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カイジュウ・スケイル
カイジュウ・スケイル
鏑吉丸
BL現代BL
2025年05月25日
公開日
7万字
連載中
(毎日17時〜17時5分更新) 【売れたいバンドマンが、歌詞の書き方を教えてもらうために売れてるバンドマンと出会ったら秒で恋に落ちた話】 インディーズロックバンドのボーカル・幸助はろくな歌詞が書けない。 メジャーデビューするため、バンドメンバーに「作詞の講師」として紹介されたのは、売れっ子バンドのボーカル・櫂(かい)だった。 作詞を通して急速に仲を深めていく二人だったが、ある日幸助は櫂の歌詞におかしな点があることに気付いて…… ノンケ攻め×あざとい受けのラブコメBL、かと思いきや後半で色々ひっくり返る純愛BLです。 ノンケが相手に振り回されながらジタバタ片想いしていく様と、何やら裏がありそうな受けのクソデカ感情をお楽しみください! illustration by comm様

プロローグ

八月。苗場。グリーンステージ。


夏の風物詩、大型野外音楽フェスの二日目はあいにくの曇天で始まり、午後二時を過ぎて小雨がパラつき始めた。

主催は複数箇所で雨具を売り、観客はそれを横目に「濡れてもいいや、気持ちいいし」と笑う。フェス会場の熱気は雨如きで落ち着くはずもなく、むしろ荒天であればあるほど盛り上がるものだ。

朝9時から夜21時まで、雄大な自然と大きな空の下、大小五つのステージで鳴り響く極上の音楽たち。

寄せては集い、引いて離れてまた集い、人の波は音楽に導かれて広い会場を絶えず流れる。

一つのステージに集まった群衆は、同じタイミングで手を上げ、声を上げ、音の海の中で快楽に溺れる。

その中心にバンドがいる。アーティストがいる。彼らが震わせた空気は、そこに集う人々の五感を通って魂をも震わせる。


フェスは、会場そのものに麻酔のような効果がある。

その場にいるだけで非日常に酔い、普段気になることも気をつけていることも、意識の外に追いやられる。

音楽という麻薬によって気持ちも大きくなる。今ならなんでも出来る気がしてしまう。この世界に怖いものなんかないと思えてしまう。

雨足が強くなってきても、観客の数は一向に減らない。雨ガッパを羽織る人が増えるだけで、その熱は変わらずステージへ注がれ続ける。

5組目のステージが始まる頃、雨は土砂降りになっていた。

観客は頭から爪先まで濡れそぼりながら、それでも音の海に留まり歌い、踊り、笑って手をあげた。

機材さえ守られればフェスは続く。音楽が鳴る限り熱は冷めない。

年に一度の夏フェスだ。雨風嵐がなんだ。

音楽を止めてはいけない。来年の夏はまだ先だ。今年の夏にやりたいことを、やり切るまで。


その日、主催はライブ中断の判断を下すのが少し遅かった。


「俺」は観客の波の中にいた。周囲の熱に浮かされて、雨の強さは全く気にならなかった。

ただ視界を遮られるのは邪魔だった。キャップの鍔を伝って垂れる、ちょっとした滝も鬱陶しい。

何度も鍔を手で拭い、「俺」は食い入るようにステージを見つめていた。


ステージの中心にいるのは、ギターをかき鳴らす男。

彼の奏でる歌声は美しく、紡ぐメロディは儚く、脈打つようなリズムは心地よく、「俺」は彼の作るこの空間が好きだと思った。


ずっとここにいたいと思った。彼の想いをもっと汲み取りたいと思った。

けれどなぜか、どんなに耳を傾けても、彼が歌う歌詞が聞き取れない。


周囲が腕を上げ、リズムに合わせて左右に振り始めた。けれど「俺」は何もできなかった。

金縛りにあったように突っ立って、ただわけのわからない衝動と闘い、拳を硬くするだけ。

音楽はもっと自由なはずだ。なんでこんなに苦しいんだろう。なんでこんなに、思うように動けないんだろう。

彼の曲紹介のMCも、言葉が理解できない。駆け出して近づきたい。ステージに登って彼に伝えたいことがたくさんある。

なんで? なんで「俺」はここで、彼を見ているだけなんだろう?


曲が始まる。熱狂する観客たち。棒立ちの俺。彼は楽しそうに歌いはしゃぎ、土砂降りの曇天を見上げて笑う。

ラスサビ前のCメロで、彼は高音を切なげに歌い上げた。

その美しく強いエネルギーに導かれるように、突如、落雷が彼を襲った。


光と音の爆発。空気と足元が震えて崩れる。

強く目を閉じたその瞬間、目が覚めた。


自室の天井を呆然と見つめながら思ったことは、彼にもう一度会いたい、だった。


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