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鳥籠に囚われた蒼の羽
鳥籠に囚われた蒼の羽
たかつど
異世界ファンタジー冒険・バトル
2025年05月24日
公開日
1.1万字
連載中
 運命の扉が開いたその瞬間から、ルチルの日常は音を立てて崩れていった。  16歳の少年・ルチル=トリウチは、王国北端の辺境にある森の中に建てられた静かな家に妹のミチルと小型犬のリヒトとともに暮らしていた。父も母も戦で亡くし、ルチルが家族を守る立場になってすでに三年が過ぎていた。  異世界〈ベリリウンヌ〉は4つの国とその空には三つの月が浮かび、大地にはかつて神々が住まったという古の遺跡が点在していた。  その日、空は晴れ渡り、風が穏やかに森をなでていた。二人は家の庭で、小型犬リヒトと遊んでいた。 「ほらリヒト、ボールだよーっ!」 「待って、そっちに投げたら…!」  だが、ルチルの投げた布製のボールは、森の奥へと飛んでいってしまった。リヒトは突然耳を立て、何かを感じ取ったかのように唸り、ボールとは逆方向に向かって走り出す。 「リヒト!? どこ行くの!」 「ミチル、ついてこい!」  ルチルとミチルは慌ててリヒトの後を追った。しばらく森を走ると、古びた石造りの塔が木々の間から姿を現した。苔むした壁、崩れかけた外階段。まるで世界から忘れ去られたような建物だった。 「こんな場所、あったっけ……?」 「ううん、初めて見る……」  リヒトは迷いなく、扉の開いた塔の中へと飛び込んでいった。二人は顔を見合わせ、小さくうなずき、後を追う。  塔の内部は静かで、光は天井の割れ目から差し込んでいた。中心に置かれた巨大な鳥籠――その中には、ひとりの人物が膝を抱えて座っていた。  透き通るような肌、閉じられた瞼。性別すら曖昧なほどに美しく、不思議な気配を放っている。

第1話 鳥籠

 運命の扉が開いたその瞬間から、ルチルの日常は音を立てて崩れていった。


 16歳の少年・ルチル=トリウチは、王国北端の辺境にある森の中に建てられた静かな家に妹のミチルと小型犬のリヒトとともに暮らしていた。父も母も戦で亡くし、ルチルが家族を守る立場になってすでに三年が過ぎていた。


 異世界〈ベリリウンヌ〉は4つの国とその空には三つの月が浮かび、大地にはかつて神々が住まったという古の遺跡が点在していた。


 その日、空は晴れ渡り、風が穏やかに森をなでていた。二人は家の庭で、小型犬リヒトと遊んでいた。


「ほらリヒト、ボールだよーっ!」

「待って、そっちに投げたら…!」


 だが、ルチルの投げた布製のボールは、森の奥へと飛んでいってしまった。リヒトは突然耳を立て、何かを感じ取ったかのように唸り、ボールとは逆方向に向かって走り出す。


「リヒト!? どこ行くの!」

「ミチル、ついてこい!」


 ルチルとミチルは慌ててリヒトの後を追った。しばらく森を走ると、古びた石造りの塔が木々の間から姿を現した。苔むした壁、崩れかけた外階段。まるで世界から忘れ去られたような建物だった。


「こんな場所、あったっけ……?」

「ううん、初めて見る……」


 リヒトは迷いなく、扉の開いた塔の中へと飛び込んでいった。二人は顔を見合わせ、小さくうなずき、後を追う。


 塔の内部は静かで、光は天井の割れ目から差し込んでいた。中心に置かれた巨大な鳥籠――その中には、ひとりの人物が膝を抱えて座っていた。


 透き通るような肌、閉じられた瞼。性別すら曖昧なほどに美しく、不思議な気配を放っている。


「この人……眠ってるの……?」

「なんでこんなところに」


 塔の中心に佇む鳥籠は、まるで神殿のように荘厳だった。

 その中にいたのは、蒼のすべてをまとった人物――蒼い髪、蒼い目、そして片方だけの蒼い翼。


 光を受けたその姿は、まるで空の欠片が人の形を取ったかのようで、息を呑むほどに美しかった。

 けれど、同時にどこか儚く、触れたら消えてしまいそうな印象を与えていた。


「……きれい……」

 思わず、ミチルがつぶやいた。


 鳥籠の扉は鍵で閉じられていた。だがその鍵穴は歪み、錆びつき、すでに役目を果たしていなかった。ルチルはそっと扉に手をかける。


「ダメだ……固まってる。開かない」

「ちょっと一緒にやってみよう」


 2人は力を合わせて渾身の力で扉を引いた。ぎぎ……ぎぃぃ……!

