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27:あの夏

翌日、幸助が公園に着くと少年はもうベンチにいた。

相変わらず荷物らしきものはなく、ポータブルプレイヤーからはイヤホンコードが伸びていた。

わざと足音を立てて公園に入ると、少年は待ち構えていたように手を振ってくれた。


「もしかして結構早くから待ってた?」

幸助がそう聞くと、少年はゆるゆると首を振った。

「別に平気。家に居たくないだけだから」


少年の家庭事情に少し興味が湧いたが、その時は深く突っ込めなかった。

昨夜と同じように、少年の隣に腰掛けるとギターを抱える。少年はイヤホンをしまいながら、「今日は何弾く?」と身を乗り出してくる。

何曲か、思いつくままに弾き語りをしてから、ふと幸助は少年に問いかけた。


「お前、歌うの好き?」


少年は大きな瞬きを一つしてから、ふんわりと微笑んで頷いた。

年下のはずなのにやけに大人びた笑い方をするなと、幸助は少し緊張してしまった。


「じゃあさ、お前もなんか音楽やんなよ。聴くだけじゃなくてさ」


言うが早いか、幸助は少年膝の上にギターを置いた。

慌ててそれを抱え込む少年の細腕は見なかったことにして、幸助は笑顔で「教えてやるからさ、ちょっと弾いてみ」と言った。


その夜から半ば強制的に、少年へのギター講習が始まった。

まずはCのコードから。指と弦の位置を言葉で伝えるのは難しく、文字通り手取り足取り指取りで指導して、少年ははじめて自分でギターを鳴らした。


「できた!」


嬉しそうにはしゃぐ声はハイトーンで、声変わり前を感じさせた。

細すぎる腕や首筋、くたびれたTシャツの襟元がその夜はやけに気になった。

結局その夜は三つのコードを教えて、23時には少年と別れた。

昨日聞き忘れた名前を別れ際に問うと、少年は少し考えてから「また明日」と笑って手を振った。


少年と過ごす夜は、それから更に三日続いた。

幸助は自身の練習も忘れて少年にギターを教え込み、少年もギター教本を持ってくるなどの意欲を見せ、二人の時間は大いに盛り上がった。


少年は覚えが早く、前日教えたコードを翌日は完璧に押さえられていた。

簡単なコード進行ならスムーズに演奏できるようになると、幸助は先輩ぶって難関コードのFを見せながらこう言った。


「CとAとDとEだけ覚えて良い曲作ろうとしたって、どっかで聞いたような曲にしかならないからな。難しいコードも何度も繰り返して指に叩き込むんだ」


少年は素直に頷き、指を懸命に伸ばした。無理に曲げた手首が華奢すぎて、折れるんじゃないかと心配してしまった。

しかし少年は幸助の心配をよそに、出会って四日目の夜には初心者最難関であるFやBのコードをマスターしてしまった。


「な、お前さ、自分のギター買った方がいいよ。絶対才能あるって!」


五日目の夜。簡単な曲なら弾きながら歌えるようになってしまった少年に、幸助はたまりかねてそう告げた。

当時幸助の周りには楽器をやるほどの音楽好きがいなかったため、こうしてギターの話ができることが純粋に楽しかったのだ。

一緒に弾いてみたい、彼が音楽仲間になってくれたら、という密かな期待もあった。

幸助の言葉に、少年は少し眉を下げて笑ってみせた。


「じゃあまずはバイトしないとだ」

その言葉に素直に声をあげてしまった幸助は、そこで初めて、少年の年齢を聞いた。


少年は全寮制の私立男子校に通っている、高校一年生だった。

幸助は驚きを隠せなかったが、少年は察していたらしく、笑って「小学生に間違えられることなんかしょっちゅうだから」と言った。


「全寮制、ってことは結構お坊ちゃんなのか、お前」

「残念ながら、特待生で学費免除してもらってるだけの孤児だよ」

「こ、……いや、まぁ、うん。色々あるよな」


孤児、という聞き慣れない単語を漢字変換するのに少し時間がかかった。

思わず口に出しそうになったがギリギリ飲み込んで、当たり障りのない相槌を捻り出した。

親が居ない、という事実が、少年の横顔を余計あどけなく映し出す。

けれど、両親も兄弟も健在で何不自由なく暮らしている自分には、かけてやれる言葉が見つからない。


そんな幸助の動揺を見透かしたように、少年は小さく笑った。


「今夏季休暇中なんだけど、面倒なことにお盆の時期は全校生徒が強制的に帰省させられるんだ。けど俺には実家なんてないから、遠い親戚の家に居候してる」


きっと少年は、その親戚の家とやらに自分の居場所を見つけられなかったのだろう。

特に夜間、その親戚家族一同が家に居る時間帯は、彼にとってどこに居るのも苦痛だったのだ。

だからここに逃げ込んで、音楽だけをお供に時が過ぎるのを待っていた。


あの時声をかけて良かった、幸助はそう思っていた。

彼にとって「また明日」の約束は、きっと力になっただろう。

年上ぶって半ば無理やり教え込んだギターも、気晴らし程度にはなったはずだ。


「なんだよ。早く言ってくれれば昼間も遊んだのに」


幸助がそう言うと、彼は「そうだね」と笑った。その笑顔に気を良くして、幸助は前のめりに聞いた。


「じゃあさ、明日は? 俺ギター持ってくし、あ、他にやりたいことあったら付き合うし」


しかし、少年は微笑んだまま首を振った。

なんで、と幸助が追撃すると、少年は「親戚の家の手伝い」と小さくこぼした。

幸助はその顔に恐れや悲しみを探したが、少年は穏やかに微笑んだままだった。

居候させる代わりに家事を押し付けられる奴隷のような姿を想像してしまったが、そうではないのだろうか。

無理やり連れ出してやろうか、とも考えたが、少年がそれを求めているようには思えなかった。

幸助は渋々引き下がり、少年は申し訳なさそうにペコリと頭を垂れた。


「でも、夜は空いてるから。明日もまたここで会ってよ」

「まぁ、それは全然いいけど」


答えながら、幸助の意識は明後日に飛んでいた。もしくはその翌日。その翌々日でもいい。

毎日手伝いとやらがあるわけではないはずだから、空いている日を聞き出して連れ出したい。

そんなことを考えていた矢先、少年は唐突に切り出した。


「明後日の昼には寮に戻るんだ」


幸助の思考がパタリと止まる。

え、と問い返してしまったら、少年は寂しそうに笑って言った。


「だから、明日の夜が最後」


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