「いやなんでそうなるんだよっ。俺が女だったらって言ったろ!」
珍しい
片手を手刀のように突き出したベタなツッコミで、このやりとりはひと笑いと共に落ち着くはずだった。
が、瞬きの後に気付く。
リビングの誰も笑っていない。
元から無反応気味な佑賢と大地はともかく、ゴンや
「……え、この空気なに?」
耐えかねてつぶやくと、止まっていた時間がやっと動き出した。
しかし、ゴンは幸助と目を合わせようとはせず、櫂も炭酸水のペットボトルを弄んでいる。
助けを求めて目を向けると、一人掛けソファの肘置きに片肘をついたままの佑賢がやっと小さく笑った。
「で、どうなの? 櫂くん的には」
話題は振り出しに戻る。
何事もなかったかのような空気の中、櫂はあっけらかんと「やっぱ佑賢くんじゃない?」と答えた。
「デビューしたらもっと人気出ちゃうと思うなぁ。佑賢くんソロの仕事も絶対来ると思う!」
「へぇ、例えばどんな?」
「アンアンの表紙とかどうよ! 男と女のなんちゃら〜みたいな煽り文付き」
「それはゴンがやりたいやつだろ」
「むしろそれは大地の担当かも、肉体美だし」
ゴンもごく自然に会話に合流し、話題はバンドマンのソロ仕事に切り替わった。
幸助にとっても気になる話題なのだが、意識が散らかって集中できない。
櫂は二つ目の質問に答えなかった。
意図的に避けたのか、答えるつもりだったけど話題が変わってしまって言えなかっただけなのかはわからない。
ただ、答えなかったという事実が、幸助の気持ちを少しだけ楽にしていた。
自分にもまだ可能性はある。というか、自分が一番可能性が高いはずだ。
それが
自分が櫂の一番でありたい。
そして櫂が一瞬でも、自分と付き合っている場面を想像してくれていたらいい。
ソファに深く沈んだ勢いで、櫂が体の横に投げ出していた手に触れてしまった。
ほんの一瞬の熱。
櫂は何も気にせず会話を続けているが、幸助の手の甲にはいつまでも感触が残る。
誤魔化しがてら抱えたクッションをぼんやり見つめながら、考えるのはまるで恋する少女のような他愛もない妄想。
例えば俺たちが皆に内緒で付き合い始めたとして、こんな宅飲みの状況があったら。
さりげなく隣に座って、二人の間に置いたクッションの影で手を繋ぎたい。
顔も口も何もないようなフリをして、触れ合う一箇所だけで想いを確かめ合うような事がしたい。
……なんて、あまりにも甘酸っぱい欲望すぎてどうかしてるな。
今日、
感情すら置いていく勢いで、妄想も勘違いも欲望も何もかもが暴走している。
久しぶりに会えたからだろうか。
会えなかった時間の分、恋がぶり返しているんだろうか。
それならそれでいいから、今から唱える願いのどれか一つでも叶えてくれねーかな、レンアイの神様。
櫂くんともっと喋りたい。
「あ、そうだ! ね、俺たち来月ワンマンツアー始まるんだけどさ、招待するから来てよ!」
櫂くんと二人きりで喋りたい。
「えーまじで? 行く行く〜」
あわよくば付き合いたい。
「やった! 初日新木場だから、よろしくね」
……いや、付き合いたいのか?
「ツアー初日新木場ソールドかぁ〜。かっけーなぁ
付き合いたい? っていうか、特別になりたい、の方が近いか?
