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36:また、夏の夜に

7月某日。


キャップを深めに被った幸助は、新木場のライブハウスでそわそわと首を伸ばしていた。

初めてのALLTERRAオルテラのライブ。

しかし、ご招待枠のため案内されたのは2階席。

まさかの着席鑑賞を強いられ、既に居心地が悪くて仕方がない。


「なぁ、始まったら立ち上がっていい?」

「ダメに決まってんだろ」

「そこに書いてあるの読めねぇのか? 『二階席のおめーらはライブ中も座っとけ』って書いてあるんだぞピン助ちゃん」


並びで堂々と座っている佑賢ゆたかとゴンは、2階席なんて慣れっこですとでも言いたげな顔をしている。

周囲に座っている背広の偉そうなおっさん達に混じって、既にメジャーアーティスト気取りなのか。

二人も幸助と同じ、ロックが好きなだけのただの音楽馬鹿のはずなのに、何度「フロアに降りないか」と誘っても知らん顔だ。


二人は周囲の連中の顔を盗み見ては業界人だ有名ミュージシャンだと顔を寄せ合いはしゃいでいる。

偉そうなおっさんたちが誰かなんて幸助にはさっぱり興味がないし、知っているミュージシャンに少し心踊ってもそれだけだ。

だって今日、俺はALLTERRAを見に来てる。櫂くんの生のパフォーマンスを全身に浴びるために、ここにいるんだ。


首を伸ばして見下ろしたフロアは、ツアーTシャツを身につけたお客さんで賑わっていた。

皆思い思いにタオルを首にかけ、ファン同士で興奮を口に出したり、客入れBGMにゆらゆら揺れたりして開演時間を待っている。


あと数分、というところまで迫ると、いよいよ開演を待ち望む手拍子が始まった。

幸助の並びの椅子も偉そうな人間で埋まっていく。

手すりに邪魔されずステージがよく見える快適な視界だが、ライブを座って見るという息苦しさがいよいよ耐えられなくなってくる。

きっとここじゃ声も出せない。手も振れない。

今やすっかりただのALLTERRAファンになってしまった幸助にとって、初めて生で見られるALLTERRAのライブは特別だった。

それを着席してふんぞりかえって見るなんて、やっぱりどうしても嫌だ。


BGMのボリュームがあがった。

フロアで歓声が沸き起こり、客電がゆっくりと絞られる。

同時にステージは青い光に包まれた。

背後に大きく映し出されたALLTERRAのロゴに拍手が沸き起こった瞬間、幸助は立ち上がっていた。

佑賢の制止の声も聞かずに二階フロアから飛び出すと、驚くスタッフを横目に階段を駆け下り、遅刻のファンに混じってフロアに飛び込む。


待ちきれないとばかりに手拍子が続く中、人波をかきわけ奥へと進んだ。

前方で暴れたいわけではないので、中央後方に陣取ろうとする。

じわじわと移動していると、不意に一際大きな歓声が沸き起こった。

慌ててステージへ目を向けると、青白い光の中でセンターマイクの前にシルエットが立つ。BGMが止まるとすぐにスティックがフォーカウントを刻み、次の瞬間、爆発するような音楽が始まった。