 音を立てて、とうとうその扉は動いた。そして――解放された。


 しかし、その音に気づく気配もなく、鳥籠の中のその人は、ただ下を向いたままだった。

 悲しそうな顔で、何かをあきらめたような、静かな嘆きに包まれて。


「……気づいてない?」

「違う……きっと、諦めてるんだ。誰も来ないと思ってたんだよ」


 ルチルは一歩、鳥籠の中へと足を踏み入れる。その瞬間――


「……触れないで」


 淡く透き通るような声が、空気を揺らした。顔を上げたその人の蒼い瞳には、深く沈んだ光が宿っていた。


「ここは……戻れない者の籠。扉が開いても、外には出られない」


「でも……開けたよ。僕たちが開けたんだ」

「待ってる誰かがいるなら、もう――閉じ込められてるべきじゃない」


 その言葉に、片翼の蒼き者は小さく目を見開いた。


 それは、世界に色が戻り始める瞬間だった。


「あなたたちは……知らないのね。この扉が開くことが、どれほどの怒りを招くかを」


 片翼の蒼き者はそうつぶやいた。声には恐れと、どこか諦めにも似た響きがあった。


「怒り? 誰の?」

 ルチルが問いかけると、その人はわずかに目を伏せ、かすかに唇を震わせた。


「……ナハトの王。シュレッケン=ナハト。

 彼は……私を閉じ込めた。翼を、無理やり引き裂いて。逃げられないように……」


 その名を聞いた瞬間、空気がぴんと張り詰めたようになった。シュレッケン王。ナハトを治める暴君にして、この世界で最も力を持つ男。彼は大柄で圧倒的な存在感を持ち、人々を下に見ることを当然と考えていた。


「お前のような存在は、誰のものでもなくてはならない」

「だから私は“物”にされた」


 蒼の人――名を〈トリ〉という――は、王の執着の果てに、片翼を失い、鳥籠に閉じ込められた。

 シュレッケンにとってトリは、手に入らないものほど欲しくなる、所有の象徴であり、欲望の対象だった。


 王には后がいた。名はクリ−ク。黒髪に鋭い目を持つ、美しいが冷たい女性だった。王とは政治的な思惑によって結ばれたが、愛はなかった。

 彼女は王のトリへの執着を激しく嫌い、嫉妬と憎悪をトリに向けていた。


「じゃあ……ここにいたら、また……!」

 ミチルが震える声で言った。ルチルは強く拳を握る。


「行こう、トリ。ここにいたら、いつか本当に壊れてしまう」

「でも……逃げたら、王はあなたたちを――」


 その時、塔の外で大地を揺るがすような蹄の音が響いた。空を裂くような叫び声が森に響く。


「見つけたぞ、獣共が」


 扉の外に現れたのは、漆黒の鎧をまとい、金色のマントをなびかせたシュレッケン王。

 その目には、まるで“盗まれたもの”を見るような執念が宿っていた。


「さあ返せ。私の美しい、唯一の《蒼い鳥》を」


 ルチルは妹の前に立ち、トリの手を取った。


 嵐のような追跡劇が始まろうとしていた。





 ナハト王城・西翼楼の最上階――そこは「紅の間」と呼ばれる、お后様クリ−クの私室だった。


 壁は深紅の絹で覆われ、天井からは血のように赤いクリスタルのシャンデリアが下がっている。床には異国の織物、金の糸で縁取られた絨毯。鏡の前には、今夜三度目のドレス替えにうんざりし始めた侍女たちの姿。


