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40:また、夏の夜に

普通の話題でよかったと思う自分の横で、そんな普通の話題でもまともに答えられる気がしない自分が頭を抱えている。


幸助の内部はさながらバラエティ番組のような慌ただしく喧しい様相を見せていた。

力のある司会者もいない番組はひな壇芸人・幸助たちの思い思いのリアクションやボケでもはや収集がつかない。


「えっと、もう、すごかった。めっちゃかっこよかったし、感動したし、勉強になった」


小学生か? とひな壇からツッコミが飛んだところで、笑ってくれる観客も視聴者もいない。

それでも、世界で一番笑ってほしいかいが隣で目を輝かせてくれたので、結果オーライのカンペが出た。


「ほんと? ね、《スケイル》のこれも見てくれてた?」

「そりゃあ見たよもちろん。フロアからもよく見えたし、櫂くんの気持ち、っつーか、想いみたいなものもちゃんとわかった、と思う」

「よかったー!」


櫂が右手を持ち上げる仕草に大きく頷くと、櫂は満面の笑みを見せてくれた。

脳内バラエティ番組は相変わらず複数人が喋っている騒々しさだが、少しずつまとまりはじめている。この調子でとにかく会話に集中しようとするが、ここでまさかのスペシャルコーナーだ。

繋がった手を意識するあまり、その意味を考えようとしてしまう。


ねぇ櫂くん。なんで手は繋いだままなのかな。

なんで出待ち振り切る面倒を経てまで会いたいと思ってくれたのかな。

っていう疑問を口にしてもいい状況でしょうかこれは。

それとも察しろってことなんでしょうか。


でもそれって俺の都合の良い解釈が出てしまうということだから、つまり、これは、やっぱり、そういうこと……?


困惑で黙り込む幸助の耳に、不意に嬌声が届いた。

先ほど聞こえていたものと似ているが、距離が近い。おそらく公園入り口付近で発せられたものだろう。


「うわ、最悪。箱の前でたむろってた人たち、こっち来ちゃったか」


櫂が顔を顰め、声のトーンを落とした。

しばらく耳を澄ましていると、複数人の笑い声がはっきりと聞き取れるようになった。

馬鹿騒ぎの大きさが変わらないので、集団は公園に腰を据えてしまったのだろう。


「……このキャンプ場って、向こうからも出られるよね?」

「だといいけど……」


顔を見合わせると、櫂がぎこちなく笑って見せた。

思い立って地図アプリを見てみると、キャンプ地のさらに奥に駐車場へ続く道があるようだ。

最悪そこから逃げればいいと櫂は言うが、ライブ終わりの体力を考えると深夜に歩かせるのは忍びないと思ってしまう。


「スタッフさんに連絡して、蹴散らしてもらうとか」

「それはちょっと申し訳ないなぁ。かと言って、大地なんか呼んだら大騒ぎになるだろうし……」


色々考えてはみたものの、結局二人はそこを動かないことに決めた。

あと一時間で最寄駅の終電が発車する。飲酒中の彼らの足は電車しかないはずだから、ここで待っていればそのうち居なくなるだろうという判断だ。


「足痛いし、座っちゃお」


櫂はそう呟いて、背中を幹に預けた体育座りになった。

幸助もそれに倣い座り込むと、少し迷ってから二人の間に繋いだ手をそっと置く。


雑草と冷えた土の感触が手の甲に触れた。

と同時に、二人の意識がそこに集中しているのがわかってしまった。

繋いだ手の意味を問うチャンスかもしれない。

そうは思っても、答えを聞くのが怖くて言葉が何も出てこない。


雄弁な沈黙を察してか、櫂が親指で幸助の肌を撫でた。

「幸助くんって、優しいよね」

肯定も否定も出来ず身を硬くしていると、櫂が小さく笑ってから続けた。

「なんで手繋いだままなのか聞かないし。俺の手が汚れないように、自分が下になってくれてるし」

「それは別に、たまたまだよ」


最初の指摘には何も言えなかった。聞くのが怖いからだ、なんてとてもじゃないが口には出せない。

乾いた笑いで誤魔化してから、幸助はキャップを深く被り直した。

絶対顔が赤い、と思ったからだが、この暗闇では顔色なんてわからないかと気付く。


「なんだぁ。ポイント高かったのに」

「なんのポイントだよ」

「好感度とか?」


それは上げておきたい。なんて思っても言えるはずがない。

こういう会話の時、ただの友達ならなんて返すんだっけか? 

