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28:短期集中講座最終日

幸助は必死で言葉を探した。

なんでもっと早く言ってくれなかったんだとか、最終日ちょっとぐらい会えないのかとか、未練たらしい言葉ばかりが浮かんでは消えていった。

どれも素直に口に出すのは恥ずかしくて、何も感じていないフリで誤魔化したくて、幸助は短く「そっか」とだけ返した。


永遠に続くような気がした夏休みもこの時間も、いつかは終わる。

それが明日だっただけ。少し、予想よりも早かっただけ。


うるさいほどの静けさと湿気が二人にまとわりついて、肩に乗る空気が重くなった気がした。

少年はギターをぽつりぽつりと鳴らして、23時になるとベンチから立ち上がった。

最後の「また明日」を交わして、少年は小走りに公園から去った。


一人になると、自分の感情がよりクリアになる。あれこれ誤魔化そうと言い訳や慰めを考えても、どうにも心がおさまらない。


寂しかった。

たったの五日間、毎日会っただけなのにどうしてこんな気持ちになるのかと驚くほど、寂しかった。

ここで終わるのは惜しい出会いだと思った。

けれど、彼と自分を繋ぐものがあまりにも足りない気がして、幸助はただただ焦っていた。


少年は今日も名前を教えてくれない。

幸助の名前はとっくに名乗っているのに、名前を聞くといつも有耶無耶にされる。

明日は流石に教えてくれるだろうか。携帯の連絡先聞いてもいいのかな。

全寮制の男子校ってどこにあるんだろう。来年の夏も、この辺にある親戚の家に帰省するのかな。


また会えるのかな。また会いたいな。また会いたいってことを、伝えてもいいのかな。彼もそう思ってくれているかな。

ぐるぐると渦巻く様々な感情を吐き出すために、幸助はギターを抱え直した。感情のままにコードを奏で、メロディを鼻歌で繋げていく。


あっという間に出来上がった一曲に、幸助は密かな願いを込めた。

いつかまた出会えたらいい。

その想いと共に、翌日この曲を少年にプレゼントした。

歌詞も考えてはみたが、あまりにも女々しい言葉ばかりが並んで恥ずかしくなったのでラララで誤魔化してしまった。


少年は喜んでくれた。

タイトルは? と聞かれたので、お前がつけていいよ、と返した。


「これはお前の曲だから」


幸助は確かにそう言い切って、それから持っていたピックを差し出した。


「ギターはあげらんないけどさ、自分で買ったら、これでこの曲練習しろよな」


特別でもなんでもない、どこにでもあるシェル素材のギターピック。

貝殻の内側のように白く滑らかで、角度によって虹色に偏光するそれは、幸助のお気に入りだった。

けれどそれ以上に大切にしたい思い出が出来たから、もう未練はない。


少年はピックをおずおずと受け取り、目の前にかざした。

虹色に気づいたようだ。幸助はすかさず横から覗き込む。


「いいだろ。なんか、怪獣の鱗みたいでさ」


少年は声をあげて笑い、同意してくれた。

そして、華奢な手のひらにそっと握り込めてから、礼を告げた。



***



東屋で別れた日から2日あけて、幸助はかいをスタジオに呼び出した。


口実に使った「歌詞が三曲できたから最終調整を手伝って欲しい」の言葉に嘘はない。

実際幸助は、この2日で二曲分の歌詞を捻り出していた。

あの夜歌わされそうになったラブソングは、予定通りお蔵入りだ。

例え櫂の正体がわかったところで、ご本人を前に歌えるような内容ではない。


櫂は幸助の呼び出しに素直に応じてくれた。

別れ際の幸助について問いただすことも、弾き語りで聞かせてくれた曲について触れることもなく、場所と時間を了承するメッセージだけを送ってきた。

けれど、おそらく予感はしているだろうと、幸助は感じていた。


あの夜東屋で『スケイル』を弾いたのは、幸助に公園での出会いを思い出させたかったからだ。

幸助の反応をどう思ったかはわからないが、思い出したかもしれない、という期待を僅かでも抱いてるのは間違いない。


だから幸助は、その話題を引っ張ることにした。

