バンドマンが二人以上集まると、話題は決まって音楽の話になる。
最近聞いたアーティストや、共通の知人の最新楽曲の話、気になる最新機材や流行のアレンジについて。
更にディープな話題になるとライブハウスのスタッフのどうでもいい近況にまで及ぶが、これらの話題が全て等しく盛り上がるから可笑しなものだ。
一日ぶりに顔を合わせた幸助と
櫂は顔を合わせても幸助の歌詞を褒め続け、更には楽曲のメロやコードの流れについての細かい感想まで楽しそうに語った。
通話では誤魔化せていた喜びも、対面で座る個室居酒屋では誤魔化しようがなく、幸助は照れ隠しに酒を煽るしかなかった。
酔いが回ったら幸助も黙っちゃいない。
お返しとばかりに
メジャーで定期的なヒット曲を出し、一定の評価を得ている所謂「売れてるバンド」であるにも関わらず、櫂の反応は随分と嬉しそうだった。
「褒められ慣れてるでしょ」と幸助が意地悪く突っ込むと、櫂は口を尖らせこう言った。
「どこぞの音楽雑誌記者に褒められるより、大好きなアーティストに褒められた方が嬉しいに決まってるでしょ」
幸助はすかさず「問題発言だ、炎上だ」と揶揄ったが、内心はそれどころではなかった。
好きな人の口から、自分に対しての「大好き」という言葉が飛び出したのだ。
たとえその「大好き」がかかる言葉が「アーティスト」というざっくりした大枠だったとしても、今の幸助にとって浮かれるには十分だった。
自覚した恋心がここぞとばかりに主張をはじめて、アルコールが血中を暴走しているかのように鼓動が早くなる。
頭がぼうっとして、耳の中で壊れたレコードが繰り返し「大好き」だけを再生し始める。
少し会話が汲み取れなくなるくらいには頭が動かなくなってきた。
急性アル中になりかけた時もこんな感じだったなと思いながら、幸助はさりげなく空いたジョッキの氷だけを口に含む。
ここで倒れたりしたら恥ずかしいの極みだ。
それも、倒れた原因が「好きなやつに大好きって言われたから」なんて誰かにバレたら、恥ずかしくて音楽どころの騒ぎじゃない。
往来を顔を上げて歩くことさえ無理だ。
櫂の「大好き」を振り払おうと、幸助はさりげなく話題を変えた。櫂は気にせず次の話題に食いついてくれる。
どんな話題でも楽しそうに聞いてくれるその姿勢は本当に可愛いが、彼が前のめりになるたびに目を合わせられなくなる。
誤魔化しきれているのか、不自然ではないかと心配になるが、櫂のテンションは目に見えて変わらない。
笑顔が曇ることはないし、声が落ちることもない。スマホなんかほとんど見ない。
話題の切れ目の沈黙ですら、鼻歌でも歌い出しそうな微笑みを浮かべている。
もしこれが、例えば付き合えたらいいなと思っている女子の態度だったら、と幸助は自身のものさしを取り出してみた。あてがわずともはっきりしているが、改めて期待値を認識したかったのだ。
結果は勿論、確定で付き合えるレベルと出た。経験則からも間違いはない。
過去付き合えたファンの子は、今の櫂よりわかりにくかった。駆け引きだったのかもしれないが、今となっては確かめる術もない。
駆け引きなどなく、純粋に自分との時間を楽しんでくれている櫂には、正直期待がふくらんでしまう。
が、櫂は男だ。同年代の同業者だ。
果たしてこのものさしを使って正確な判断ができているのかと問われれば、幸助は首を傾げるしかない。
これが恋であることは間違いないのに、だったら頑張ろう、と気持ちを切り替えられないのはそこだった。
櫂が差し出してくれる好意をどう解釈したらいいか迷っている。
もしここで暴走して告白して、櫂に「幸助くんはいい友達だよ」なんて言われてしまったらもう、作詞どころか音楽をやめてしまいそうだ。