別にそんなの上げたくねーよ? 

そんな事言ったらポイント下がるんじゃ?


迷いと躊躇で何も言えない幸助を、櫂は「引いた」と思ったようだ。


「そんなドン引く? ごめんて。冗談だよ」

そう小さく笑ってから、一呼吸置いてこう続けた。

「……暗いところに一人でいるのが、ちょっと怖いんだ。だから、これ」


櫂が繋がった手を少し持ち上げる。

盗み見た櫂の横顔は、どこかうっとりとそこを見つめている。


「ちゃんと一人じゃないってわかるから、安心する」


吐息と共に吐き出した声には、確かに安堵が感じられた。

期待していた意味ではなかった事は残念だったが、浮ついた気持ちが地に足ついたような感覚もして、幸助もまたそっと息を吐いた。


気持ちを切り替えるつもりで、繋いだ手に力をこめてみる。

強ばった手でぎこちなく感触を確かめながら、幸助は言った。


「いいよ、このままで。……俺優しいから」


付け足した一言に、櫂が笑った。

甘えるように体を擦り寄せ、じゃあ、とささやく。


「優しい幸助くんにもう一つお願い」


そのおねだりはずるい。

舌先まで乗せてしまった言葉を慌てて飲み込んでいたら、櫂がへらりと笑って続けた。


「なんか喋って!」

「いや、フリが雑!」


反射で飛び出たツッコミを楽しそうに笑って、櫂は幸助の体を肘で小突いた。


「なんでもいいからさ。歌詞の朗読とか、寿限無とかでもいい」

「そんなん、じゅげむじゅげむ〜、しか覚えてねぇわ」

「タイトル二回繰り返しただけじゃん」


けらけらと笑う櫂が楽しそうなので、幸助としてはこのままくだらない会話を続けていたかった。

今のうちに話したいことを思い出して整理したい。

いっぱいあったはずのネタが一旦真っ白になってしまったので、記憶のカケラをかき集める時間が欲しい。


櫂と話したかったこと。

ツーマンのこと。今日のライブのこと。

デビューのこと。マンションのこと。歌詞のメモのこと。


カケラはとりとめもなく、いくつも浮かんでは消えていく。話したい事がたくさんあると、何故か無性に焦ってしまう。


強い飢餓感。

どうして櫂のことになるとこんなに焦ってしまうのか、自分の感情がコントロールできない事に困惑する。

今日のこの時間はまだ始まったばかりだ。落ち着け、落ち着け。

そう繰り返し念じながら、幸助は会えなかった時間のことを振り返る。


「あ、そういえば櫂くん、先月ラジオのDJやってたっしょ。たまたま聞いたけど、結構面白かった」

「ほんと!」


櫂が弾かれたように顔を上げた。

顔の近さに思わず身を引いてしまうと、櫂が前のめりに追いかけてくる。


「ちゃんと出来てた? 変じゃなかった?」

「全然! なんつーか、プロっぽかった。慣れてんなーって思いながら聞いてた」

「よかったぁ〜。大地もマネージャーも何も言ってくれないからずっと不安だったんだよ」


櫂が身を引いてくれたので、幸助はそっと座り直した。

幹にもたれて天を仰ぐ櫂の横顔は、心底ホッとしているようだ。それを小さく笑いながら、幸助は「あぁでも、」と切り出した。


「一個だけ、ずっと違和感があったんだけど、今日のライブのMCでわかったことがある」


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