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29:短期集中講座最終日

「……なんで忘れていられたんだろうな」


最後の一音が余韻まで消えて、心地よい沈黙がスタジオを満たした時、幸助は小さくそう零した。

自分で歌ってみたら余計に、あの頃の気持ちが鮮明に蘇ってしまった。

そして同時に、あれだけ強く想っていたはずなのに曲を聴いても思い出せなかった自分に憤りを覚えた。


「俺さ、あの東屋でこの曲聴いて、咄嗟に『盗作だ』って思っちゃったんだよね」


馬鹿な怒りだったと、幸助は自嘲しながら言った。

かいは驚く様子もなくただ「うん」と頷き、何かを噛み締めるように目を閉じる。


「だってこの曲、スッゲー俺の曲じゃん。でも俺、自分がいつ作ったのかとか全然記憶なくてさ。焦って、佑賢ゆたかにライブ映像探してもらって、何度も聴いて、それでやっと……」

「幸助くんは悪くないよ」


自分への怒りと櫂への申し訳なさで、幸助は自嘲もできず口を閉ざした。

どう謝っていいかもわからず、情けなくて項垂れてしまう。そんな幸助に、櫂は優しくこう続けた。


「ヒトは忘れる生き物だから、幸助くんは何も悪くない」

おずおず持ち上げた視線の先、櫂は少し眉を下げ微笑んだ。

「むしろ謝るべきなのは俺の方だよね。幸助くんの曲をずっと自分のモノのように歌ってたわけだし、盗作なのは間違い無くて。だから……」


ごめんなさい、と深く頭を下げて、櫂はしばらく顔をあげなかった。耳にかけた横髪がさらりと滑り落ちるのを見て、幸助も弾かれたように頭を下げる。


「いや! 俺の方こそ、ごめん。すぐ思い出せなくて本当にごめん」


謝れば謝るほど、自責の念が膨らんでいく。

こんなに大切な想いを、人一人の人生を変えてしまうほどの好意をあっさり忘れられるなんて、自分はそんなに薄情な人間だったのか。


悔やむ気持ちばかりが口から出そうで、幸助は頭を上げても俯いたままだった。

そんな幸助の心中を察してか、櫂は囁くように、優しく告げた。


「俺的には、忘れてて欲しかったんだよね」


後悔を肯定してくれる言葉だ。けれど今はむしろ、どうして忘れちゃうんだよと責めてくれた方が楽だと思ってしまう。

顔を上げられない幸助を小さく笑って、櫂はゆっくりと続けた。


「俺の事探してくれたりとかは、してほしくなかった。だから、何度聞かれても名前とか個人情報を伝えなかった」

「……え?」


あの夏の夜の少年を思い出す。

『それで? いい加減お前のこと「お前」って呼ぶの嫌なんだけどさ、どうしたら名前教えてくれんの』

若干の苛立ちを声に乗せても、少年は大人びた微笑みを浮かべるだけだった。

『じゃあ、俺がアルペジオマスターしたらね』

そんな、手が届きそうで届かない少し先の話でいつもはぐらかして、少年は夏と共にいなくなってしまった。


幸助が眉を顰めると、櫂は曖昧に微笑んだまま俯いた。続く声はとても小さくて、防音スタジオの籠った空気にすら阻まれる。


「記憶に残ってしまったら、再会の仕方が変わっちゃうから」


幸助がその言葉の意味を汲み取るより早く、櫂は勢いよく顔を上げた。

その表情はいつものように明るく、先ほどよりもずっと楽しげな声が続ける。


「この曲を聞かせてもらった時さ、幸助くんは絶対ミュージシャンになると思った。確信したんだ! だから俺も、絶対ミュージシャンになろうって思った。ミュージシャンとして成功して、フェスの楽屋とかで幸助くんに挨拶した時に『実はあの時ギターを教えてもらった者です』『約束ちゃんと守ってるよ』って言ったらさ、幸助くん絶対ものすごーく驚くでしょ? そういうサプライズがやりたかったんだけど……」


