「とりあえずデビューしてみねぇとさ、わっかんねぇじゃん? ちゃんと売れるかどうかも、ここの家賃払えるかどうかも!」
何もなかったようにがはは、と笑い飛ばして、幸助は缶チューハイを一本空にした。
「幸助お前さ」
「え、何、なんで内緒話?」
「いいから答えろ。お前さ、恋してんの?」
「え? は?」
唐突な質問に思わず身を引いてしまったら、ゴンは幸助の肩をがっしりと引き寄せ、さらに小声でこう続けた。
「相手、
「え!? はっ!?」
つい、ゴンの腕を振り解く勢いで暴れてしまった。
しまった、と思ってももう遅い。幸助を見つめるゴンはカラーサングラスの奥の目をキュッと細め、ふぅん、と低く唸る。
「マジか。チョロいなお前」
「いやいやいやちょっと何、なんの話だか全然」
「幸助、ほら、ビール」
乾物やポテチを抱えて戻ってきた佑賢が、能面のまま500ml缶を差し出した。
ゴンは何事もなかったように身を引き、いまだに動揺を隠しきれない幸助は目を泳がせながらビールを受け取る。
「腹減ってるよな? あと1時間もしたら追加が来るからそれまでこれで凌いで」
「あ、そう、うん、さんきゅ」
雑な反応を返しながら、幸助は心臓を落ち着かせるのに必死だった。
なぜこんなに動揺しているのかもよくわからぬまま、とりあえずちゃんと否定をしないと、とゴンを盗み見る。
が、既に手遅れのようだ。ゴンはどこかつまらなそうな顔で缶ビールを啜り、つまみに手を伸ばしている。
話を続けないのも、ゴンの中で確定してしまった証拠だ。
居た堪れない状況に耐えかねて、幸助はソファから立ち上がった。
今更否定しても遅いなら、この話は無かったことにしよう。
あ、でも一応もう一度ちゃんと否定くらいはしといた方がいいのか?
ゴンちゃん口軽いからなぁ。
佑賢にもすぐ伝わっちゃいそうだし、そうなったら色恋沙汰はどうこうってまた小言言われそうだし……
なんて考えながらトイレに足を向けた途端、だだっ広いリビングにチャイムの音が鳴り響いた。
聞き慣れない和音に全員が動きを止め、それから佑賢を見る。
「あれ、もう来た? 早いな」
そう呟いた佑賢は、インターホンを通り過ぎ直接玄関へと向かった。
それを見届けた幸助はゴンを振り返り、首を傾げる。
「なぁ、オートロックの家って出前とかどうすんの?」
「ふつーにマンション入り口の鍵開けてやって、玄関まで来てもらう」
「でも今、佑賢鍵開けてねぇけど」
幸助の疑問は、次の瞬間耳に飛び込んできた声で全て吹き飛んだ。
こんばんは、と歌うように告げるハイトーン。早かったねと笑う佑賢の声。
早く来たくて迎えにきてもらっちゃった、と楽しげな声が近づいてくる。
そして次の瞬間、立ち尽くす幸助の目に飛び込んできたのは、
恋焦がれた想い人の、弾けるような笑顔だった。
23時。夜食を出前したと思ったら、好きな人が来た。
***
佑賢の新居に突如現れた
オーバーサイズのパーカーとスウェットズボン。手にはパンパンに膨らんだコンビニのビニール袋。明らかにオフモードの格好でぺたぺたとフローリングを歩くその姿に、幸助は衝撃で声も出せなかった。
何故櫂がここに?
こんな深夜にラフな格好でコンビニついでに来るって、どういうこと?
そんな幸助の疑問は、しかし口に出ることなく次の衝撃に飲まれていく。
さらに櫂の後ろからリビングに入ってきたのは、格闘家を思わせるような筋骨隆々の大男だった。
これには幸助だけでなくゴンも目を見張ったが、お邪魔しますと丁寧に頭を下げる姿には何故か既視感を覚えた。
どこかで見たような気もする、と思いながら呆然と二人を見つめていると、二人の反応に満足そうな櫂が、佑賢と視線を交わしてからこう言った。
「紹介するね。もう一人のALLTERRAの、大地でーす!」
「初めまして。
いかつい見た目とは裏腹に、大地は再び深々と頭を下げて見せる。
そこでやっと既視感に気付いた。
ALLTERRAのライブ映像の最後、手を振る櫂の少し後ろでフロアに向かって深く頭を下げていた大男のシルエットを思い出す。
アー写でも櫂の後ろで控えめに写っているだけなので顔を見慣れているわけではないが、その特徴的な体格は確かに、記憶の中の映像と一致する。
腹の底に響くような低音は紳士的で優しい印象を受けるが、顔を上げると強面な上、常に無表情なのがなんともミスマッチだ。
短く切り揃えられた頭髪と鍛え抜かれた体、そして何より切長の目に宿る鋭い眼光は軍人ですと言われた方がしっくりくるが、確かに彼は紛れもなく、ALLTERRAのドラマーである。
「どーもー、Pinkertonのゴンと、この間抜け面がピン助でーす。よろしくねー」
幸助が反応しないからか、ゴンがゆるい自己紹介を進めてしまった。
あだ名を呼ばれ弾かれたように背筋を伸ばすと、そんな幸助を見て櫂がくすくすと笑う。
「あっ、ボーカルの幸助です! よろしく!」
この時、幸助は正直挨拶どころではなかった。
笑う櫂に目も意識も全てを奪われていて、大地がなんと返してくれたのか聞いてもいなかった。
本物の櫂が、すぐそこにいる。
電波を通さない肉声で、液晶を通さない肉眼で見えるところで、笑っている。
大股で一歩、距離を詰めれば触れる距離に、好きな人がいる。
全身の密度がおかしい。ぎゅっと詰まって苦しいのに、すごく軽い。
俺今1センチくらい浮いてんじゃねーかな。
「……櫂くん、久しぶり」
続いてやっとのことで絞り出した声は、随分甘ったるく聞こえてしまった。
二人きりならまだしも、佑賢もゴンも、初対面の大地もいる場だ。
浮ついていることを悟られてはまずいと、慌てて普段通りを取り繕う。
「ってか、何で居るの?」
「ふふ、驚くなかれ」
その質問を待ち構えていたかのように、櫂が笑みを広げた。
どこか得意げに顎をあげて胸を張る、その仕草も目眩がするほど可愛い。
なんて気もそぞろでいると、櫂の口からとんでもない事実が飛び出した。
「実は俺たち、ここに住んでるんでーす!」