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20:短期集中講座3日目

午後七時。

事務所倉庫から過去グッズのTシャツを抱えて戻ってきた幸助は、意を決してLINEのトーク画面を開いた。


歌詞はメモ帳に書いたものをスクショしてある。

簡単な挨拶の後、「できたから時間がある時に見て」ぐらいの軽いメッセージと共に画像を送れば報告は完了だ。

深く考えず勢いで送ってしまおう、と自分を鼓舞して、幸助は指を滑らせた。

「お疲れ!オフ楽しんでるか?」の一文をとりあえず送ってから、歌詞ができた旨を添えて画像を2枚さっと送りつける。


送信完了するや否や、幸助はスマホを伏せて傍に置いてしまった。

昨日はあんなに連絡したかったのに、今はかいがメッセージに気付かない事を祈ってしまう。

返信を告げる音が怖くてスマホをマナーモードにすると、無駄にキッチンで水なんか飲んで気を紛らわせる。


返事が来るまでどう過ごすのが良いのだろう。なんて考えている間に、けたたましいバイブ音が響いた。

櫂からの返事だとしたら早すぎると思ったが、途切れないバイブ音はどうやら着信のようだ。


慌ててスマホを取り上げた先、画面に表示されていたのはまさかの「八坂櫂やさかかい」だった。

思わず漏れた声に余計動揺しながら、幸助は恐る恐る通話ボタンを押す。


『あ、もしもし? 櫂です! 幸助くん歌詞見たよ!』


第一声から、櫂の声は色が付いているかのようにはしゃいでいた。

それだけで少し安心した幸助は、ベッドに崩れ落ちながら応答する。


「反応早くね? ちゃんと読んだ?」


何と言っていいか分からず、とりあえず笑い飛ばしてみた。

すると、通話口の櫂の声が楽しそうに震えた。受話器を通した声もなんだか新鮮で、先ほど自覚した感情を思い出してはじわじわと緊張を募らせてしまう。


『もちろん読んだよ。3回くらい読み返したし、今も読みながら通話してる。ねぇ幸助くん、これめっちゃいいね!』


テンションだけで伝わってはいたが、改めて褒められるといよいよ喜びが湧いてくる。「どうも」なんてぶっきらぼうに返しながらも、幸助は緩む口元を抑えきれない。

電話で良かったと思いながら、空いた手でガッツポーズなんかしてしまう。


『久しぶりの日本語詞だなんて思えないぐらいすごいよ! ちゃんと言いたいことがまとまってるし、メッセージが真っ直ぐ伝わってくる。タイトルもキャッチーで良いよね! Pinkertonピンカートンらしさもあるし、ゴンちゃんのデザインロゴが映えそうで今すぐジャケ写が見たい!』


櫂の前のめりな感想は、放っておいたらいつまでも続きそうだった。

全面的に肯定なのは嬉しいが、ここまで褒められすぎると逆に不安になってくる。

本当にこれで問題無いのか? もっと良くなる表現はないのか? ブラッシュアップする余地は?

いくつも浮かぶ疑問符を口に出すかどうか迷っていたら、勢いよくしゃべり続けていた櫂が不意に声を張り上げた。


『そうだ幸助くん! 今これ歌ってみてくれない?』

「はっ? 今?」

『今! 幸助くん今家でしょ?』

「まぁ、そうだけど……」


肯定しながら、視線はついギターに向かう。

弾き語りで良いなら聴かせることは出来るが、これって情報漏洩ってやつになるんだろうか?

一瞬佑賢ゆたかの恐ろしい無表情が過ったが、櫂のダメ押しがそれをかき消してしまう。


『歌詞は歌詞だからさ、やっぱ歌って聞かせてみないと本当の良さが分からないんだよ。文字だけでもすっごい良かったけど、音に乗ったのも聴いてみたい。それが本来の形、あるべき姿だからさ!』