櫂の声がゆるりと失速して、最後は「ファミレスになっちゃったからなぁ〜」と苦笑い。

同じようなことを先週月曜のファミレスでも言ってたな、と思い出し、幸助も思わず口元を緩めてしまった。


櫂が笑うと、空気が変わる。視界の色が変わる。

その言葉は、幸助の気持ちを的確に浮かばせてくれる。


自責の念が少し萎んでくれたので、幸助も背筋を伸ばすことができた。

櫂がそう言ってくれるのなら、忘れていた事を忘れてしまおう。こうしてまた再会できたんだから、それでいいじゃないか。

持ち前の楽天的思考に切り替えながら、ジャブを打つつもりで揶揄いを声に乗せてみる。


「……ファミレスでも、言ってくれたらよかったのに。昔公園でギター教えたことありますよね? とかって」

「やだよそんなの、フツーすぎ。もっと劇的な再会がよかったの!」

「はは、謎にこだわるね」

「当たり前でしょ。運命の人との再会はドラマチックじゃないと」


急に飛び出した満面の笑顔とロマンチックな単語に、心臓が跳ねる。

怒りと申し訳なさで奥に仕舞い込んでいたウブな感情が、出番ですねとばかりに飛び出してきてしまった。

とりあえず「なんだそれ」と棒読みな返答で間を埋めつつ、むくむくと湧いてくる動揺と興奮を前に慌ててしまう。


そういえば今、好きな人とスタジオという密室で二人きりなのだ。

その好きな人は、ずっと昔に一度逢っていて、なんなら自分はその人の人生を大きく変えた存在だったのだ。


櫂の言う通り、二人の関係には確かに「運命」という言葉がよく似合う。

出会ってすぐに心惹かれたこの状況も、「運命」と言う都合がいい単語なら全部説明できてしまう。

つまりこの恋は、「運命」……普段なら鼻で笑いたくなるようなフレーズも、今の幸助にとってはサビにもなるキラーワードだ。


自分の気持ちを肯定されているような気にもなって、舞い上がる心臓は勢いよく血液を送り出す。

耳の奥で鼓動がうるさい。ニヤけそうになる口元を、内頬を噛むことでギリギリ耐える。


落ち着かなくなってきた幸助とは対照的に、肩の力が抜けた櫂は満足げなため息を吐いた。

あ、そうだ、と思い出したように胸元に手を入れたと思ったら、Tシャツの中からネックレスを引き出し掲げて見せる。


「見て。怪獣の鱗」


櫂はそう言って立ち上がり、幸助の目の前に屈んだ。細いチェーンの先にぶら下がっているのは、白いピック。


「実は、幸助くんに会う時はいつもこれつけてたんだよ」


顔を上げると、櫂がすぐそこではにかんでいた。距離の近さに高鳴る心臓を意識外に追いやって、幸助はピックをそっと摘んでみる。


「……なつかし。あの時使ってたやつだ」


最後の記憶よりも表面のプリントが禿げていた。きっと少年、……いや、櫂が練習に使ったのだろう。

シェル素材もそのままだ。傾けると虹色にきらめく。


あの頃、どうにか手懐けようと必死だった怪獣おんがくと、対話するためのピック


久しぶりに顔を突き合わせた巨大なそれは、幸助の意のままに歩き、飛び、吠える。

青臭い衝動と共に、嵐のようなメロディが沸き起こった。

音楽を続けていてよかった。君に会えてよかった。

込み上げる想いに笑みを浮かべて、幸助は鱗を強く握りしめ、目を閉じた。


「……櫂くんさ、『スケイル』ちゃんと音源化したら?」

手を離しながらふと口を開くと、櫂は背筋を伸ばしながら口を尖らせた。

「やだ」

「なんで? クレジットの事なら俺は全く気にしないからさ。作曲も八坂櫂表記で出しちゃえよ」

「それは絶対ダメ」


櫂が不機嫌そうに顔を顰めた。ピックのネックレスはまた櫂のTシャツの中におさまり、すぐそこにある薄い胸元に気付いてしまった幸助はまた、落ち着かない気持ちになる。


「俺がいいっつってんのに?」

「だめです。ファンにもずっと、この曲は音源化しないって宣言してるからいいの!」


語尾強めに言い切った櫂は、この話は終わり、とばかりにパチンと両手を打ち鳴らした。


「とにかく! 『スケイル』はこれからもライブ曲! 聴けるのは現地のみ! ライブDVDにも収録しません!」

「そんなに? ファンから叩かれそうだな」

「叩きたいなら叩けばいいよ。これは俺のものだもん。俺と幸助くん以外誰にも歌わせたくない」


駄々をこねる櫂を笑ったら、櫂もふくれっつらを溶かして微笑んだ。

下唇に少し乗っかる八重歯。あぁ、可愛いな、と感嘆の吐息が漏れる。

見惚れる幸助は、櫂の両手が肩に乗ってはじめて、距離が縮まっていることに気がついた。


「……でも、これからはもっと大切に歌う。幸助くんに感謝しながら、心を込めて、歌うね」


きっと今自分は間抜けな顔をしているだろう、と思っても、表情を変えるどころか瞬きすらできない。

櫂の両手が自身の首に回って、肩に僅かな重さと感触がのしかかったところでやっと、呼吸を止めていることに気づいた。

弾かれたように息を吸うのと、櫂が耳元で囁くのが同時だった。


「ありがとう。これからも、よろしくね」


律儀に抱えていたギターから手を離すこともできず、何かを言うことも出来ない。

一瞬の熱を残して、櫂の体は離れた。

