令和の初めに、『オルテナ・ストーリー』という乙女ゲームが流行ったことがあった。
面白いから息抜きにやってみろ、と姉貴に布教されて、僕もクリアした。
もうずいぶん昔の話だ。
まさか、過労死したらそのクリア後の世界に転生しただなんて、誰が予想する?
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アロナス王国。
オルテナ信教を国教とするこの国には、絶対の王がいる。
賢王オルベリス。
果断にして無類の才気と叡智に満ち、数年前の王太子時代から国政を支えていた。
また、この年若い王には、臣下を魅了するもう一つの特色がある。
眉目秀麗。まるで麗人、つまり女性と見まごうほどの美貌である。
その氷像のように冷たく輝く容姿に、心を掴まれて抜け出せない者も多い。
その美貌と、才知の牙に、ついた呼び名が『麗獣王』。
というのが、僕の現在の主君です。
怖いよね。そんな完璧超人。
オルベリス王は、今日も玉座に座って、謁見の間で宰相たち臣下から政務報告を聞いている。
オルベリス王は、だだっ広い謁見の間の奥で、今日もため息を一つ。
物憂げなその顔は、いつにも増して美人さんですね。
そんなオルベリス王は、今は臣下である伯爵の陳情を聞いています。
地方領主である伯爵は、自分の領地の税制を問われて、その正当性を認めて欲しいとのこと。
「――であるからして、領都内の公共井戸の使用に対して税をかけることは、民衆の望みとして、正当であると思っています!」
ふむ、と麗獣王様はうなずくだけ。
そのお顔は少し眉がひそめられていて、少し不機嫌そう。
麗獣王様の微妙な空気を察して、周りの法衣貴族や宰相たちも、何も言いません。
実に硬い空気です。
なので、僕はおどけて言いました。
「あー、あー、水の使用にお金がかかれば、民草は渇いてしまいます。飢えはしのげることもあれど、お金がなければ水が飲めないのならば、無一文の貧民はたちまち息絶えてしまうでしょうね?」
伯爵の顔が、ぐむ、と歪みます。
まさにその場の貴族方の言いたいことだったのか、黙してうなずく方もいました。
伯爵様はそのことが気に入らないのか、こちらに向けて声を荒げます。
「黙れ、卑しき身分の分際で! 貴様のような『愚かな』ものに、何がわか――」
そのお言葉を、麗獣王様が、厳かに遮りました。
「黙るのは貴様だ、ブルモン伯爵。――それなる者は、『何を話してもいい』し、その話を『誰も耳に入れなくてもいい』ことを、ほかならぬ余が許している。故に、その者は『ここにおらぬ』存在だ」
存在しない者に対して怒りを見せるのは、それこそが無礼。
相手もいないのに、勝手に怒っていることになりますからね。
だから、僕は勝手に言い続けます。
だって、僕はその地域のことも、知ってますからね。
「しかし、ブルモン領は地下水源がとても豊富。とてもとても豊富なのです。私用の井戸はみんなが掘って勝手に使っているし、貧民街には湧き水の闇井戸がございます。そんな中で、混み合う井戸の使用を避けたいと思う富裕層もたーくさんおられるでしょう」
僕の言葉に、ブルモン伯爵は、驚いたように目を見開きました。
ええ、そうです。
基本的に、水は人間の命綱です。
そこに、金銭などの、配分外の使用制限をかけてはいけません。
それはこの王国でも、厳しく禁止されています。
いわゆる水利権の問題ですね。
ですが、民衆に必要以上の水源が担保されているなら話は別。
今度は金銭を払って利便性を確保したいと思う層が出てくるのは、当然ですね。
麗獣王様は、僕には視線を向けず、伯爵に目を向けました。
「ふむ。余にも、地方領土の地理はまだ、把握し切れておらぬところがある。――ブルモン伯爵よ、貴公は、民を渇かせてはおらぬと、余に申し開けるか?」
「も、もちろんでございます、オルベリス国王陛下! このブルモン、誓って、我が民草から水を奪うような真似はしておりませぬ! 信至らぬならば、この首を差し出しても良い覚悟にございます!」
なるほど、なるほど。
どうやら伯爵は、王様の理解を得られたようです。
政敵の告発で王宮に出頭してきた伯爵ですが、首は繋がりそうなご様子ですね。
「あいわかった。今回の召喚は不問とする。ブルモン伯爵、下がって良い」
「王のご慈悲に感謝いたします」
伯爵が、謁見の間を退出していきます。
その後ろ姿は晴れ晴れと胸を張った、堂々としたものでした。
伯爵が退出した後には周囲の法衣貴族たちが何やら話し合っています。
けれど、そんな中で、麗獣王様が頬杖を突きながら、空いた方の手を軽く挙げられました。
はいはい、ご用ですね。
僕は玉座へとてくてく歩み寄ります。
この衣装は、歩きにくいったら仕方ない。
そばに寄った僕を、麗獣王様は一瞥もせずに抱き寄せました。
視線は合わせないまま、僕を抱きしめて頬ずりをなさいます。
真顔で。
その様子を見て、忠臣の方々は苦笑なさっておりました。
また、王のお稚児趣味が出たか、とでも言いたげです。
ですが、誰にも文句は言われません。
なぜなら、僕はこの場に『存在しない』からです。
存在しない者をどれだけ愛でようとも、それは誰にも咎められようがありません。
「ありがとぉー、そんな事情、知らなかったよぉ、マクガフィン」
「お任せを」
誰にも聞こえない可愛いつぶやきに、僕は短く返します。
僕は助言者。
このゲームをクリアして、現代の知識を同時に持つ転生者マクガフィン。
だけど、ここでは僕は『存在しない』愚か者、として扱われます。
ひらひらしたトンチキな服を着て、誰も知らない、トンデモ話を勝手につぶやく『愚か者』。
ときに、その愚かさは何か天より『与えられた』ものとして、地球の西洋文学にも描かれた役職。
それがこの世界の僕の役職、『宮廷道化師』であるのです。