すぅすぅ、と眠るイリース姫をそのままに、僕は寝室を抜け出します。
威厳に満ちた王のフリは、周りの重臣たちの理解があるとは言え、神経を削ります。
今は休んでいただきましょう。
僕は王のおそばにはべることが勤めではありますが、基本的に自由行動でもあります。
僕は存在しない者。
王宮のどこに入ることも許されています。
ただし、何かあったとき、僕を助ける『義務』は誰一人負いません。
普通に助ける『慈悲』くらいは受けますし、使用人の方と話を交わすこともありますが。
でないと、日々の食事も用意されないことになりますのでねー。
そんなこんなで、王宮の中をてくてくと歩きます。
実は、お目当ての場所がございます。
僕は、やがてそのお目当ての部屋へとたどり着きました。
オルベリス王の、執務室です。
「失礼しますね」
「お前に礼は必要ないだろう、マクガフィン。代わりに、お前に礼を向ける者もいない」
厳しい事実です。
僕は苦笑を隠しながら、お辞儀をしました。
王の座るべき執務室の机で、政務を片付けていた人物――
先ほど、王の寝室を退室した、『侍女長』へと向けて、ぺこりとお辞儀を一つ。
僕は、おどけて言います。
「お待たせしました、『オルベリス王』」
「良きに計らえ」
表情も視線も動かさず、侍女長の姿をしたオルベリス王は、答えられます。
貴族の一庶子であった僕に目を付け、宮廷道化師として拾い上げられた賢君オルベリス。
その、今のお姿が、この美女の部類に入る、侍女長のお姿なのです。
このいきさつを話すには、オルテナ・ストーリーのクリア後のこの王国に、『何が起こったのか』、それを話さなければなりません。
ヒロインのパラメーターを伸ばし、ときに戦闘をこなしながら意中の攻略対象との仲を深めていく、RPG混合型乙女ゲーであるこのゲーム。
メインストーリーは、女神オルテナの寵愛を受けた下級貴族のヒロインと、上級貴族である騎士団長の二人が結ばれ、王国の歴史を陰で呪い続けていた悪しき女神の怨念を打ち払い、王国を救う。
という、王道ストーリーでした。
その後、この世界では、聖女であるヒロインと騎士団長は謀殺されていました。
二人とも、亡くなっていたのです。
貴族たちは元より、二人の中を支援していたオルベリス王やイリース姫も、大層悲しまれたそうです。
僕が王宮に拾い上げられたのは、その頃。
二人の死の真相を探るために、異端の知識を見せる庶子として冷遇されていた僕が、オルベリス王に『売られ』ました。
二人は、なぜ死んだのか?
何が原因で、それは誰かの仕業であるのか?
何かの魔法か、あるいは呪いの名残などが作用しているのか?
それを、原作の裏設定などと照らし合わせて調べようとしたときに、さらなる事件は起こったのです。
そう、
「このような女子の姿でも、まだ余を『王』と仰ぐか、マクガフィン?」
「僕にとって、主君は永遠にただ一人でございますれば」
ふ、と侍女長は冷たく笑います。
「相変わらず、心にもないことを言う」
「それこそが勤めでございます」
本心なんですけどね?
どうも、この世界の人たちに、僕の本心は伝わりにくい。
僕も、幼少期の育ちもあって、自分がまともな人間だとはまったく思っていませんが。
オルベリス王は立ち上がり、ひざを突く僕の目の前で、メイド服の長いスカートの裾をたくし上げます。
その白いガーターベルトの付け根にあるのは、女性と男性、その両方。
また履いていませんね、王よ?
確かに女性ものの下着では、男性の部分が邪魔になるのはわかるんですけど。
「舐めよ」
「かしこまりました」
差し出された主君の細いつま先に、道化は舌を這わせます。
そう――
ヒロインたちの失踪の後、王国にはさらなる事件が起こりました。
オルベリス王が、その姿を女性へと変じてしまったのです。
細い肢体。薄い肉付き。
オルベリス王の持っていた魔法の才ゆえか、完全には女性へと変わることはありませんでした。
悪しき女神の呪いを半端に阻んだせいでろう、と賢君は見積もっておられました。
なるほど、確かに。
新たなるそのお顔には、原作で描写された悪女神のグラフィックの面影があります。
「それで良い、道化よ。我が最愛の妹を、この国の王を支えよ」
「元より、そのつもりでございます。我が王」
姿が変わったことをイリース姫に伏せて、王はただちに身を隠しました。
騎士団長の死に続き、王の異変。これが民衆に知られれば治政が荒れるからです。
重臣たちの補佐により、即座にイリース姫が失踪した王の身代わりに立てられました。
そして、真相を知る重臣や僕の推薦によって、お姿を変えられたオルベリス王を、身元をでっちあげてイリース姫の侍女へと推薦し、雇用された。
というわけで。
そんなこんなで、今の面倒極まりない状況が、できあがってしまったのです。
まぁ、そんなことは半分どうでもいいとして。
「そろそろイリースの様子を見に戻らねばな」
「まだぐっすりとお休みですよ」
僕がそう言うと、オルベリス王は、妖ふふっ、と艶めいて微笑まれました。
「主君の目覚めにそばに居らぬ、では侍女としての勤めが果たせまい?」
そうですね。
本心では、愛しい愛しい双子の妹の、寝顔が見たいだけのクセに。
あわよくば、衣服のお召し替えもさせたいんでしょう?
彼女の、女性として完成された肢体に触れながら。
でも、それは言いません。
事情を知るオルベリス王が、替え玉のイリース姫の日常のお世話をすることは、重臣たちも認めたことです。
生活も政務も補佐できて、秘密がバレにくいですからね。
「……我らはともに、イリースを『王』の座に仕立て上げる身の上。つまりは共犯者と言える。――存じているな、道化よ?」
「心得ておりますとも、オルベリス王よ」
うやうやしく、頭をお下げします。
真顔の裏に、とても楽しさを感じます。そうでしょうね。
今までの『王』としてのくびきを解き放たれ、その才知を抑える必要もなく、そして最愛の妹のほど近くにはべり続けることができるのですから。
王よ。
あなたは僕にとって、とても興味深い存在です。
あなたがこれから何をするのか、それを考えたら。貴方がいるからこの、地球と異なる世界を生きていくのも面白い、と思えるくらいには、ね。
「余を王と呼ぶな。――『私』の名はティアマトですよ、マクガフィン」
「かしこまりました。ティアマト侍女長」
僕は薄く笑います。
僕はオルベリス王にのめり込み、依存しているとも言えますが。
オルベリス王はイリース姫へと深い依存心を向けております。
そのイリース姫は、道化の僕に依存しきっているこの関係。
相思相愛は一つも無い、この『三角依存』とも言うべきこの関係。
とても愉快で、素敵で、気楽ですね。
こんなに、美しいほど不実な関係が、地球にあったでしょうか?
僕は本心から笑います。
異界よりの『道化』として、僕は、この兄妹とともに在るのです。