男同士の、友人同士の軽いハグ。ライブでバンドメンバーとよくやるようなそれと同じのはずなのに、幸助はいつまでも反応ができない。

こちらを見下ろす櫂の表情が妖艶で、肩に残る片手が焦らすようにTシャツをなぞり、耳に残る囁きがいつまでもエコーを響かせ、髪に触れた感触が頬に残る。


あぁ、俺おかしくなってるわ。

冷静に動くらしい頭の一部が、まずそんなことを思った。

好きな子に期待以上に距離を詰められる、なんてシチュエーションはこれまでも何度かあったのに、こんなに理性がとぶことはなかった。

櫂に抱く感情も衝撃も、全てが過去のどの経験にも当てはまらない。

初めて男を好きになったからだろうか。同性ってだけでこんなにおかしくなるものだろうか。

なんかもう、おかしすぎていっそ怖いくらいなんですけど。


浅い呼吸を繰り返しながら、幸助はどうにか自我を手繰り寄せた。

櫂が背を向けて丸イスに戻っていく、その僅かな時間でなんとか立て直そうとする。

とりあえず何か言わないと。抱きつかれながら言われた言葉は思い出すとパニックになりそうなので、それより前の会話を慌てて思い出す。


「……お、俺も音源欲しかったな」

小さく絞り出したら、櫂が腰掛けながらからりと笑った。

「じゃあ俺が死んだら、幸助くんが歌ってリリースしてよ。作詞にだけ俺の名前残してさ」

「いや、何十年後の話だよ」


幸助のツッコミに、櫂は満足げに笑う。普通の会話ができたことで、幸助もほっと胸を撫で下ろした。このまま動揺を押し殺そうと、ギターを爪弾きながら思いつくまま続けてしまう。


「じゃあせめて、いつかライブで一緒に歌おうぜ」

「それいいね! 対バンしよ! PinkertonピンカートンALLTERRAオルテラでツーマン!」


櫂がはしゃぎ、つられて幸助も笑う。やっと脈の速さも落ち着いてきた。

平常心をかき集めながら、幸助は相槌のようにギターを鳴らす。


「箱めっちゃデカくないとALLTERRAのファンから叩かれるやつじゃん」

「Pinkertonファンも入るんだから、アリーナぐらいいけちゃうんじゃない?」

「東名阪アリーナツアー? やっベーテンションあがる! いつかやりてぇな〜」


幸助の落ち着きとは反比例して、二人の未来予想図が加速する。幸助がはしゃぐと、櫂は嬉しそうに顔を綻ばせこう言った。


「できるよ。きっとすぐだよ! 幸助くんは今日三曲完成させて、Pinkertonはそのままメジャーデビューするんだから」


櫂のこの言葉がきっかけで、二人の話題は歌詞の調整へと雪崩れ込んだ。

幸助はまだ少しうわついた気持ちのまま二曲を披露して、櫂の評価とアドバイスを聞き細かく調整していく。


東屋で披露を渋ったことについて、櫂は何も言ってこなかった。だから幸助も、あのラブソングは心の奥深くに仕舞い込んだ。

二曲分の歌詞はあっという間に出来上がった。二人は残り時間をセッションで楽しみ、そのまま飲みに繰り出した。

先日と変わらぬ楽しい時間を過ごし、思い出話にも花を咲かせた。頻繁に会っているのに話題は尽きなかった。


時間経過が恨めしいほど、共に過ごせる時間が大切で、幸せだと思った。

あのラブソングはお蔵入りだが、この気持ちは大事にしようと思った。

だから別れ際に、酒の力を借りて少しだけ勇気を出した。


「またね」と手を振る櫂に歩み寄り、勢いよく抱き寄せて、一度背中を強く叩く。

ロマンチックだなんてとても言えない、ぶっきらぼうな行動。

でもそれでいいと思った。だって俺たちは、友達だから。

大きな目を見開いて固まる櫂に「またな!」と笑って、幸助は歩き出した。


全てがあっという間に過ぎていく。櫂と出会った一週間も、櫂と過ごす楽しい時間も、あっという間。

幸助はこの時、櫂との良好な関係はこの後もずっと続くと思っていた。

一緒にいる時間はあっという間でも、その一瞬一瞬をずっと続けていけばいい、続けていけると、そう信じて疑わなかった。




けれど、この日櫂が言っていたことは全て、本当になる。


翌年の夏に、櫂は死んだ。


翌々年に出たALLTERRAトリビュートアルバムの中には、Pinkerton名義で幸助が歌った『スケイル』が収録された。


作曲:美園幸助 作詞:八坂櫂


二人の名前が並んだこのクレジットに、ファンは大いに湧きさまざまな憶測が飛び交ったが、真実が明かされる事はなかった。



未来を見通すような櫂の発言は、思い起こせばいくつもあった。

あの夏の夜からずっと、櫂は囚われ続けていたのだ。

どうしようもない時間の大流の中で、もがき苦しんでいたのだ。


幸助は櫂を救いたかった。救うつもりで、行動を起こした。

あの日下した選択が正しかったのかどうか、今でも、誰にもわからない。

櫂を救えたのかどうかも、わからない。それを確かめる術はない。



けれど、幸助に後悔はない。

「今度こそ」救えたのだと信じている。


だから今日も、幸助は歌い続ける。

「会いたい」を繰り返す、真っ直ぐなラブソングを。




ーーーカイジュウ・スケイル 第二部へ



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