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「その曲、バトル漫画のアニメ一期の主題歌なんだけどさ。ちゃんと作品のメインテーマが歌われてたり、歌詞の中にキャラの名前が入ってたりしてすげー良く出来てんのよ。でも櫂的には結構苦労したらしくて、それ作ってる時に編み出した裏技が『物語を作って歌う』なんだってさ」
『物語を? ストーリー仕立ての歌詞なのか』
「一見するとそうは見えないんだけど、櫂はこの歌詞の主人公を闘技場に初参加するモブキャラにして、そいつの心情を物語風に歌ったんだって。そうすることで歌に載せる感情がわかりやすくなって、一番二番で怯えとか焦りとか交えながらラスサビでいよいよバトルに出る覚悟と闘志を歌うっていう綺麗な流れができた、って言ってた」
幸助の話を受けて、ゴンは短く『なるほどなぁ』とだけ呟いた。
櫂がちゃんと「作詞の講師」をやっている事が伝わったのだろう。
その反応に満足していると、ゴンがからかい混じりにこう続けた。
『で? お前はどんな物語にするつもりなん?』
来るだろうと身構えてはいたが、いざ聞かれると何だか急に恥ずかしくなってくる。
そんな事を言っている場合でもないのだが、幸助は歯切れ悪くもごもごと答えることで、内容を誤魔化してしまった。
「折角今日映画見たし、まぁ、怪獣と人間の歌かなぁ~」
実際頭の中では物語も出来ていた。
主人公を怪獣に憧れる人間にして、自分の村が目の前で踏み潰された絶望と衝撃、自分がぶっ壊したかった世界を一瞬で破壊し尽くした怪獣への畏怖と羨望を歌い、最後は自らも怪獣となるべくその背中に乗ってしまうというストーリーだ。
櫂にはこのストーリーを伝えていた。
説明している間はひどく気恥ずかしくて、手元のアイスコーヒーのストローが割れるほどこねくり回してしまったが、全てを聞き届けた櫂は一言目から手放しに褒めてくれた。
まだ歌詞になったわけでもないのに言葉を尽くして賞賛した櫂は、結局その日の別れ際まで「怪獣の歌、楽しみにしてるから出来たら絶対送ってね!」と繰り返し言ってきた。
期待されるのは嫌いじゃない。幸助は自分で自分を「褒められて伸びるタイプ」と豪語している。
きっと櫂はそんな幸助の性格を分かった上で褒めちぎるという作戦に出たのだろう。
さっき思い出した上目遣いといい、昨日ファミレスでファンだと打ち明けたタイミングといい、櫂は人の心を操るのが上手いのだ。
そして幸助は、出会ってわずか二日ながら見事に櫂の手のひらの上で踊っている。
「そうだゴンちゃん! 昔のグッズってどんくらい余ってる?」
『何だ突然。昔のっていつぐらいの? Tシャツとかタオルなら事務所の倉庫にありそうだけど』
「Tシャツ! ゴンちゃんが
『あ~、それなら数枚だけど多分ある。なに? まさか
まさか、というゴンの言い回しが気になったが、幸助は今日のとある会話を正直に話した。
「実は
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それは映画館に入ってすぐのことだった。
飲み物でも買おうかと列に並んだ櫂は、突如着ていたウィンドブレーカーの前を開けこう言ったのだ。
「じゃーん! 見てみて、着てきちゃった」
突き出された薄い胸元には、ゴンがデザインしたPinkertonのロゴがプリントされていた。他に装飾はない非常にシンプルなバンドTだが、以後Pinkertonのグッズはゴンによるグラフィカルなデザイングッズばかりとなり、ロゴだけのTシャツは逆にレアになってしまった。
「うわ! なっつかしー! やっぱ持ってんだなぁ、さすが最古参ファン」
まだインディーズレーベルに所属したての頃のグッズなので、今のファンでも持っている人間はとても少ないはずだ。ライブ会場に着ていけば一目置かれるはずだが、櫂は得意げに笑みを広げながらこう言った。
「買ったはいいけど大事すぎて着れなくて、ずっと部屋に飾ってたんだ。でも、今日こそいいかなと思って」
「バンTって飾るものだっけ? まぁ、大事にしてもらえんのは嬉しいけど」
実際畳ジワ一つもなく、襟元のヨレも見当たらない真新しいTシャツからは、四年以上も大切に保管されていたことが窺えた。
顔を綻ばせた幸助が小さく礼を言うと、櫂は乱れてもない前髪を指先でなぞりながらはにかんだ。
「ほんとはね、ライブとかMV撮影とかでこれ見よがしに着たいって気持ちもあるんだ。けど汗かいて洗濯してヨレたら嫌だなって思っていつもやめちゃってる。あの時頑張って2枚買っとけばよかったよ」
幸助は思わず想像してしまった。
女子高生に大人気のバンドALLTERRAの新曲PVで、かっこよくギターをかき鳴らし歌う櫂の胸元にPinkertonの文字があったとしたら。
めざといファンはそこから自分たちの存在に気付いてくれるかもしれないし、櫂が「好きなバンドのTシャツなんです」と公に紹介してくれるかもしれない。
「なぁ、事務所の倉庫にあるやつ、要る? 多分1枚2枚くらいなら探せばあるはずだからさ、あげるよ」
幸助はそう言いながら、心の中で言い訳を繰り返していた。
これは宣伝戦略だ。Pinkertonの売名行為だ。