櫂が今回のツアー一発目の曲に選んだのは、ALLTERRAにしては珍しい疾走感あふれるナンバーだった。

開幕早々雄叫びをあげて、櫂は歌う。

時にはマイクに噛み付くようにして、喉を潰さんばかりのシャウトでフロアを煽る。

もっとアーティスティックで幻想的なステージを想像していた幸助は、口を開けてその場に立ち尽くした。

音と光の迫力よりも、櫂の鬼気迫るパフォーマンスに飲み込まれていく。

あっという間に一曲目が終わってしまった。音が消えた瞬間、次の曲が始まる。

今度はステージが明るくなり、櫂が気持ちよさそうにフロアを見渡す笑顔がよく見えた。


先行配信している新アルバムのリード曲は、壮大な冒険の終わりをイメージしたミドルテンポのナンバー。

美しいメロディに乗せて、櫂はエレキギターを抱えたまま横のキーボードを奏でる。先程のシャウトでも全く濁らない美しい高音が伸びて、フロアを異国へ誘っていく。

ずっと圧倒されていた幸助は、やっと周囲のファンに合わせて体を揺らせるようになっていた。

櫂の美声を全身で感じながら、マイクの向こうの表情を食い入るように見つめる。


楽しそうだ。気持ちよさそうだ。

堂々としたパフォーマンスからは確かな自信が感じられる。

先行配信曲、めちゃくちゃ評判いいもんな。

アルバム曲からCMタイアップも決まったし、今日から始まるワンマンツアーはもちろんほぼ完売。


櫂は音楽の成功者だ。これだけの人数を夢中にさせている。

ファンは若年層が多いから、ALLTERRAのライブが初ライブだという者も多いだろう。

幸せなことだ。ALLTERRAは、コンサートでは無い、ライブだからこその熱と迫力をここぞとばかりに見せつけてくれている。

J-POP寄りの音楽だからと舐めてかかるロックファンも黙らせるパフォーマンスを、初めてのライブで浴びるなんて、目と耳が肥えて仕方ないだろう。


浮ついた意識が急に現実に戻ってくる。


そうだ。俺たちは今度、このアーティストと肩を並べてライブをするんだ。

このライブハウスよりも広い会場で、客のほとんどがALLTERRA目当ての中、タイマンのアウェー戦。

目と耳が肥えたファンが自分たちをどう見てどう評価するのか、考えるだけで血の気が引いていく。


幸助がツーマンのことを考えているうちに、ALLTERRAは二曲目を終えた。

ステージが明るくなり、既に汗だくの櫂が前髪をかきあげながら言う。


「皆さんこんにちはー! ようこそ、ALLTERRAの世界へ!」


お馴染みの挨拶にフロアは一際大きな歓声をあげる。

櫂はまずお客さんの表情を一つ一つ確かめるように見渡して、それからツアー初日最初のMCへと雪崩れ込んだ。

ラジオDJまでやっていた櫂は、さすがにMCも安定していた。

ツアー開催にあたっての感謝の言葉を繰り返しつつ、サポートメンバーの紹介もスムーズに進めていく。

ドラムセットの中でどっしりと腰を下ろしている大地は、予想通り全く喋らなかった。

おそらくいつもの流れなのだろう、櫂が唐突なタイミングで「ね、大地!」と話を振っても、大地は頷くか首を振るかしかしない。

マイクはあるようだがコーラス専用になってしまっている。

フロアが笑ったところで櫂は満足げに笑みを広げ、短い曲紹介のあとにアコギを小さく鳴らした。

ステージの色がまた変わる。

どこからともなく聞こえる波の音とともに、寂しげなハミングがライブハウスを飲み込んでいく。


幸助の隣に居た女の子が、鼻をすすっていた。

気付けばタオルに顔を埋めている人もちらほら居るようで、フロアにはしっとりとした切なさが漂った。

幸助も、櫂の啜り泣くような歌声に飲まれまいと両足を踏ん張っていた。

感情を全部傾けるともっていかれてしまうから、意識を少しだけ逸らす。


考えてしまうのは、ステージとフロアの高低差。

ステージから千人以上のオーディエンスを挟んで、群衆の中の一人として櫂と向きあう自分。

位置関係を認識してしまうと、どうしたって足がすくむ。

あと二ヶ月後、あの輝かしい空間で櫂と肩を並べてパフォーマンスをするなんて信じられない思いだ。


エモーショナルなサビにフロアがゆっくりと揺蕩う中、幸助は金縛りにあったように身動きができなくなった。

脳がデジャブを訴えてくる。すぐに夏フェスの夢を思い出した。ALLTERRAのパフォーマンスを前に身動きが取れなくなっている自分。


あの夢は、今のこの場面への予知夢だったのかな。


そんなことを考えながら、どんどん伸びていく櫂の歌声に心を蝕まれていく。

羨ましい。だなんて思っている場合ではない。

櫂のようにパフォーマンス出来たらとは思う。

でも自分は櫂そのものには絶対になれないのだから、自分なりの正解を早く見つけるしかない。


櫂のようにフロアを飲み込む力を、身につけなければいけない。



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