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13:短期集中講座1日目

かいの言葉で、やっとそこにあるものを正しく認識することができた。

空は空でも、これは青空ではない。曇り空でも、夜空でもない。

夕焼け空と言うにはオレンジが足りないし、薄紫と言い切るにはまだ水色が強い気がする、そんな空。


「櫂くんなら、これ何てメモる?」

幸助の問いに、櫂は一度ううんと唸った。櫂にもこの空の色は形容し難いらしい。

少し考え込んでから、櫂はぽつりと言った。


「君と見た空の色、かな」

「……ずるくねぇ?」


一瞬しんみりと飲み込んでしまったが、思い直してしっかり突っ込んだ。

櫂は笑いながらスマホを取り出し、「ちゃんとメモりますよー」と口を尖らせる。

ととと、と迷いなく動く櫂の指を見送って、幸助はまた空を見た。

何度見ても、この色を適切に表す言葉は見つからない。

櫂にもわからないのだから、別に色じゃなくてもいいのだろう。

櫂が言ったような回答でもいいのなら、さっき考えた事もアリなのではないか。

幸助もスマホ画面に向かうと、恐る恐る文字を打ち込む。


【空にはいつだって色がある。】


何もないと思っていた空には、確かに色があった。

そこにはいつでも必ず色がある。

時間や季節や天候によって雲や星の量も変わるけど、どんな状態でも空にはちゃんと色があるのだ。

無色透明になるという事は決してない。

当たり前のことかもしれないが、それに気付けた自分に少し感動してしまう。


幸助は、記念すべき最初の一行をまじまじと見つめた。

わずか一行でも、やけに詩的に見えて心が踊る。

これはそのまま歌詞にしても良いかもしれない。思わず続きを考えようとすると、見透かしたように櫂に名前を呼ばれた。


「幸助くん。だめだよ、それはただのネタ帳なんだから」

「でも、今なんかいい感じの書けそうでさ」


言葉を遮るように、櫂の手がスマホを持つ手に触れた。

思わず身を硬くしてしまったが、櫂は幸助の手を止めようとするかのようにぎゅっと力を込める。


「焦っちゃだめだよ。ギターを始めた時も、まずはいろんなコードを覚えたでしょ? CとDとEとFだけ覚えて良い曲作ろうとしたって、どこかで聞いたようなものにしかならない」


櫂の真剣な瞳に吸い込まれるように、幸助の意識がふわりと浮いた。

何故か今の言葉を過去にも聞いたような気がしたが、思い出す前に櫂の手が離れて意識を引き戻される。


「歌詞も同じなんだ。まずは幸助くん自身の言葉を知ること。幸助くんがピンとくる言葉って何なのか、覚えておきたいと思うフレーズって何なのか、幸助くんの中にある言葉のカケラを集めるところから始めるんだ」


櫂の優しい声に励まされ、幸助はスマホに視線を落とした。

先ほどまで櫂が触れていた場所がじりじりと意識を蝕むが、無理矢理画面に集中して櫂の言葉を反芻する。


言葉を知ることは、コードを知ることとイコールである。

楽曲とはコードの羅列で、様々なコードを知っていればより多彩なコード進行で曲を作ることができる。

言葉もそれと同じ。自分の中に様々な言葉の引き出しがあれば、より多彩な歌詞をつづることが出来る。

今はたった一行でも、毎日五十個の言葉をメモり続ければ七日間で三百以上の言葉の引き出しになり、それは必ず七日目の幸助にとってなにかしらのヒントになるということだ。


「……すっっっ、げぇ~!」

幸助がたっぷりと溜めてから吐き出すと、櫂が得意げに瞳をくるりと回した。

その仕草から思い付いた単語を即座にメモると、感動をこめて読み上げる。

「【目からでっかい鱗】が落ちた! しっくりきた!」

「あはは、そんなでかいんだ?」

櫂が声をあげて笑うから、幸助はさらに気分がよくなった。一緒になって笑いながら、興奮気味に繰り返す。

「でっかい、もう超でっかい、キングギドラくらい!」

言うが早いか、【キングギドラの鱗】を記録する。

鱗がふたつ続いてしまったが、まぁいいだろう。これで三つ。

今日のノルマまであと四十七個だが、調子に乗った幸助はこのペースなら百でもいけそうだなんて考えた。

隣で笑みを消している櫂に気付きもせず、幸助はスマホに文字を打ち込みながら何気なく問う。


「そうだ。これってさ、五十個書いたら櫂くんに提出すんの?」


顔をあげた先、目があった櫂がびくりと跳ねた。

不思議な表情をしていたように見えたが、一瞬のうちに笑顔にかき消されよくわからなくなる。


「いや、提出はしなくていいよ。この調子なら大丈夫そうだし、個数も気にせずどんどん書き留めていこう」


わかった、と短く返事をして、幸助はスマホに向き直った。

カーソルの点滅を待たずに文字を打ち込んでいく。

先程まで何も思い浮かばなかったのに、今は言葉のカケラが消えないうちに書き留めようと必死だ。

自分の内側からだけじゃない、目、耳、鼻、肌から感じる情報も止めどなく入ってくる。


見せなくていい、という櫂の言葉も、幸助の指を加速させていた。

誰かに知られてしまうのは気恥ずかしい言葉も、勇気を出して文字にすれば何だか素敵なフレーズのように見えた。

【八重歯】【子供みたいな笑顔】【初めて会った気がしない】

【少し背が低い】【ビー玉みたいな目】【笑うと嬉しい】……いつの間にか、並んだ言葉のカケラたちは櫂のことばかりになった。

それに気付いた途端顔が熱くなったが、誰にも見せないのだからと思い直す。


歌詞の中で「誰か」の事を歌うのは常套手段だ。

長い髪とか潤んだ目とかえくぼがどうとかなんて、もう歌い尽くされている。

Pinkertonピンカートンの既存曲にもそういう表現はいくつかあるし、これくらいの単語なら特定の誰かの事だなんてバレやしない。


誰に対してなのか、幸助はいくつも言い訳を並べながら文字を打ち込み続けた。

メモアプリの画面はいつの間にかスクロールバーが表示されていて、今いくつメモったのかもわからなくなっていた。

櫂は幸助に歩調を合わせ、隣をゆっくりゆっくりついてくる。

何か話すでも、幸助の手元を覗こうとするでもなく、ただ黙って隣にいてくれるのはありがたかった。


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