昨夜から挑んだ久しぶりの日本語作詞活動は、幸助の予想に反してとんでもなく難航した。
一曲分の所要時間は、実に五時間以上。文字数たった300強を歌える形にするために、果てしない暗闇を彷徨い続けた。
出だしは好調だった。
大枠が出来上がると、今度は細かい表現を詰めていく。
自分の言葉メモと睨めっこしたり、時には表現方法をググったりと、適切な言葉を探し回った。
ここまでは良かった。ここからが苦悩の始まりだ。
ある程度出来上がったものを音に乗せ始めた途端、噛み合っていたはずの言葉たちがボロボロと崩れ始めた。
言葉が音に乗らない。言葉が多すぎたり、足りなかったり、全くのチグハグだ。
メロディを変えようかとも思ったが、言葉に合わせてフレーズを足してしまうと冗長になってしまう。
かといってメロディに合わせて言葉を削ると、言いたい事が十分に伝わらない気がしてしまう。
昨夜は結局、ここで心が折れて寝てしまった。
目が覚めても解決策は浮かばず、苦しさのあまり櫂に連絡しそうになった。
何度も開いたLINEのトーク画面に文字を打ち込まずに済んだのは、昼過ぎに
佑賢はLINEで一言寄越した後、五分と経たずに幸助の家のチャイムを鳴らした。近所に住んでいるので突然の来訪は日常茶飯事だ。
「作詞、頑張ってるかー」
ドアを開けるや否や、挨拶もなく佑賢はそう言った。昨夜のゴンとの通話内容は全て筒抜けのようだ。
「今ちょうど必死こいてるわ」と幸助が吐き捨てると、佑賢は楽しげに口の端を持ち上げビニール袋を差し出した。幸助の健闘を讃える差し入れらしい。
礼を言って受け取るも、強めのエナジードリンクに口をつける気にはなれなかった。作詞が気がかりで食欲も湧いてこないのだ。もらった手前無理にでも飲もうかと考えはしたが、胃袋からの反対意見を尊重し冷蔵庫に放り込んでしまった。
佑賢は用がなければ幸助の家に来ることはない。
綺麗好きのミニマリストである佑賢にとって、雑多に物が多い幸助の部屋は居心地が悪いらしい。
今日も幸助が勧めた座椅子に顔を顰めながら収まった。ローテーブルに無造作に置かれたペットボトル飲料のおまけを見て、「何これ」と小さく漏らす。これに反応したら小言に繋がるのは間違いないので、幸助は聞かなかったことにした。
「ダカっちゃんに何か伝言あるんだっけ?」
「あぁ、そう。今日お前事務所行くんだろ。ついでにこれ渡しといて」
佑賢が差し出した殺風景な茶封筒を、幸助は中身も見ずにリュックの中に詰め込んだ。
マネージャーの日高に渡すものなんて、大方領収書や経費精算書の類だろう。佑賢もそれ以上説明はせずに、さっさと煙草に火をつけ一服を始める。
「それで? 今どんな感じよ」
佑賢の感情の滲まない声は、今の幸助にとってありがたかった。からかいにはおちゃらけて返してしまう性分だから、相手がゴンだったら適当に誤魔化してしまっただろう。
「うん、今音に乗せながら調整してるとこ。でもあんまうまくいってない」
幸助が正直に苦笑をこぼしても、佑賢の表情はミリ単位で変わらなかった。
時としてロボットのようにも思えるその反応も、余計な気を遣わなくて済むので助かる事が多い。
「やっぱ俺さ、言葉を知らねーのよ。もっと別の表現じゃないとメロに収まらないのに、言い換えたらどんな言葉になるのかわかんなくて」
それで止まってる、と小さく続けてから、幸助は覚悟を決めてスマホを取り上げた。
メロディに乗り切っていない中途半端な歌詞を表示すると、佑賢にスマホごと投げて寄越す。
彼になら尻の穴をみられても平気だと思っていたが、久しぶりの日本語詞は内臓の内側を見せるようで落ち着かなかった。
そわそわと無駄に立ち上がる幸助をよそに、佑賢は能面のまま画面に目を走らせる。そしてすぐに顔を上げ、ドラマのようなタイミングでメガネを押し上げた。
「お前、
「えっ、なん」
