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1:はじまりのロックンロール

平日の夕方、吉祥寺の居酒屋チェーン店にはロックンロールが凝縮されている。


開店直後の閑散とした店内に響き渡るのは、男ばかりのむさくるしい話し声。

座敷の最奥を多い時は15人ほどで占拠して、ハッピーアワーの恩恵に預かり生ビールとレモンサワーのジョッキをひたすら空にする。

つまみはお通しの塩キャベツと枝豆だけ。人数と卓上のジョッキ数が合わない。灰皿はすぐに吸い殻で埋まる。安酒と副流煙を味わうことなく吸い込んで、それでも彼らは楽しそうに笑う。

彼らがバンドマンであることは、会話を聞かなくとも壁際に立てかけられた何本ものギターケースで察する事ができる。

容姿はバラバラ。タトゥーの入った強面もいれば、不健康そうなもやしもいれば、サブカルを絵に描いたような髭眼鏡も複数人いる。

一見して彼らに境界線がないので、どこまでが同じバンドで、どこからが同じ楽器担当なのかは会話を聞かないと判断ができない。

同系統の容姿が同じバンドのメンバーである事は少なく、屈強そうな筋肉マンがドラムであるとも限らない。


多様な男たちが平日まだ日のあるうちから安酒で酔い、煙草片手に大声で語るのはいつも、音楽のこと。

付き合ってはいけない3Bのうちの一つという不名誉な肩書きのあるバンドマンだが、その理由は他でもない。

彼らとって音楽以上に愛しているものはないからだ。

酒も煙草も女も、ロックンロールの全ては結局、音楽のためにある。クソみたいな経験を音と歌に変えて世に突き出す事こそがロックだ。真っ当な音楽をやりたいと願う者はあれど、真っ当な人生を生きようと考えているバンドマンは少ない。

平日夕方、吉祥寺の居酒屋チェーン店に集うインディーズバンドマンには、特に。


美園幸助みそのこうすけはまさにその一人だ。

ロックバンド・Pinkertonピンカートンのギターボーカル、24歳。

大学を中退し、バンド一本で生きていこうと腹を括ったあの日から5年。彼は今日も、古着のくたびれたTシャツでハーフパンツからのぞく膝を掻きながらジョッキ片手に吉祥寺の居酒屋チェーン店で口を尖らせている。


「いや違うんですって! 俺夢なんか普段全然見ねぇのよ! なのにこ~んなはっきり覚えてるなんておかしいなって思って!」

「だからって夢占いはねぇよ! 女子中学生かよお前」


幸助こうすけを笑い飛ばす男の腕にはゴツめのタトゥー。

その日は珍しく、数年前から世話になっているギタリストの田中が同席していた。メジャーで活躍する有名バンドの大御所で、頭の上がらない先輩の一人だ。

幸助は、田中に噛み付けない代わりに逆隣の派手な男に食ってかかることにした。髪の色は蛍光グリーンでグラサンのフレームは蛍光ピンク、ブルゾンの柄はおもちゃのパッケージよりもカラフルで、先ほど田中から「存在が目に悪い」と言われた男だ。


Pinkertonピンカートンのギタリスト、通称ゴン。本名は権田原謙蔵ごんだわらけんぞうというのだが、本人が嫌がるのでどこに行っても「ゴン」で通している。


「ちょっとゴンちゃん、な~んで田中サンに言っちゃうんだよ」

「だって面白すぎんだもん。珍しく真面目な顔してなんか調べてんなと思ったら、ゆっ、夢占い……!」

「マジ顔で! 夢占い!」


酒が回った男たちは、一度ツボったネタを何度も繰り返す。

今日の餌食は幸助の些細な行動のようだ。田中の大笑いに釣られて隣のテーブルのバンド仲間も首を突っ込んできた。

幸助が止めるのも聞かず、ゴンは嬉々として同じ説明を繰り返し、幸助は身を乗り出して弁解を繰り返す。


「だからぁ! 普段夢を見ない俺が珍しく夢見て、それがなんかフェスの夢で、予知夢かなって気になってさぁ!」

「へぇ、なんのフェス? シャイフェス? RRJ?」

「多分シャイフェス」

「あ~、ピン助の夢だもんな」

「でもだからって夢占いはなくね?」


またひと笑い起きて、幸助はいよいよ顔をしかめた。

ウケを狙ってやったことなら嬉しいが、自分なりに真剣に悩んだ結果やった事をここまで笑われるといくら先輩でも不愉快だ。

どう言い返してやろうかと回らない頭で考えあぐねていると、穏やかな声が場を鎮めてくれた。


「夢ってのは、脳が記憶を整理する過程で再生されるものなんだ」


全員が声の方を見た。

隣のテーブルで煙草片手にトマトジュースを飲む、黒々とした美しいストレートヘアを後ろで一つに括った男。

小綺麗な身なりと端正な顔立ち、そして華奢なフレームの眼鏡が他のバンドマンと一線を画している。


「だから幸助が見たっていう夢は予知夢でも暗示でもなんでもない。お前の夏フェスの記憶が他の記憶と混じって流れただけだよ」


平川佑賢ひらかわゆたかPinkertonピンカートンのドラマー、24歳。

幸助と高校時代にPinkertonを組んだオリジナルメンバーの一人だ。

見た目に違わぬ知能指数の高さで有名大学の法学部卒だが、華やかな法曹界には進まずアングラなインディーズロックバンドのドラム兼マネジメント、ディレクションに命を燃やしている。

現在、Pinkertonの活動、運営については全て佑賢ゆたかが仕切っており、その手腕のおかげで幸助たちはバイトもせず音楽だけで食っていけているのである。


佑賢は同世代のバンドマンたちからも一目置かれる存在だ。

だから今も、佑賢の言葉を笑いに変えようとする者は誰もいなかった。

先輩の田中ですらもまともに言葉を受け止め、「だってよ!」と幸助の肩を乱暴に叩く。

皆「そうなんだ」「知らなかった」と口々に言い、話題は夢と脳のメカニズムについて佑賢に質問する流れへと変わっていく。


幸助は苦笑いで田中をかわすと、横目に佑賢を見やった。

すでに話の中心から退いている佑賢は穏やかに微笑むだけで何も言わず、トマトジュースを傾けている。

兄弟よりも濃い付き合いの中で、佑賢に助けられたことはあれど佑賢を助けたことは片手で数えられる程度しかない。

だからバンドメンバーと言えど幸助も佑賢には頭が上がらない。今もまた、何千個めかの借りを作ってしまった。いつか必ず返すと常々言い続けているが、佑賢の返事はいつも同じだ。

『じゃ、メジャーデビューしてアリーナツアーやれるくらいまで売れる曲作ってくれよ』

これを言われてしまうと、幸助は苦笑いを返すことしか出来ない。


「そういえばピン助、メジャーの話どうなったよ。こないだトーシバの高橋さんと話したんだろ?」


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