といった空気に流されていく。

 アルテミスは震える手で、長いスカートを握りしめた。悔しさと悲しみ、そして何より裏切られた思いが胸の奥から込み上げてくる。しかし、涙を流すわけにはいかない。自分は侯爵令嬢であり、どんなときも誇りを失わないようにと育てられてきた。ここで取り乱しては、さらに周囲の嘲笑を買うだけだ。

 やがて、国王は困惑した様子を見せながらも、息子であるアレクトの決意が揺るぎないと知ると、半ば仕方なしというように「そうか……」と呟いたきり口を閉ざした。王妃もまた、面倒なことは避けたいのか、黙して語らなかった。

 この国では王太子の意向が尊重されやすい風潮がある。王が引退すれば次の国王はアレクトとなるため、下手に不興を買うわけにはいかないという事情もあるのだろう。さらに、目の前には奇跡の力を持つとされる聖女がいる。王家としても、彼女を側に置いておきたいのはやむを得ない判断かもしれない。

 そうして、アルテミスはみんなの前で――しかも王族や貴族の視線が注がれる公式の場で――婚約破棄を言い渡されたのである。

 ここまでなら、まだアルテミスにも逃れようはあったかもしれない。正式な決定を今すぐに受け入れず、父である侯爵と相談するとか、結納金の返還や、これまでの婚約の経緯を踏まえた交渉ができたはずだ。

 しかし、追い打ちをかけるように、実の父である侯爵・ギルバートが立ち上がり、信じられない言葉を放った。

「……では、王太子殿下がそこまで仰せだというのなら、私もそれに従うほかありませんな。アルテミスは我が家を不名誉に陥れた。お前など、もう侯爵家の娘ではない。今この場で追放とする」

 まるで一気に地面が抜け落ちたかのようだった。

 思わず膝が震えそうになり、アルテミスは必死で堪える。婚約破棄だけでも辛いというのに、まさか父親からも追放を言い渡されるなど、想像だにしていなかった。

「父様……それはどういう、ことですか」

 アルテミスが必死に問いかけると、ギルバートは鼻で笑うかのように目を細めた。

「我が家にとって、お前は大事な駒だった。だが、結局何の役にも立たない。聖女の存在を脅かすどころか、王太子との婚約すら保てなかった役立たずだ。お前など、もうヴァルター家の名を汚すだけの存在。とっとと家門から出て行け」

 あまりの仕打ちに、アルテミスは怒りとも悲しみともつかない感情にさいなまれ、声を失った。口を開いて反論しようにも、何も言葉が出てこない。日頃から冷徹な面を見せていた父ではあったが、まさかここまで無慈悲だとは思わなかった。

 周囲にいる他の貴族たちは騒然としているが、誰もアルテミスの味方をしようとはしない。いや、できないのだろう。すでに王太子と侯爵が結託して彼女を追い出そうとしている。この場で異議を唱えることは、王家と侯爵家の双方を敵に回すに等しい。

 アルテミスは、もうどうすることもできなかった。――いいえ、それは違う。これ以上この場にいても、 humiliation(屈辱)を味わうだけだということはわかっている。だからこそ、これが自分にとって最後の誇りだった。

 彼女は深呼吸をして、涙をこらえながら頭を下げる。

「……わかりました。では、わたくしはこの場を退きます。どうぞ、お望みの通りに」

 一切取り乱さず、一礼だけしてドレスの裾を翻した。会場を後にするアルテミスの背中に、同情とも嘲笑ともつかない視線が注がれているのを感じるが、彼女は振り返らない。声をかけてくる人もいなかった。

 やがて会場の外に出ると、夜の冷たい空気が肌を刺した。だが、心の痛みに比べればこれしきは何でもない。振り返ると、豪奢な王城の窓からはあたたかな光がこぼれ落ち、あの場での出来事がまるで悪夢のように感じられる。

 アルテミスはそっと瞳を閉じた。ぐっと歯を食いしばる。いつの間にか頬を伝っていた熱い雫を、手の甲でぬぐい取る。

(もう……何もかも終わりなの? 私は一体、何だったの……)

 悲しい気持ちは確かにある。しかし、不思議とどこか、解放されたような感覚もあった。ずっと「王太子の婚約者」として自分を押し殺し、侯爵家の令嬢として模範を求められてきた日々が、今ここで一気に崩れ去ったのだ。

 これから自分はどうなるのか――それすらも分からない。

 ともかく、今のまま王城の近くにいては、取り巻きや噂話に追い回されるだけだろう。いや、もう噂話をする人さえも、彼女に興味など持たないかもしれない。追放された令嬢など、見向きもしないに違いない。

 アルテミスは数日だけ、王都の外れにある安宿で身を寄せながら、最低限の荷造りをすることにした。父からは「家には戻るな」と言われているので、帰る場所などないに等しい。もちろん屋敷から運び出せるものは少なく、それもせいぜい華美でない古着や小さな宝飾品、それに少しばかりの生活費となる金貨程度だ。

