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26:あの夏

高1までの夏休みは、とにかく部活と自主練の日々だった。

それが全て奪われてしまった高2の夏休みは、四十日間をどこでどう過ごすかの試行錯誤に追われていた。


幸い、ギターの練習という「やるべきこと」があったので暇を持て余すような事はなかった。

ただ実家は騒音に厳しく、折角買ったアコギをかき鳴らす場所を探す必要があった。

だから幸助は毎日昼前に家を出て学校へ向かい、できるだけ涼しい場所を探して陣取り、夕飯までの時間を過ごした。


夜間の練習場所の確保にも随分と苦労した。

実家もだめ、学校は閉まっている、ともなると、行き着く場所はもう屋外しかない。

色々な場所を転々として、時には路上で歌ってみたりしながら、最終的に腰を落ち着けたのは近所の公園だった。

近所と言っても、最寄りの児童公園までは実家から徒歩十五分かかった。毎晩アコギを背負って軽くジョグをしながらその道を駆け抜け、街灯に怪しく照らし出された遊具を見ながら薄暗いベンチに陣取った。


公園は雑木林に隣接していて、奥には小さな神社がある。

半分を木々に囲まれている上、道路に面した側も住宅街が広がっていて夜は随分と静かだった。

車も人通りもほとんどなく、雑木林の奥は不気味な闇だ。

多少の犯罪は隠蔽できそうだなんて思いながら、幸助は雑木林を背にしたベンチで毎夜ギターをかき鳴らしていた。

周囲の住宅から騒音を咎められることもないので、気温と湿度さえ我慢できれば格好の練習場所だった。


その日も蒸し暑い夜だった。

途中の自販機で炭酸のペットボトルを買って、幸助はいつものように公園への道を急いだ。

それまで、公園に先客がいたことはなかった。夜の雑木林が怖いから皆が近寄らないのだろうと思っていたが、その夜は違った。

公園の入り口で、幸助は足を止めた。


よりにもよって、いつも練習しているベンチに先客がいた。

薄闇に目を凝らし、先客の様子をしばし観察する。


先客はどうやら一人のようだ。

特に何をするでもなく、ぼんやりと座っているように見える。

まさか死んでる?なんてことも思ったが、時折思い出したように頭を持ち上げるから死体ではないようだ。

シルエットは随分小柄に見えて、近所の子供が家を飛び出してきたのかな、と考えた。


幸助は意を決してゆっくりと歩き出した。

なるべく足音を立ててこちらの存在を伝えようとしたのだが、先客が気付く様子はない。

どうしたものかと思案した幸助は、歩調を落として更に先客の様子を観察してみた。

先客はやはり少年だった。と言っても、体格から察するに中学生ぐらいだろうか。

大きめのTシャツから覗く腕が細くて、最悪喧嘩しても勝てる、なんて胸を撫で下ろす。


少年の横顔がはっきりわかるようになると、そのあどけなさに小学生の可能性も考えてしまった。

青白い街灯に照らされた表情はどこか退屈そうで、拗ねたように突き出た唇が印象的だった。

それからやっと、少年が足音に気づかない理由に気がついた。彼の耳には黒いイヤホンがはまっていた。伸びたコードはズボンのポケットに続いている。


音楽を聴いているなら、声をかけるきっかけにはなる。ギターを見せれば興味も引けるだろう。

幸助は、こんなところで一人で音楽を聴いている見知らぬ少年に謎の親近感を抱き始めた。

そうと決まれば、と臆せず歩調を早め、少年の視線がこちらを捉えたところで片手を上げて見せる。


「よう。何聴いてんの?」


幸助が話しかけた瞬間、少年は大きく目を見張り、次の瞬間にはふわりと笑った。

見知らぬ男に話しかけられて微笑むなんてどうかしてる、と少し思ったが、少年の返事を聞くなりそんな違和感は消えてしまった。


「今はグリーンデイのアメリカン・イディオット」

「うわっ、名盤じゃん」


幸助が声を上げると、少年は笑みを広げて頷いた。口を開けると歯並びの悪さが目についた。


「いいよね。全曲ハズレなし」

「わかる〜」


そのころの幸助にとって、好きな音楽がかぶる、というのは他の何よりも信頼に値するものだった。

少年の発言にすっかり気を良くした幸助はそのままベンチに歩み寄り、ギターをおろしながら言った。


「俺さ、最近なんちゃらセプテンバー練習してんだ」

「えっ、Wake me upの? マジ? 弾いて弾いて!」


少年の顔がパッと輝いた。イヤホンを外しながら横にずれて、幸助の座るスペースを作ってくれる。

幸助がギターを覗かせると、少年は体を弾ませて「すごい、ギターだ」と呟いた。興奮のせいか、右の八重歯が下唇に引っかかったままだった。


正式名称を告げてないのに曲名が伝わったことが、幸助はひどく嬉しかった。自分と同じくらい聴き込んでいる仲間だと思った。

意気揚々アコギを抱えると、チューニングもそこそこにジャラランとコードを鳴らす。


GREENDAY のWake Me Up When September Ends という曲は、冒頭から一分半はアルペジオ弾き語りが続く。

コードを一通り覚えた幸助はその頃絶賛アルペジオ特訓中で、この曲を美しく弾けるようになることが当面の目標だった。

完璧でない演奏でも、この頃は臆せず人前で披露していた。その時のアルペジオも、今思えば恐ろしく辿々しかったはずだ。

それでも、少年は一緒にメロディを口ずさんでくれた。

一番を弾き終わると盛大に拍手をしてくれて、弾ける笑顔で「すごい!」と褒めてくれた。


それからはもうずっと、音楽の話ばかりをした。

彼のポータブルプレイヤーを見せて貰いながら、この曲はいいとか、これが好きならこれも聴いて見ろとか、ちょっと偉そうなことをたくさん言ってしまった。

少年は幸助の話を楽しげに聞きながら、時折アーティスト名を携帯にメモったりしていた。

幸助をそれを横目に、小学生にしては通な洋楽ばかりを知っている事からやっぱり中学生くらいかな、なんて考えていた。


その夜は結局まともに練習もしないで少年と語り合って過ごした。

23時を過ぎたところで少年は家に帰ると言い、帰り際に幸助を振り返ってこんなことを聞いた。


「明日もここ来る?」


おう、と応えると、少年は微笑んで「また明日」と言った。

結局名前も聞かなかったが、明日聞けばいいやと深くは考えなかった。


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