とまぁ。
謎は山積みなのですが、日々の政務はこなしていかねば、国は回りません。
この異世界はゲームの舞台、ではなく、異世界人の暮らす一つの現実社会なのですから。
「軍事費はこんなに必要なのか? 今は戦争など、起こらないでしょう、マチス宰相」
「必要です。削られてはなりません、陛下」
むぅ、と納得いかない『麗しき獣』のオルベリス王陛下。
僕はいつものように、誰にともなく声を上げます。
「ああ、ああ。可哀想な兵士たち。彼らがにらみを利かせているからこそ、この世に平和が保たれる。にらみを利かせている国を攻める馬鹿が周りにいないためです。なのに、その平和の中で『無駄飯喰らい』の汚名を着せられてしまうとは」
初老の重臣、マチス宰相が無言でうなずきます。
もちろん、こちらに視線は合わせません。
僕は続けます。
「『何も起こらない』を保つことこそ、軍の仕事。勝利の最良は、『完勝』ではなく『不戦勝』であるとも申します。いずこかの国では、ときの君主が軍にこうも言われたとか……」
「なんと言った、マクガフィン?」
王の掟破りの質問に、僕は答えます。
実際には、よく掟破りされているのですが。
「『軍が国民から真に歓迎されるとき、それは国が混乱に直面しているときである。――言葉を換えれば、君たちが日陰者であるときの方が、国民たちは幸せなときなのだ。どうか批難などに負けないでもらいたい。この国の将来は、君たちにかかっている』……と」
ぱちぱち、と小さな拍手が聞こえます。
「良い言葉ですな、王よ。空耳ですが」
「……耳にいたい空耳だ」
マチス宰相の制止もあって、軍備縮小は免れました。
地理的にも、日本みたいな島国ではなく大陸端部の臨海国なので、陸・海軍の双方の防衛力は削れません。
普通に侵略されますからね、この世界。
まぁ、さっきの言葉は昔の日本の首相から、当時の自衛隊に向けられた言葉をもじったものですが。
ご納得いただけて、何よりです。
「堅苦しい話は終わりよ、こっちに来なさい、マクガフィン!」
羊皮紙を投げ出すオルベリス王に、マチス宰相が苦笑します。
「陛下。今日の政務は片付きましたが、そのような口調と態度は、いかがなものかと……」
「わかっているわ! わかってはいるけど、今日は『王』の時間は終わりよ! 抱きしめさせなさい、マクガフィン!」
「はーい」
とてとてと、僕はオルベリス王の椅子に歩み寄ります。
机の反対側から、決済済みの書類を束ねるマチス宰相――と、もう一人。
侍女長ティアマト様が、僕を見て薄く笑われました。
動きの上ではマチス宰相を手伝っているだけですが、意図は存じております。
わかってますよ。
この、イリース姫のご機嫌と、心を保つのが僕のお役目ですものね。
等身大ぬいぐるみみたいに抱き上げられて、頬ずりされて「やわらかーい」とか静かにはしゃがれましても、それを指摘してはなりませんね。
賢君オルベリス王は、麗しくあられなければ。
重臣たちよりティアマト様より、イリース姫ご自身がそれをお望みなのですから。
だから、上着の裾から胸元まで自然に手を滑り込ませるのはお控え下さい、王よ。
あー、いけませんいけません陛下。それ以上はこまりますー。
「ときに、陛下。これは明日にでも陳情書が上がると思うのですが」
「なんだ、マチス宰相」
急にキリッと表情を引き締めるオルベリス王。
右手が僕の服の中に入ったままなのですが?
「王都の役人が、市街区の石畳の補修を行いたいと申しております」
「そうか。陳情書が上がれば許可する」
「予算がありません。予定されておりませんでしたので」
マチス宰相の返しに、オルベリス王は少し考え込みます。
そのまつげの長い瞳が細められ、ふむ、と潤った薄い唇が小さく動きます。
僕がいつものように戯れ言を言おうとすると、オルベリス王の空いた手が、僕の口を塞ぎました。
そして、王は仰せになります。
「社交費に予備予算がある。おおかた、先日のブルモン伯爵が失脚していた場合に、新領地を手に入れんと望む者たちが画策していた、人望集めの社交会の予算が『予め』計上されていたんだろうが。――それを使え」
ブルモン伯爵はいまだにご自分の領地を経営されております。
ですが、以前の水への課税は、事情がなければ本来はかなりの重罪。
そこを指摘して領主を失脚させ、水源の豊かなブルモン領を手に入れたい。
そんな風に、計画してらした貴族たちがいらっしゃった、というわけですね。
しかも、予算案作成の段階で組み入れられるほど、周到な計画として。
「かしこまりました、陛下。夜会の中止で、不満が出たらどうなされます?」
「出ぬ。余が、その予算の使用を許した、ということは『そんな計画など見通している』ということだ。その意をくみ取った小悪党どもは、小細工で国を荒らそうとしたことを罰されることを恐れる。何も言えまい」
伝わらずに声を上げた浅慮な貴族は、この王たる獣の、牙に狙われるわけですね。
おお、恐ろしい。
「ただし、条件がある。市街地の石畳の整備は、人足に貧民を雇え。有給で、だ」
「元よりそのつもりのようです。どうやら、騎士団長の空席によって荒れかねない治安を保つために、先に貧民に食い扶持を与えたいようでございますね」
さすがは陛下、ご慧眼です。……と、マチス宰相はうやうやしく頭を下げます。
オルベリス王は、抱きかかえた僕を見て、ふ、と微笑みます。
王よ、この場に僕は存在しない人間ですよ?
「貴方も、同じことを言おうとしたでしょう、マクガフィン」
「……滅相もない。王の叡智に並ぶ道化の戯れ言など、在るはずもありませんよ?」
見抜かれていますね。
別に、イリース姫は無能でも世間知らずでもありません。
元々は相応の教育を受けた、民を思う立派な『王族』のお一方なのですから。
ただ、民優先になりがちな思考なので、貴族と渡り合い国家を運営する『政治』の部分を、我々が補佐している、というだけの話です。
この国には、強い『王』が必要なので。
「ティアマト様。宰相閣下の椅子の後ろに、書類が落ちているように見えるのです」
「そう? ……何も落ちていませんよ、マクガフィン」
ティアマト侍女長が宰相の背後を確かめ、元の位置に戻ります。
その悪女神の面影のあるお顔は、とても紅潮されてらっしゃいますね。
妹君の『王』への成長が喜ばしいですか?
妹君の凜々しいご表情とお声に昂ぶられましたか?
どちらでも良いですけど、室内の片隅でこっそり絶頂するのはやめてくださいね。
イリース姫に貴方の正体がバレたらどうするんですか、我が主君?
まったく、もう。
山積みになってる、この国の『謎』なんて、いつ解き終わるんですかねぇ?