櫂の巧みなおねだりに、幸助はあっさり迷いを捨てた。

インディーズバンドの出るかわからない新曲を音楽仲間に聞かせるぐらい、どうせ何の罪にもならない。

音源を流出させてるわけでもないんだし、と言い訳をして、「わかった」と了承を告げる。


幸助の背中を押したのは、興奮気味な櫂の楽しげな声だった。

歌ったらきっともっと喜んでくれるんだろう。そんな単純な思いから、幸助はギターを抱えこむ。


「……アコギ弾き語りじゃ、良さがあんま伝わらないと思うけど」


一応そう前置きしてから、幸助はスマホをスピーカーにしてローテーブルに置いた。歌詞のメモを表示するとカポをはめて、一つコードを鳴らし「聴こえる?」と確認する。

『ばっちり。じゃあ、お願いします』

櫂の声に促されて、幸助は小さく息を吐いた。束の間の静寂を睨みつけて、次の瞬間六弦を同時に掻き鳴らす。


イントロ。入りはゴンちゃんのギターメロで疾走感を出したい。

途中から佑賢のドラムを強めに鳴らして盛り上げて、歌入りは静かに行こう。

Aメロは助走、Bメロでさらに音を抑えて、あぁ、ここでモッチーのベースに歌ってもらったら最高だな。

Bメロラスト四小節で一気に加速させて、サビの前一拍置いてからの爆発。

いいな、早く皆で演りたい。アコギと俺の声だけじゃ、やっぱりこの曲は全然良くない。

Pinkertonピンカートンの曲に仕上げてから、もう一回聴いて欲しい。


歌っている間の幸助は、夢中でアレンジを考えていた。

櫂に聞かれているという状況も雑念にはならず、程よい集中と緊張をもたらしてくれた。

時間にして、三分半。文字数300強の日本語詞を歌い上げて、幸助は最後のコードを静かに鳴らした。

音の余韻が消えても、部屋には静寂が漂う。

もしや通話が切れたのか? なんて心配になったところで、スマホから櫂の声がした。


『……ありがとう。なんかもう、明日死んでもいいや』


櫂の声は、予想に反して落ち着いていた。

また興奮した早口が返ってくるかと思っていた幸助は、少し拍子抜けしながら櫂の言葉を笑い飛ばす。


「まだこの曲完成してねーから。完成版を聴くまで死んじゃダメだよ」


櫂は小さく笑って『そうだね』とつぶやいた。

その声がやけに掠れていて、鼻を啜る音が続いたせいで、幸助は櫂が泣いているんじゃないかと気付いてしまった。

これは揶揄っても良いやつだろうか、なんて悩んでるうちに、櫂の声はいつもの調子を取り戻す。


『曲も歌詞も最高だったけど、作詞の先輩としてアドバイスさせてもらえるんなら、語尾はちょっと調整した方が聞きやすいかなぁ。幸助くん、英語詞で韻を踏むのがうまいからそれはすごくいいと思うんだけど、日本語でも韻踏もうとすると単調になるというか。Bメロの『わかってる』のところも、最後を『u』で伸ばすとちょっとインパクトが減って勿体無い気がするから、『わかってるよ』にしちゃうとか? その次の『聞いてやる』も『u』で揃えてるんだと思うんだけど、他の言い方に変えてみた方が上がっていくメロディにも乗せやすい気がする』


急な作詞講座に、幸助は慌ててギターを手放した。スマホ片手に歌詞を見直し、櫂に言われたところの調整を始める。

ずっと「歌いやすさ」ばかりを追求していたが、「聴きやすさ」というのも確かに大事だと、櫂に言われて気がついた。

自分が気持ちよく歌えても、聞き手に伝わらなければ意味がない。せっかく感情や意味を込めて作ったものが、英単語の羅列と同じになってしまうのは不本意だ。


指摘された箇所はどこも、櫂のアドバイスで劇的によくなっていった。

歌詞の調整方法を実践で学びながら、歌いやすさと聴きやすさを極めていく。

調整はそれから一時間に及び、幸助が「完璧じゃん!」と叫んだ頃には夜八時を回っていた。


「マジで助かった! ありがとう! 櫂くんのおかげでこれシングル確定したと思うわ!」

『こちらこそ、貴重な弾き語り聞かせてもらったからね。これくらいお安い御用で』

「いやでも、俺一人じゃここまでブラッシュアップ出来なかったし、そもそも櫂くんのアドバイスがなきゃ三日で二曲も作れなかったし、本当ありがとな! 今度お礼させて! あ、お礼と言えばさ」


完成した喜びで興奮状態の幸助は、うっかり口を滑らせていたことに気付かなかった。

深く考えずに何度も礼を言いながら、ベッドに投げ出していたバンドTシャツにふと目を向ける。


「昨日着てたTシャツ、倉庫に事務所分が余ってたからさ、今度あげるよ」

『えっ、ほんとに? いいの?』

「うん。スタッフ用って取り置いたくせに忘れ去られてたやつだから別に金も要らないし。そういうのいくつかあったから、他のも欲しかったらあげる」

『やったーっ! ありがとう! 全部もらう!』


スピーカーの音が割れんばかりの声量で、櫂が歓声をあげた。

飛び跳ねるような声が嬉しくて、幸助まで笑みが溢れてしまう。


「なぁ、櫂くんがオフの間にもう一回くらい会えないかな。Tシャツ渡したいし」


思いつきで口にしたあとで、幸助の胸が正直に跳ねた。

断られたらどうしよう、なんて今更な緊張は、しかしすぐに打ち消される。


『会いたい! 明日とかどう? ご飯食べようよ。Tシャツの分奢るからさ』


通話を終えた後も、幸助の耳にはずっと『会いたい』がリフレインし続けた。

別に櫂はそういうつもりで言ったんじゃないと言い聞かせても、浮き足立つ胸の内は止まらない。


昔はよく、こう思っていた。

どいつもこいつも馬鹿の一つ覚えみたいに「会いたい」「会いたい」ばかり歌いやがって、と。

恋愛系の歌詞は元々好きじゃなかったが、会いたいと声高に歌う曲は特に嫌悪していた。

何が「会いたい」だ。そんなに会いたいなら走ってでも会いに行けよ。

顔が見たいならスマホで顔写しながら通話すりゃいいだろ。

みんな歌ってる感情を何でそんな得意げに歌えるんだ。これみよがしに切なげに歌いあげる意味がわかんねぇ。


それが今はどうだ。

小さく声に出した「会いたい」の四文字が、数百文字に膨れ上がりそうだ。

この四文字を抱え込んだ奴はみんな、この苦しみから逃れたくて歌にするんだ。

歌にしたってどうにもならないけど、歌にしなきゃ呼吸もできないほど苦しいから歌にするんだ。


ずっと馬鹿にしていたヒット曲の数々に詫びながら、幸助は両手で顔を覆った。

身動きが取れなくなるほど、今どうしようもなく、櫂に会いたかった。


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