「せめてもう少し持ってきてくれたらいいのに……」

 侍女のソフィア――彼女も追放処分を言い渡されたアルテミスには付き従えないとされ、実家に留まっている――そんな中でも心配してくれたが、結局アルテミスが実家に戻ることは許されず、わずかな私物を彼女が密かに届けてくれただけだった。

 アルテミスはそれでもソフィアが動いてくれたことに感謝した。

「ありがとう、ソフィア。あなたがそうやって気遣ってくれるだけで、十分よ」

「お嬢様……」

 ソフィアは泣きそうな顔をしたが、「もし落ち着いたら、いつかまた会えるといいですね」と言い残して屋敷へと戻っていった。彼女の後ろ姿は心もとないほど小さく見え、アルテミスはこみ上げる涙を必死にこらえた。

 そして、王都にいる必要はもうないと判断したアルテミスは、王都からかなり離れた辺境の町へ向かうことを決める。そこには、かつてアルテミスが学問の一環で興味を持ち、研究資料を探したことのある町があった。古代の薬草が自生しているという噂があり、学者たちが足を運ぶ土地だ。アルテミス自身も本で読んだ限り、その土地の気候は穏やかで人々の気質も落ち着いているという。王都に比べれば遥かに田舎ではあるが、今の彼女には逆にそれがありがたかった。

「ここにいたって、誰も私を見てくれないし、何も変わらない。でも、あの町なら……」

 厳粛な屋敷のしきたりや、王太子に振り回されることのない場所で、自分の好きなように生きてみたいという思いが芽生えていた。もはや、王太子の婚約者としての人生に未練はない。いや、そう言い切れるほど強くはないかもしれない。心のどこかにはまだわだかまりが残っていた。いつか、なぜ自分がこうして急激に見捨てられたのか、納得したいという気持ちもある。しかし、それを今考えても仕方がないのだ。

 乗合馬車を使い、何日かけてか辺境の町を目指すこととなる。アルテミスが用意できた荷物は非常に少ない。ドレスなどはほとんど処分し、持ち歩きしやすい簡素な衣類と最低限の持ち物、それにまだ残っていた少量の宝飾品を換金したお金を詰めこんだ小さなカバンだけだ。侯爵家の令嬢だった頃を考えれば、あまりにも心細い旅立ちではある。

 だが、それでも進まなければならない。

 王都を発ってから二日ほど経った頃、アルテミスは移動の疲れから馬車の中でうとうとしていた。揺れる車内の硬い座席に身を預け、疲労を少しでも和らげようとしていると、脳裏にはふと過去の幸せだった時の記憶がよみがえる。

 王太子アレクトと初めて出会った日のこと。最初はお互いに「何を考えているか分からない」と思い合っていたが、宮廷舞踏会で少し打ち解けて、踊りを合わせた瞬間には笑顔を交わしたこともあった。政治の話や国の将来の話を真剣な表情でするアレクトに、ほんの少し尊敬の念を抱いたこともあった。

 それらの思い出は今となっては儚い夢のようだ。あれだけ近かった人が、まるで手のひらを返すかのように冷淡になり、平民出身の聖女を選んだ。もう戻れない現実。それでも、アルテミスの胸の奥には焼き付いて離れない。

 やがて、馬車が大きく揺れ、停車した拍子にアルテミスはハッと目を覚ます。どうやら休憩地点に着いたようだ。乗客たちはみんな降りて、食事や用足しをする。アルテミスも席を立ち、外へと足を踏み出すと、辺りはだいぶ田舎に入ってきたのがわかった。空気が澄んでいて、どこかほっとする。王都のような人の喧騒や家々の密集がなく、広大な平野と遠くに見える山々が美しかった。

 これからさらに数日をかけて辺境の町に辿り着く予定だ。決して近い道のりではないが、今のアルテミスには進むしか道はない。

 ふと夜空を見上げると、星が美しく瞬いていた。まるで、遠い昔に自分に宿ったはずの、流星の祝福を思い出させるかのように――。

(もう私は、侯爵家の令嬢でもなければ、王太子の婚約者でもない。ただの……一人の女。これから先、どんな人生を歩くのだろう)

 そんな不安とともに、一抹の希望が胸に灯る。今まで押し付けられてきた義務や体面を気にせず、ありのままの自分として生きられるかもしれない。だからこそ、どんな苦難が待ち受けていようとも、逃げ出すわけにはいかない。自分の人生を、今度こそは自分で決められるように――。

 こうして、アルテミス・ヴァルターは、すべてを捨てて辺境へと旅立った。激しい悲しみをこらえて流した涙は、夜の星空に吸い込まれていく。だが、それは新たな始まりを告げる合図でもあった。真実を知り、己が力を開花させ、そしていつの日か、置き去りにされた愛や誇りに再び光を当てるための長い旅路が、今まさに始まろうとしているのだ。


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