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7:世界の色が変わった日

かいの表情は真剣だった。

黒縁眼鏡で縁取られているせいか、黒目がカラコンを入れているギャルのように大きく見える。黒々としたそこに嘲笑も同情も伺えない事が信じられず、幸助こうすけは思わず笑ってしまった。


「マジで言ってる?」

「大真面目に、100パーいけると思って言ってる」

「その根拠みたいの、なんかあんの? 実績とかさ。前も誰かに教えてたとか?」

「あるよ。もう数えてないけど、多分百回は超えてる。だから今回も大丈夫」


なんだそれ、と小さく呟いて、幸助は眉を顰めた。

櫂の揺るぎない自信が、百回以上も講師をした事があると言う大袈裟な発言により余計胡散臭く感じてしまった。

ただのバンドマンであるはずの櫂に、作詞について人に教える機会がそうあるとは思えない。デビュー前の職業と言う線も考えたが、そもそも「作詞の講師」なんて職がこの世に存在するのか怪しいところだ。

盛っているのは間違いないが、そもそも何故そこで盛る必要があるのか。

櫂にはこの依頼を達成しなければならない理由があるのだろうか?

思いつくもの言ったら、一つしかない。


「……あのさ、変な事聞くけど」

幸助が切り出すと、櫂はストローから口を離した。周囲に客はいないが、一応身を乗り出して声を顰める。


「成功報酬っていくら? 正直に答えて」


メジャーアーティストが自分の貴重なオフ一週間をインディーズバンドの作詞補助に費やすなんて、どんな額を提示すれば快諾してもらえるのか。

デビューが見えてきて佑賢の財布の紐が緩んだか、先行投資とか言って事務所ぐるみで金を用意したのだろうか。

もしそうだったらこの話はなしだ、と幸助は心に決めた。大金叩いてまでなんとかしようとしてくれるその心意気は嬉しいが、そんな無理をしなくてもどうにか出来ると啖呵を切るつもりだった。


が、緩慢な動作でグラスをテーブルに置いた櫂は、少し考えてから首を傾げこう言った。

「うーん……これ言っちゃうと余計信じてもらえないと思うんだけど」

テーブルに投げ出された櫂の右手が、コツコツと音を立てる。その拍子が何かのリズムを奏でた後、櫂は視線を上げずにポツリと言った。


「……無償でいい、って言った」

「は? タダ?」

「いくつか条件はつけたよ!」


慌てて櫂が顔を上げる。が、幸助は怪訝な表情を取り繕えない。

「佑賢くんも最後まで引かなかったけど、事務所通さない個人的な依頼だから金銭のやり取りは面倒で、って言って押し通した。その代わりにっていくつかお願いごとはしたし、俺の一週間を使うって言っても一週間ずっとつきっきりってわけでもないし、幸助くんに教えることで俺も勉強になるし、うん、ホラ大丈夫!」

「なんにも大丈夫じゃなくね?」

櫂の語気につられるように、幸助は早口にそう返した。

タダより高いものはない、なんてフレーズが頭をよぎり、一気に気持ちが沈んでいく。

「金銭のやりとりが事務所にバレたら、とかそう言うのはなんかわかるけどさ。なんでそんなやる気なんだ? 先輩後輩ってわけでもねーし、メジャーでやってるあんたが俺らみたいなのに時間と手間を費やす理由がわかんねえ。こんな事言っちゃ失礼かもだけど、なんか裏があるんじゃねえかって疑っちまうよ」


櫂が、幸助やPinkertonピンカートンに害を成す気持ちで近づいてきたわけではないのは、幸助も感じている。

そもそも佑賢がそういう人間を懐に入れるとは思えない。彼のチェックを通った人間なのだから、信用に足る人物であることは間違いない。


とはいえ、あまりにも虫が良すぎる話に混乱しているのも事実だった。

自分の今の努力がPinkertonの未来を左右するという自覚はあるが、その大事な時期を彼に任せていいのかという迷いが確かにある。


だって彼は、自分にも佑賢にもPinkertonにも関係ない、Pinkertonなど歯牙にも掛けないメジャーバンドのボーカルなのだ。Pinkertonに旨みはあっても、八坂櫂とALLTERRAオルテラには何の利点もない。


更に言えば、これがうまくいってPinkertonがメジャーデビューする事になったら、音楽のジャンルは違えど同じチャート上で争うライバルになる。

敵に塩を送るとはまさにこの事だ。

それを良しとするなんて、報酬以上に汚い企みが存在するに決まってる。


幸助の言葉に、櫂は小さく頷いた。

「そうだよね」と呟いてから、何故かスマホを取り出す。

迷いのない手つきでいくつか操作すると、幸助の顔を上目に伺ってからそっと画面を差し出した。


何が表示されているのか、想像もできぬまま幸助はただそこを覗き込んだ。

心の準備など何もできていなかったが、最初の衝撃はさほど大きくはなかった。

そこに映っていたのは音楽配信サブスクリプションアプリの画面。ずらずらと並ぶタイトルは見慣れたものばかりで、一拍置いてからPinkertonピンカートンの曲だと理解する。

それから画面上部のタイトルを見た。プレイリストかと思いきやそうではない。

再生回数順にソートされた、よく聴く楽曲ランキングだ。

画面いっぱいに並ぶアーティスト名は全て、Pinkerton。


思わず声が漏れた。

うまく飲み込めない幸助に代わり、かいが絞り出すような声で告げる。


「……実は俺、ずっとPinkertonのファンで……」


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