「
特別になりたい。うん。俺にとっての櫂くんが特別であるのと同じくらいに。
「すぐは無理だろうけど、二年後ぐらいには俺らもそうなってたいよな、幸助」
君の特別に。
「……うん。なりたいな」
しんみりと呟いた幸助を、すかさずゴンが弄った。
慌てて誤魔化す幸助に佑賢が追い討ちをかけ、リビングは笑い声と共に再びどうでもいい話題へ転がっていく。
それからさらに一時間ほど、バンドマンたちは夢と希望と音楽を語り合った。
熱さもくだらなさも咎める者は誰もいない。
浮かれた者勝ちの宅飲みは明け方まで続くかのように思えたが、そうはならなかった。
「ごめんね。俺たち明日朝から撮影でさ」
そう言って櫂は申し訳なさそうに立ち上がり、ALLTERRAの二人は深夜一時すぎにリビングを出て行った。
いい具合に酒の回った男二人と涼しい顔をした家主が玄関先までぞろぞろとついていく。
見送りなんて悪いよ、と言いながらも、櫂はどこか嬉しそうだ。
「櫂くんも大地くんも、また飲もうね!」
「ありがとゴンちゃん! これからはいつでもすぐ飲めるもんね!」
「だな! 週4くらいで飲むか!」
「あはは、多いな!」
「つーかここ俺ん家だから。お前ら日頃の行い次第ではオートロック開けねぇからな」
「えーずるいずるい佑賢ばっかりぃ」
最後まで軽口と笑い声が絶えない夜だった。
櫂の楽しそうな笑顔をたくさん見ることが出来たのは嬉しいが、もっと二人で喋りたかったという欲望は満たされないままだ。
踵を履き潰したスニーカーをひっかけて、櫂は「じゃ、お邪魔しました」と軽く頭を下げた。
三人で口々におやすみを告げると、櫂はドアノブに手をかけてからふと振り返る。
「幸助くん」
突然名前を呼ばれて、思わず肩が跳ねた。
短く返事をすると、櫂は悪戯に笑ってこう続けた。
「前、二人でスタジオで話したこと、俺本気でやるから」
スタジオで話したこと。
咄嗟に思い返すも、ここでは言えないようなことばかりが思い出されてしまう。
「えっ、なんだっけ」
「えー! 忘れたの? サイテーだな幸助くん」
正直な幸助の言葉を、櫂は笑い飛ばしてくれた。
玄関のドアを開け大地を先に出すと、勿体ぶるように一度姿勢を正す。
皆にも言えるようなこと。
昔公園で会ったこと、じゃないか。
本気でやる? やるってことは未来の話?
めまぐるしく駆け回る記憶を精査していたら、唐突に正解を見つけた。
あっ、と声をあげた途端、櫂が待ち構えたようにニヤリと笑う。
「まさか、ツーマン……?」
「正解! 10月頭、ZETT東京もうおさえてありまーす! よろしくね、Pinkertonのみなさんっ!」
言うが早いか、櫂は逃げるように扉の外に滑り出た。
一拍遅れて全てを理解した男三人の雄叫びを聞き届けてから、満面の笑みで扉の向こうに消える。
その後、佑賢宅の玄関がてんやわんやの大騒ぎになったことは、言うまでもない。
デビューからわずか一ヶ月で人気バンドとツーマンライブだなんてそうないことだ。
あまりのことに時間も忘れてマネージャーに電話をかけた佑賢は、深夜一時過ぎでも当たり前に通話口に出るところにまずビビり、ALLTERRAの名前を出した途端飛び出した『あ、聞いた? そうそう、やるんよツーマン』というゆるすぎる肯定にもビビり、櫂の情報が正真正銘本当に進行している企画だと発覚して以降もずっと、珍しくビビり倒していた。
PinkertonとALLTERRAのツーマンライブ。
ハコは都内最大のライブホール、ZETT東京。
キャパ2800という途方のない数字も、ALLTERRAがいれば余裕だろう。
客も8割ALLTERRA目当てだ。Pinkertonはそこからどれだけ興味を持ってもらえるか、ファンを掻っ攫えるかが勝負所となる。
その日、三人は一睡も出来ぬまま朝を迎えた。
寝ている場合ではなかった。
自分たちの人生が、自分たちの意図せぬ力でどんどん転がっていくのを見送りながら、それぞれのやり方で坂道を転げ落ちる一歩を踏み出すのに、必死だった。