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6:世界の色が変わった日

「とりあえず、」


数分にも感じられた長い沈黙を破ったのは、八坂櫂やさかかいだった。

初対面の人間と二人きりである事を気にする様子もなく、朗らかに笑う。


「ドリンクバー、取ってきましょっか。で、落ち着いてからもう一度説明するね」


その微笑みがやけに胸に残った。

そうスね、と小さく同意しながら、鼓動の高鳴りに気付いて深く息を吸い込む。

いい加減動揺するのをやめようと、胸の内でALLTERRAオルテラがなんぼのもんじゃいと繰り返す。


先に席を立ったかいが前に立ちドリンクバーエリアを目指した。

この席からだとL字に折れた角に隠れているのだが、探すような素振りはなかった。芸能人も駅から遠いファミレスなんか利用するんだな、なんて思いながら、黒いハットの後頭部を見つめる。


想像よりもずっと背が小さかった。目測で170いってないんじゃないかと、幸助は思った。

服装も相まって全体的に若く見える。

そういえば年は幾つだっけ? そっとスマホを取り出し検索すると、かっこいいアー写と共にwebページが教えてくれた。

23歳。一つ下。思ったよりも歳が近くて目を見張る。


「幸助くん、氷は?」


立ち止まった途端名前を呼ばれて、今考えていた事が全て吹っ飛んだ。

え、と小さく溢してしまってから、慌てて首を振る。


「いらない……です」


つい忘れそうになって慌ててつけた語尾に、櫂はくすりと笑った。「じゃあ俺もいいや」とつぶやいて、氷用のトングを置く。

グラスを受け取ると、何も考えずに目についたボタンを押した。カルピスなのかカルピスソーダなのかもよく見ていない。櫂は烏龍茶を注いでいる。


「知ってるかもだけど、俺の方が年下だからさ。タメ口でいいよ」


さっき年齢を調べていた事は、前を歩いていた櫂にわかるはずがない。どきりとしてしまったが、ただの偶然と思い直した。


「じゃあ、そうする」


ギクシャクと笑ってみせて、幸助は足早に席へ戻った。背中に櫂の気配を感じる。


そういえば、店内の客は気付いていたりしないだろうか。

ALLTERRAの八坂櫂だなんて騒がれたら、一緒にいる俺はどうなるんだろう。友達のフリをすればいいのか、スタッフよろしく撮影を制止したりすべきなのか。

考えれば考えるほどソワソワと落ち着かなくなり、店内の客の様子をつぶさに観察してしまう。


そんな幸助の心情を察したのだろう。

向かいに着席した櫂は、烏龍茶を一口飲んでから苦笑いと共にこう言った。


「そんな緊張しないで。俺まで緊張しちゃう」

ごめん、と反射で謝ってしまったが、すぐに「いや、でも」と続ける。

「俺、芸能人と面と向かって話すの初めてでさ」

幸助の正直な言葉に、櫂は苦笑を広げて首をかしげた。ストローを弄びながら少し口を尖らせる。

「自分が芸能人っていう意識はあんまりないんだけどなぁ。ここで帽子と眼鏡取っても多分バレないよ」

「絶対だめっしょそんなん!」

つい食い気味に言ってしまったら、思いのほか声が大きくなってしまった。身を縮める幸助をみて、櫂がやっと苦くない笑顔を見せる。

「ほんとほんと。あんま帽子とか被らないけど、街で声かけられた事なんて二回くらいしかないもん」

だからそんな固くならないで、と続けた櫂は、呑気にメニューを眺め始めた。アイス食べちゃお、なんてつぶやいて呼び鈴を押し、女性店員に対しても隠れることなく堂々と注文する。

店員の反応は特に変わらないが、少し歳がいってるせいかなと幸助は思った。

夕方以降、学校帰りの学生がアルバイトや客として増えてきたらまた違う反応が見られるのかもしれない。


アイスが届く頃には、幸助の緊張は少しほぐれていた。

ろくに会話も続いていないが、八坂櫂がいる光景にやっと慣れたのだろう。

炭酸ではないカルピスを飲み干しジンジャエールを注いでくると、幸助の様子を察した櫂がやっと口を開いた。


「じゃあ、簡単に説明します」


はい、と背筋を伸ばすと、櫂がどこか嬉しそうに笑った。まだ堅いと突っ込まれるかと思ったが、櫂はそのまま説明を始める。


「まず俺が佑賢ゆたかくんに頼まれたのは、幸助くんが日本語で作詞できるように鍛えてくれ、って事。ただし俺のオフがあと一週間しかないから、ちゃんと色々教えられるのは来週の日曜までだよって返した」

「だから来週の月曜までに、か」

「そ。短期集中講座だね。で、佑賢くんはトーシバのプロデューサーの興味が別に移らないうちにさっさと新曲出して、もう一度デビューに向けた話し合いの場を設けたい。だから、次に収録予定の三曲にまともな歌詞がつくところまで頼む、って言われた」


あぁ、とぼんやり返事をして、宙ぶらりんな楽曲たちを思い出す。

曲自体はほぼ完成していて、あとは歌詞が乗った時のアレンジ調整程度で終わるはずのものだ。完成し次第即レコーディングに入りたい、と佑賢が度々言っていたが、幸助の歌詞待ちで数週間止まっていた。


「来週の月曜までに三曲分の歌詞を完成させること。それが俺と幸助くんに課せられた課題な訳だけど……改めて、大丈夫そう?」


櫂の問いに、幸助は視線を逸らした。

先ほどは勘違いをして問題ないと言ってしまったが、改めて理解した課題の難易度に嘘でも頷く事が出来ない。どう答えるべきか、少し悩んでから幸助はおずおずと口を開いた。


「……櫂、くん的にはさ、出来ると思う? 七日間で三曲」


質問に質問を返す狡さから逃げるべく、ジンジャエールを一口含む。

ここで「無理」と言い切ってもらえたら、佑賢に電話して一曲にしてもいいかと交渉するつもりだった。しかし櫂は、幸助の期待を裏切りあっさりと頷いた。


「うん。出来るよ、絶対」


絶対、とまで言い切ったことにギョッとしながら、幸助は身を引いた。背もたれに沈みながら「いやいや、」と片手をふる。

「櫂くんは俺の歌詞のヤバさ知らないからそんな簡単に言い切れんだよ。語彙とか全然ないし、英語詞だってファンから単語練習帳って言われてるくらいで」

「知ってる」

うげ、と変な声が出てしまった。

講師を頼むにあたり佑賢が情報共有を怠るはずはないのだが、櫂は現状を知らないという希望に縋ってしまった。みるみる顔に熱が集まり、幸助は赤面を隠すべくがっくりと項垂れる。


「知ってんなら尚更さ……無理っしょ、七日間で三曲なんて」

「全部知った上で、出来ると思ってこの依頼を受けたんだよ」


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