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22:短期集中講座4日目

暗さに目が慣れてくると、木造の東屋が案外綺麗だとわかる。

遊歩道沿いのカフェがオープンした時に、カフェ利用者のために建てられたものなのでまだ新しいのだ。

東屋の周囲にはベンチも多く、昼間は木立の中で一息つける憩いの場となっている。

しかしカフェ閉店後は灯りが消え、東屋やベンチは通る人々の意識からも消える。

幸助は昼夜問わずここをよく通るため、穴場として知っていた。たまに学生カップルがイチャついているのだが、今夜は時間も遅いからか誰もいなかった。


東屋の中に入るなり、幸助はかいの手首を離した。手のひらに残る感触をパーカーのポケットの中で握りつぶして、コの字型のベンチにどっかりと腰を下ろす。


「それで? なんで俺歌うことになってんの?」


言ってから、しまった、と息を呑んだ。

言い方が少し高圧的になってしまった。別に怒っているわけではなく、むしろ櫂の手首に触れてしまった動揺がまだ残っているだけなのだが、案の定櫂は少し俯いてしまった。


「ごめんね、嫌だった?」


しょんぼりとした声に被せるように、慌てて否定を返した。大袈裟に片手を振りながら「嫌じゃない」と繰り返す。


「ただ、何でかなって気になって」


そう幸助が言った途端、櫂はニヤリと口の端を持ち上げた。

先程までのしょぼくれた顔と声は演技だったのかと疑うほど、櫂は素早くギターを取り出しながら言う。


「だって幸助くん、もう一曲できてるくせに俺に見せてくれないから」


うげ、と声をあげてしまったが、時既に遅し。

櫂は満面の笑みで自身のアコギを差し出し、こう言った。


「昨日電話で言ってたよね? 俺のアドバイスがなかったら三日で二曲も作れなかった、って。だからはい、二曲目歌って?」


言ってない、と否定するには初動が遅すぎた。

櫂の迫力に負けて言い返す言葉を全て飲み込んでしまい、開いた口から何も出てこない。


「チューニングはしてあるし、カポ必要なら出すから、はい」

「いや〜え〜っと、あ、歌詞わかんないな出来たばっかだし」

「スマホにあるよね? 俺持っててあげるから」


ギターを強引に押し付けられ、とりあえず受け取るしか無くなってしまった。

咄嗟に絞り出した言い訳はすぐ否定され、櫂は隣に腰を下ろしながら片手を差し出す。


完全に追い込まれていた。

口を滑らせたのはたしかに自分だが、まさか櫂がここまで強引に来るとは思わなかった。

別に歌ってやる義理はないと言い切りたくても、一曲目の完成に尽力してくれた櫂にはどう考えても義理しかない。

歌ひとつで礼をするなんて安すぎるほどだが、櫂の言う「二曲目」はまさに、櫂のことを想って作ったラブソングなのだ。

それを本人に聞かせるなんてほぼ告白と同義。

恥ずかしすぎてギターを振り回してしまいかねない。


幸助は必死で考えた。酒と動揺でうまく回らない頭を叱咤しながら考えた。

考えたがしかし、櫂の圧に勝てる言い訳が出てこない。


「……あのさ、なんでそんなに聴きたいの?」

「幸助くんのファンだから」


時間稼ぎの質問もコンマ数秒で返されてしまった。

すっかり調子を崩した幸助はとりあえずギターを抱え直し、ゆっくりとスマホを取り出す。


着信があったフリをしようか、それとも事務所から緊急のメッセージが来たことにして、などと考えている内に、櫂が手元を覗き込む。


「どんなに待っても今夜は連絡なんか来ないから、安心して」


心の中を読まれたせいか、それとも肩が触れ合ったからか、とにかく幸助の頭の中は真っ白になってしまった。

抵抗も出来ぬまま手の中のスマホは奪われ、櫂はやけに慣れた手つきでメモアプリを立ち上げようとする。


「わーっ! まっ、待って待って、俺が出すから!」


咄嗟にスマホを奪い返すと、櫂は大人しく両手を下ろし微笑んだ。

肩をすくめて首を傾げるその仕草も暗闇の中で光を放つかのような眩さだが、今はそれどころではない。

ノロノロとメモアプリを立ち上げたり違う歌詞を出したりしながら、再び必死で脳を回す。


ふと、歌いながら歌詞を変えて仕舞えば、とも考えたが、そんなことが出来るなら作詞の講師なんて必要ない。

あとは適当に歌ってからラララに切り替えて、実は未完成でしたと誤魔化すくらいしか思いつかない。

そんなことをしたらきっと軽蔑されるだろうが、この曲が櫂のことを想って作った曲だと知られるよりはマシだろう。

すかさず「まとまらないから今度相談乗ってくれ」とか言えばなんとかなるかもしれない。


幸助は見えてきた僅かな光に縋ることにした。さりげなくスマホを閉じると咳払いを一つ。

櫂の視線が不思議そうに手元を追うのにも気付いていたが、さっさとスマホをポケットに突っ込んでネックを握ってしまう。


「えーと、実はさ、この曲まだちょっと未完成なんだけども」


指先を確かめるように、いくつかのコードを鳴らしながら前置きを告げておく。

これで歌詞を誤魔化せるはずだ。

櫂が聴きたいのはメロディのはずだから、ラララでも歌えば喜んでくれるだろう。

そんな都合の良い思考のままに最初のコードをかき鳴らした、その瞬間だった。


「わかった、俺が歌う」


櫂の声に思わず手を止めてしまった。顔を上げた先、櫂の表情はいつになく真剣で、泣き出しそうにも見える。


「俺が、幸助くんのために作った詞を歌ったら、幸助くんもちゃんと歌ってくれるよね?」


一言一言を噛み締めるように、櫂は言った。

そして視線はギターに落ちる。幸助の手を離れたそれは櫂に抱えられ、そこでやっと声が出た。


「えっ、と?」


櫂の言葉を咀嚼するのに随分と時間がかかってしまった。

そんな幸助の動揺をよそに、櫂はさっさとストラップを取り付け立ち上がる。


「……恥ずかしいから、後ろで歌うね。幸助くんはそっち向いてて」


そう言うなり、櫂は幸助のすぐ背後に回り、少しズレて腰をおろした。

触れ合った背中に思わず少し距離を取る。すぐ右を向けば櫂の横顔が見える距離だ。

いやそんなことより、これはどういう事だろう?

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