佑賢から告げられている三曲分の歌詞お披露目は、いよいよ明日。

櫂と自分の関係性がどうあれ、今日中に残り二曲の歌詞についてアドバイスをもらわなければいけないのは事実だ。

なので、先に今まで通りに作詞の相談をすることにした。

その後出会いの話を切り出せば、たとえ櫂との空気が悪くなってしまったとしても、最低限のミッションはクリアとなる。


スタジオの二重扉のノブが周り、少ししてからゆっくりと扉が開いた。

隙間からひょこりと顔をのぞかせた櫂は、幸助を見るなり笑顔を浮かべる。


「ごめん、遅くなった」

「いや全然。俺も今来たところ」


なんて言うのは嘘で、本当は30分前からスタンバっていた。

ギターも弾かず、水のペットボトルを弄びながら今日の本題について考えていたのだが、結局うまい切り出し方は見つからなかった。

まぁいいか、出たとこ勝負で。なんて考えながら丸椅子を並べ、ギターの準備を始める。


櫂の様子は一昨日と変わらず、いつも通りのように見えた。

幸助の弾き語りを楽しみにしているようで、チューニングから前のめりに手元を見つめている。

そんなに見るなと笑ったら、櫂ははにかみながらこう言った。


「だって、こないだ結局歌ってくれなかったし」


声にも言葉にも、深い意味や棘のようなものは感じられなかった。

それでも幸助は素直に顔を強張らせてしまい、櫂が困ったように眉を下げて続けた。


「ごめん。責めてないし、気にしてないから」

「……いや、俺の方こそ、突然帰ったりしてごめん」


櫂は小さく首を振るだけで、それ以上何も言わない。ただ、そらされた目が不安げに揺れたのを、幸助は見逃さなかった。


そりゃそうだよな。怒らせてしまったかなとか、心配になるよな。

櫂の表情が曇ったことにざわつく胸が、方向転換を訴えてくる。

このまま「実はあの時」なんて切り出せば、櫂の笑顔を取り戻すことができるだろう。

詞の調整なんてその後でもやれるんじゃねーの? だって俺ら二人ともプロよ?

なんて、調子のいい自分が声を上げ始めた。抗う自分がどんどん小さくなっていく。

押さえたコードを一つ鳴らせば、新曲を歌って歌詞を聞かせて櫂のアドバイスをもらう流れに入れるはずなのに、櫂の震える瞳が脳裏から離れない。


幸助の歌い出しを待っていた櫂が、どうしたのかと視線を持ち上げたのがわかった。

幸助は顔を上げられないまま、そして心の準備を少しも完了しきれぬまま、押さえていたコードを変えて一音めを鳴らした。

記憶だけを頼りに奏でる、簡単なコード進行。短いイントロが終わって、幸助はうまく出ない声でそれを歌い始める。


「【あの頃 僕の世界は真っ暗で 目をこらしても 何も見えていなかった】」


櫂が息を呑んだのがわかった。

どんな顔をしているのか気になったが、幸助は顔を上げられなかった。


心と記憶が、急速に過去に戻っていく。

真夏の夜、公園の薄暗さ、不気味な静けさ。

そこに響くギターの音色と、自分の声と、一緒に口ずさむ、小さな小さな歌声。


あの夜と同じように、成長した少年は幸助の隣で同じ曲を口ずさんだ。

あの夜ついていなかった歌詞は、少年が自分でつけた。

幸助はその歌詞を懸命に追いかけたが、緊張も相まって途中の歌詞が飛んでしまった。


咄嗟にラララで歌ったら、隣で小さな笑い声がした。

顔を上げた先で、成長した少年はあの頃と同じように優しく微笑み、歯並びの悪い口で一緒にラララを口ずさんだ。


あの夜、幸助は結局少年の名前を聞かなかった。

連絡先も、学校名も、何も聞かずに別れてしまった。

勇気が出なかった。

ここで終わってほしくない出会いなのに、自分の努力で繋ぎとめられる自信もなかった。

だから幸助はずるい手を使った。


いつかこの曲を歌っているやつに出会ったら、そいつが彼だ。

もしまた出会えたらその時は、運命だと思って今度こそちゃんと友達になろう。


だけど幸助は、その曲に込めた小さな賭けと大きな願いを、青春時代の苦くて気恥ずかしい思い出と共に封じ込め、忘れていった。


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