なんでわかるの、という素直な疑問は、佑賢の鋭い視線に瞬殺されてしまった。思わず顔を背けて逃げる幸助に、佑賢はため息混じりに告げる。
「見りゃわかるよ。突然異世界ファンタジー要素入れたり、使い慣れない単語入れたり、ALLTERRAを意識しすぎてる」
もう読み返す気はないようで、佑賢はさっさとスマホを投げ返してきた。
キャッチついでに覗き込んだ画面には「掟」やら「風車」やらと馴染みのない言葉が並んでいる。
「お前ももうわかってると思うけど、ALLTERRAの八坂櫂はすげぇ奴だよ。天才と言ってもいい」
佑賢の言葉に、幸助は思わず顔をあげた。
彼が幸助以外の人間に「天才」という言葉を使うのを初めて聴いたからだ。
佑賢は、幸助の驚く顔を真っ直ぐ見据えたまま淡々と続ける。
「まるで映画のように情景が浮かぶ楽曲。確かな演奏技術とアレンジの妙で音に奥行きを出し、物語を綴るハイトーンともマッチして美しい音楽になってる。J-pop寄りのキャッチーなメロディなのにところどころ独特の遊びが入るのも唯一無二だ。音楽性だけでも他に類を見ないのに、さらにALLTERRAの歌詞の世界は凄まじい」
八坂櫂が綴った歌詞にはファンタジー要素が強く、世界観の解釈を聴く人の想像に任せる作りになっているのだと佑賢は言った。
少し記憶を巡らすだけで、現代では見かけない「振り子時計」や「羅針盤」、創作の世界でしか見ない「魔法陣」「ドラゴン」なんて歌詞が思い出されて、幸助はなるほどと声をあげた。
「だからALLTERRAはアニメタイアップが多いのか」
「そういうこと。そして八坂櫂の最もすごいところは、次の流行を作ろうとしているところだ」
そう言って、佑賢はまだ長さのある煙草を携帯灰皿に押し込んだ。
急くような手元の動きにだけ、佑賢の興奮が見て取れる。
「今の歌詞の流行は、リアルな環境や状況をピンポイントで歌う手法だ。ピンポイントすぎて自分には当てはまらないが、別の誰かの恋バナを聴くようなイメージで歌詞を評価する風潮が強い。単語も現実の駅名や商品名を使ったりして、より『今現在』と『親近感』を前に出してくる。その点、ALLTERRAはファンタジーやSFといった物語風で、歌詞そのものは今の流行ではない。けど、遠い異国の話の中に『自分が感じているのと同じような心の機微』を感じさせる。そこに確かな親近感があり、『これは私のテーマソングだ』と感じさせる力がある。ピンポイントで恋バナを歌う詞よりも、より多くの人々が勝手に自分の歌だと思い込める余白があるんだ。そこが、ファンタジーでありながら大衆を置いていかない凄まじい技術だと俺は思うし、おそらく次の流行になるだろうと睨んでる」
佑賢と目が合って、幸助は自分の口が開いている事に気がついた。
慌てて顎をなぞって誤魔化しつつ、佑賢の言葉を時間をかけて飲み込んでいく。
櫂の歌詞はどれも、幸助にとって凄まじい衝撃だった。
一曲一曲がハリウッド映画のような迫力を持ち、どデカい感情を耳から注ぎ込まれているような感覚。
何を食べて生きてきたらそんな言葉思いつくのかと思うような単語選びと、そこに馬鹿でもわかるシンプルなメッセージをマッチさせたフレーズ。
佑賢の言う通り、これは自分のテーマソングだと思う楽曲がいくつもあった。
歌に込めたテーマも幅広く、人生のどんな瞬間にも寄り添ってくれるようだった。
櫂の歌詞には力があった。
聴き流させない力、歌詞を読ませる力、そして、歌詞に自分の感情を重ねたくなる力。
これらの力の源は全て、八坂櫂の感情そのものだろうと、佑賢は言った。
「俺らの一個下のはずなのに、どんだけ濃い人生送ってきたんだろうな。って思うくらい、聴いていて苦しくなるような切実な想いがある気がする。八坂櫂自身の内側から切り出したであろう狂おしいほどの切なさが随所から感じられてさ、それが人の心を動かしてるんだろうな」