詮議、とも言える謁見が終わった後で、オルベリス王は言われました。
「余は休息を摂る。後の政務は、執務室へ回せ」
その美麗な声音の前に、臣下の貴族方は片膝を突いて、深く頭を垂れました。
玉座から立ち上がるオルベリス王の後を、僕はちょこちょこと着いていきます。
どんなときでもおそばに。
それが、僕の受けた命なのです。
やがて、謁見の間を離れ、王の寝室へと参ります。
オルベリス王は、この宮殿の中に、四つの私室と、寝室を一つお持ちです。
寝室に入ると、ベッドを整えていた侍女長様がこちらに気づき、礼を向けます。
王は手を軽く挙げると、侍女長の退出を促しました。
本来は、侍女が室内を出ることなどあり得ません。
黙したまま一言もしゃべらず、部屋の隅で空気と化して主命を待ち続けるのがお仕事です。
ですが、侍女長は心得たもので、一礼して本当に部屋から出て行ってしまいました。
この寝室には、オルベリス王と、道化師の自分の二人きり。
「ああ、疲れた!」
王は天蓋付きの広々としたベッドにマントを脱ぎ捨て、礼装のままシーツに飛び込みました。
「……何か言いなさい、マクガフィン」
「名を呼ばれましても。僕は、存在しない道化師なれば」
マクガフィン、と自分の呼称を呼ばれ、僕は体裁を保ちます。
もちろん偽名です。
本名は捨てました。貴族籍にも記されなかった、庶子なので。
「ん」
オルベリス王が、ベッドの上で、こちらに向けて両手を広げます。
「オルベリス王の寝所に踏み入るなど、恐れ多いですよ」
「イリース! 二人きりの時は、わたしはただのイリースよ、マクガフィン!! 兄様の代わりは、人前だけで勘弁してちょうだい!」
そのように、『姫様』はわがままを仰せです。
この乙女ゲーム『オルテナ・ストーリー』。
その攻略対象の一人である王太子オルベリスは、メインルートでは即位後にその権威でヒロインの身分差のある婚姻を認める、いわゆるサブ攻略対象の一人ではあるのですが。
現在、本物の『オルベリス』は、王国から、その姿を消してしまいました。
即位間もない時期に、王政を支えたキレ者王太子の失踪。
これを危ぶんだ重臣たちは、非常にマズいと考えました。
そこで出された案が、ゲーム中ではヒロインのサポートキャラだった存在の『王女』。
オルベリス王太子の双子の妹、イリース王女を替え玉として仕立て上げることだったのです。
重臣たちは、かの麗しき獣、『麗獣王』が偽物であることを知っています。
ですので、政務のほとんどは重臣たちが手分けして回してはいるのですが、それでも王ご自身が裁可を下さないといけないことは、山ほどあります。
そこで用意されたのが、僕です。
王の政務を補佐する助言者。王の暴走を止める諫言者。
そして、
「はいはい、イリース様」
「よろしい!」
王の寝台に横たわり、僕はイリース様に身体を抱きしめられます。
勇猛才知の王とうり二つの妹、イリース様は長身です。
いわゆる『男装の麗人』に抱きしめられ、僕はぬいぐるみのように愛でられてしまいます。
「癒やされるわ、マクガフィン。もっと、わたしを支えてよ。貴方がいなければ、わたしは何もわからないわ」
「恐れ多いことでございます、イリース様」
そして、この姫を、『麗しき獣』へと装わせる役割なのですよ。
僕はささやきます。
「いけませんよ、姫様。こんな小柄で年端もいかない道化などを、寝台に連れ込んで、押し倒してしまわれるのですか?」
その小さなささやきに、姫様が一つ、ぶるり、と震えて、妖しく笑います。
「ええ、そうよ。マクガフィン。貴方のような幼げな少年を押し倒し、この手が、その体躯の線をなぞるのよ……?」
「いけませんね。とてもいけません。衣装の隙間から手を差し込まれ、肌触りを確かめられるのでしょうか? ……はたまた、鍛えていないこの身体の、『男』とも言えぬほど弱々しく柔らかな肉付きに触れられますか……?」
「ええ、そうよ。私の道化。貴方は男にも関わらず、わたしのような女の細腕に良いように撫でられて、その己の『か弱さ』に恥じらいながら、わたしに抱かれるのよ……?」
言葉を口にするたびに、『ぞくぞく』と姫様の心のしびれが伝わって参ります。
僕は道化。か弱い道化。
彼女はそれを確かめる、『男』よりも強い『王』。
姫様がクスリと妖しく笑うたびに、僕の心は満たされます。
「ねぇ、マクガフィン。確かめさせて……? 貴方がいることを、わたしに確かめさせなさい……?」
「姫様の仰せならば……致し方ありませんから。どうぞ、優しくお願いしますね?」
朝と言わず、昼と言わず。もちろんのこと、夜とも言わず。
姫様と僕の『儀式』はいつでも行われ、続きます。
僕は道化。存在しない者である道化師。
その道化師を、『確かめ』られ続けますのが、この麗しき獣の王。
それが、この王宮の日常であるのです。
「貴方が何を知ろうと、たとえどんなに賢かろうと。わたしに押し倒されるのが貴方なのよ、マクガフィン。ねぇ……わかっているかしら……?」
「ああ、いけません。それはとても、いけないことなのですよ、お姫様……」
麗しき獣の、牙にかみ砕かれる。
僕は、ただの、自身を否定されるための『生け贄』に過ぎないのです。