櫂との付き合いもそこで終わるだろう。じゃあ今まで通り友達で、なんてとてもじゃないが思えない。
そんな博打を打てるはずもない幸助は結局その夜も、ただ好きなままでいいや、と思考を止めてしまうのだ。
テーブルの上の皿とジョッキがだいぶ空いた頃、櫂が「もう飲めない」と言いながらジンジャエールを注文した。
暑い暑いと火照った頬を両手で覆う仕草がやけに目について、幸助はジョッキを飲み干すことで無理矢理目をそらす。
「幸助くん、酒強いよね」
「そうか? 普通だよ」
「バンドマンの普通は一般人の酒豪レベルだって、田中さん言ってた」
「その田中パイセンはバンドマンの中でも特に酒豪だからなぁ」
「確かに。感覚が当てにならない」
どうでもいい会話で笑い合い、束の間の沈黙も櫂の一挙一動を眺めて癒される。
アルコールも手伝ってふわふわしたままの頭は、居酒屋を出た後もしばらく続いた。
夜風でもなかなか冷めてくれない顔の熱は、街灯やネオンを避けて歩くことで気付かれまいとする。
「そういえば櫂くん、なんでギター持ってんの? 仕事帰り?」
酔い覚ましに歩きたい、と櫂が言うので、幸助はなんとなく井の頭公園へと足を向けた。
信号待ちでずっと気になっていたそれに触れると、櫂は待ち構えていたかのように満面の笑みでこう言った。
「ううん。幸助くんに弾いてもらおうと思って、持ってきた」
「えぇ? なんで?」
櫂は悪戯めいた笑みを浮かべるだけで何も言わなかった。信号が青に変わると大きな一歩を踏み出し、何故か公園への道を急ぐ。
「そもそも弾くってどこで? まさか外?」
「この時間ならそんなに人もいないし、大丈夫!」
歌うように言い切って、櫂は薄暗い坂道を駆けるように下る。
強引なテンションは酔いのせいだろうかと思ったが、軽やかな足取りはそうでもなさそうで幸助は眉を顰めた。
何を考えてるのか見当もつかぬまま、とりあえず櫂のあとを追いかける。
夜の井の頭公園は不気味なほど静かだった。
木々が車の走行音を防ぐため昼でも静かだが、夜は動くものもなく、わずかな街灯がぽつりぽつりとあるだけなので雰囲気は十分だ。
遊歩道を取り囲む雑木林は影よりも濃い闇に覆われ、目を向けるのも憚られる。
昼間穏やかに水鳥が滑っていた水面は、街灯の光をぼんやりと反射するだけで漣も立たない。
櫂は暗い夜道も臆せず進み、池に面したベンチで足を止めた。先日も二人で座った、同じベンチだ。
たしかにここなら街灯のおかげで多少明るいが、遊歩道から丸見えなのが気になった。
「櫂くん、本気?」
幸助の問いに、櫂は迷いなく頷いた。有無を言わさぬ空気でギターを下ろそうとするので、幸助は慌てて声を張り上げる。
「ちょっと待った! とりあえず、やるやらないは置いといて」
「幸助くんにやらないという選択肢はないよ?」
「うん、なんでそんな歌わせたいのかもわかんねぇけどとりあえずさ、移動しよう! ここだと歌ってる姿が丸見えでさすがにヤバいから」
幸助の困惑も、櫂にはほとんど伝わっていないようだった。
弾き語りをするのは当然の流れであるかのように振る舞う櫂は、幸助の言い分にゆるりと同意する。
その姿が駄々を捏ねる子供のようで、幸助はつい手を伸ばした。
どこを取るか最後まで迷ってしまったが、意を決して櫂の手首を掴む。
「あのカフェの奥の林に東屋があって、夜なら遊歩道から見えないんだ」
そう指差して説明しながら、意識を右手から逸らそうとした。
櫂は大人しく手を引かれついてくるが、何も言わないのも逆に不安だ。
落ち着かない気持ちのまま、幸助は街灯のない林の中への足を踏み入れた。