「なぜ……なぜあの男は戻ってこないの!」

 クリ−クは扇を叩きつけるように投げつけ、近くにいた侍女がとっさに身をかがめた。

「こんな夜に外に出るなんて、まさか……また、あの“蒼い鳥”のもとへ?」

 クリ−クの身には、薔薇の刺繍がちりばめられた紅のドレス、首元には深紅のルビー、指には宝石の嵐――

 それは、彼女の誇りであり、己の「価値」を王に示す手段だった。


「もう王に愛など求めてはいないわ……けれど!」

 金色の爪でドレッサーの天板を叩く音が部屋に響く。

「私を差し置いて、たった一羽の、片翼の、哀れな鳥ごときに心を寄せるなど――!」


「許せない……王の目は、常に私に向いていなければならないのに……!」


 ドアがノックされる音がした。

「お后様、参ります」


 入ってきたのは、従者の一人、黒衣の男――名をタクティクという。王宮内で唯一、クリ−クが心から信を置く存在だった。彼は冷静な目を持ち、常に余裕を崩さぬ言葉で、女王の怒りすら鎮めてきた。


「遅いわ、タクティク。何か報告があるのでしょうね?」

「はい。王は、〈封じの塔〉へ向かったとの報せが」

「……やはり……!」


 クリ−クは唇をかみ、鏡に映る自分の顔に向かってつぶやいた。


「また、あの蒼い鳥に……取るに足らない物の癖に……!」


 その目は、宝石よりも冷たく、血よりも深く赤かった。


「タクティク。私に忠義を誓うなら、あの鳥を、引き裂きなさい。王が飽きる前に、私の手で終わらせるのよ」


「御意――お后様の紅の望み、必ず叶えましょう」


 クリ−クの影が、静かに動き出した。






 塔の空気が、急に冷たくなった。


 轟音とともに、塔の入口が開け放たれる。金の鎧がきらめき、王――シュレッケン=ナハトが、黒き怒りをまとって現れた。


「いたぞ……我が、蒼の鳥よ」


 トリが一歩も動かぬうちに、シュレッケンは籠の扉を乱暴に開き、重たい靴音で踏み入ってくる。そしてそのまま、片翼しかないトリの背に手を伸ばした。


「離してっ……!」


「ふざけるな」


 シュレッケンはトリの蒼い羽根を鷲掴みにし、そのまま上へ釣り上げた。体が宙に浮き、足が空を切る。羽の根元に激痛が走る。傷は癒えていない――その痛みに、トリは小さく悲鳴をあげた。


「貴様……まだ我に逆らうのか。羽を毟ってやったというのに……!」


 王の手に力がこもるたび、トリの体は引き裂かれるような痛みに襲われる。

 それでもトリの瞳には、王に向ける“恐怖”も“恋情”もなかった。あるのはただ――無関心。


 それが、シュレッケンの怒りに火をつけた。


「見るな、その目で……我を……!」

 怒声とともに、王はトリを放り投げた。


 トリの体は鉄の柵に叩きつけられ、乾いた音が塔内に響く。


「トリ!!」

「だいじょうぶ!?」


 ルチルとミチルが駆け寄り、トリの身体を支える。トリはかすかに唇を震わせるが、目は依然として静かだった。


 シュレッケンはその様子を見て、なおさら憤怒をあらわにする。


「なぜだ……なぜ我だけを見ない!? なぜ、我の手にすがらぬ!?」

「誰にも会わせず、誰にも見せず、お前を孤独にしてやったというのに……!

 それでも我を選ばぬというのなら――このままこの籠で、永遠に飼ってやる!」


 剣を抜こうとするアグロス。その時だった。


「ワンッ!」


 鋭く空気を裂くような吠え声。小さな影が王の足元に飛び込む。


「リヒト!」

 ミチルが叫ぶ。


 小型犬・リヒトが、トリを狙う王の足元をぐるぐると走り回り、牙を剥いて吠え立てる。王は思わずバランスを崩し、一瞬だけ剣を引く手が止まった。


「なんだ、この虫けらは……!」


「今だ、ミチル!」

 ルチルが叫び、トリの体を引き寄せる。


 ミチルがすばやく塔の壁の影に回り込み、扉の留め金を外す。

 リヒトがシュレッケンの注意を引き続ける中、ルチルがトリを支え、ミチルと一緒に籠の外へと飛び出した。


「逃がさんぞ……貴様らごときが、我から“あれ”を奪えると思うな!!」


 塔を出た三人に、夜風が吹いた。月明かりの下、森の奥へ走り出す。

 背後では、王の怒りが、まるで追いかけてくる獣のように迫っていた――。


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