利用できるものはなんでも使えって佑賢も言ってた。だから別にこれは、櫂が喜んでくれたら嬉しいとかそういう気持ちで言ってるんじゃないんだ。
しかし、いくつも並べた言い訳は、櫂の飛び跳ねんばかりの喜びの前に霧散する。
「ほんとに! 欲しい! 買います!」と声を張り上げた櫂は、興奮のあまり幸助の腕を掴むほど前のめりだった。
想像以上の勢いについ吹き出してしまうと、櫂はすこし周囲を見渡してから照れ笑いを見せた。
そこに在る純度100%の好意がやっぱりくすぐったくて、嬉しくて、幸助の手は無意識に櫂の頭を撫でていた。
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『じゃ、明日お前が倉庫見に行くって事、日高さんに伝えとくぞ』
ゴンの声で我に帰った途端、自分がした事を思い出して顔を覆ってしまった。
何故あんなことをしたのだろう。いや、あんなことをしてよく平然としていられたなと、今更動揺してしまう。
あの後すぐにレジの順番が来て、飲み物を決めていなかった焦りで自分がした事を深く考えなかったせいか。
変に動揺している様を櫂に見られなかった事は幸いだが、櫂は突然頭を撫でられてどう思っただろう。
不快な思いをさせていたらまずい。でも今更「あの時さぁ」と聞くのもおかしな話だ。
動揺が加速して、歩き慣れているはずの帰り道を間違えた事にも気がついた。
咄嗟に立ち止まって来た道を引き返しながら、あまりのことについ「何してんだ俺」と情けない声が漏れる。
『あ? 何だよ、話聞いてるか?』
「ごめん聞いてる。で、何だっけ?」
『聞いてねぇじゃん馬鹿』
ゴンの呆れ混じりのツッコミも浅い笑いで誤魔化して、幸助は動揺を呑み込もうと必死だった。
ゴンの声がまた不機嫌に落ち『浮ついてねぇで作詞がんばれや』と釘を刺された事はギリギリ覚えているが、それに対する返事をちゃんとしたかどうかは曖昧だ。
通話を終え、幸助は夜空を見上げて思い切り息を吐いた。深呼吸を繰り返していると、少しずつ動揺が薄れていくのがわかる。
別に、ただ頭を撫でただけだ。
後輩にもやってる事だし、特別な事でもないし。
そう、櫂が小動物っぽくてつい手が出ちゃっただけだ。犬とか猫を撫でるのと同じだ。そこに深い意味はないし、櫂だってきっとそんなに気にしてない、きっと。
言い訳を繰り返しながら足を動かす。意識を逸らそうとイヤホンを耳にはめ込み、プレーヤーを起動する。
昨夜からずっと聞いている、ALLTERRAのプレイリスト。
多彩なジャンルを取り入れながらも、一貫した「らしさ」が随所から感じられる、独自のブランドを確立した音楽。
音作りもロックとはまるで違っていて勉強になる、なんて昨夜は思っていたが、今はそんな真面目な事が考えられないくらい櫂の歌声に聞き惚れてしまう。
柔らかな声、ささやく吐息の音、伸びる高音の美しさ。
笑うように歌う曲、叫ぶように歌う曲、諭すように歌う曲、啜り泣くように歌う曲。
八坂櫂の感情は、言葉以上に音に乗って空気を震わせる。その振動は聴く者の心と感情を揺さぶり、飲み込み、支配してしまう。
幸助の中ではもうずっと、純粋な賛辞が止まらない。
すごい。こんな音楽を作ってみたい。誰かの心と感情を支配できるほどの音楽を、作って、奏でて、歌ってみたい。
幸助は勢いよく右足を蹴り出した。
生まれた衝動が消えないうちに、早く家に帰りたかった。
帰宅したらすぐに作詞に取り掛かろう。今頭の中にあるストーリーが薄れないうちに、まずはがむしゃらに形にしてみよう。
どうせ明日は特に予定もない。頑張れるところまで頑張って、眠くなったら寝て、起きたらまた頑張って、そうしていればきっと明日には出来上がるはずだ。
無事完成したら、櫂に言おう。
Tシャツの事も伝えたいから、先に事務所に行って確認しとこう。
明日も櫂はオフのはずだ。いつ連絡するのがいいんだろう。何をするか聞いておけば良かった、なんて考えてから、束縛きつい彼氏かよと自嘲する。
幸助はスマホを取り出した。まだ一度もやりとりしていないLINEのトーク画面を無駄に開いて、空色の何もない空間をぼんやりと見つめてしまう。
今日の別れ際、言おうかどうしようか迷って、結局言えなかった言葉がある。
「次はいつ会える?」
頭の中で用意したこの言葉があまりにも女々しく感じてしまって、幸助はそっと心の奥に仕舞い込んだ。
櫂から言ってくれやしないかと期待もしたが、残念ながら彼の口からも次の約束は出てこなかった。
次の約束を取り付けられるとすれば、歌詞が出来上がった時だろう。
細かいところを相談したい、とか言えば自然な流れで会う約束ができるはずだ。
だから今は、やるしかない。歌詞を書く。一曲でも完成させる。そうすればきっとまたすぐ、櫂に会える。
幸助は自宅までの坂道を駆け降りた。はやる気持ちが、家までの数十歩を加速させる。
作詞への苦手意識は、いつの間にかすっかり消えていた。
Pinkertonの未来がかかっているというプレッシャーも、都合よく忘れた。
幸助を突き動かしているのはただ一つ、櫂と言う存在だけ。
その強い想いが友情の枠からはみ出している事に気付かないまま、幸助は作詞に没頭していくのだった。