長机から身を乗り出す勢いでこちらを見つめる
やばい、照れてる場合じゃないのに、と焦れば焦るほど言葉が出てこない。
「えーと、」ととりあえず声を絞り出したところで、思わぬ助け舟が出た。
「櫂、それやるなら《スケイル》じゃない曲がいいな。どうせ今回も映像収録させてくれないんだろ」
「そっか。映像入れないとさすがにもったいないか」
「もったいないよ〜。折角ツーマンだからこそ出来る企画なんだしさ〜」
腕を組んで考え込む櫂を盗み見ながら、幸助はこの時間を利用して気持ちを落ち着かせる。
今は仕事。今は仕事。あの夜のことは考えない。
何もなかった。俺たちには何にもなかった。
呪文のように言い聞かせながら水を一口含んで、おそるおそる名前を呼ぶ。
「あのー、櫂くん」
弾むように顔を上げた櫂と、真っ直ぐに目があった。再び顔に熱が集まるのを感じながら、落ち着けと心の中で繰り返す。
「それならさ、俺たちの曲も一緒に歌うのはどう?
控えめに指を2本立ててみたら、すぐに両スタッフ側から賛成の声があがった。特にPinkerton側は「是非それで」と熱量高めだ。
それもそうだろう。ライブの前半を担当するPinkertonのパフォーマンスは、下手すれば観客がいない可能性もある。
映像収録されたところで飛ばされてしまうことだってあり得るが、
「それ最高だね! やりましょう! ってかそれなら《スケイル》の他にもう1曲やっても良くない? 《スケイル》は映像収録されないから、チケットとってその場に来てくれた人たちへのスペシャル企画。もう1曲はDVDにも入れて、Pinkertonの美園幸助ってこんな人ってのが伝えられたら最高だと思う!」
櫂の勢いが加速したおかげで、その後は幸助の発言の余地もなく企画が具体化していった。
ALLTERRAの曲を2曲歌うことになった幸助は、櫂から「もう1曲をどれにするか決めて欲しい」と言われてしまった。
咄嗟に「じゃあ櫂くんも歌う曲決めてね」と返せたのは良かったが、打ち合わせの後半はそのことで頭がいっぱいになってしまった。
櫂に会えない間、幸助はALLTERRAの曲を貪るように聴いていた。
具体的には、歌詞を、だ。
あの夜のキスの意味を考えるにあたり、幸助は《櫂のサビ》にヒントを求めた。
そもそもあの夜、櫂が言ったのだ。
櫂の《サビ》がわからなかったと嘘をついた幸助に、まるでわかってくれと言わんばかりに、こう言ったのだ。
『ね、ヒントあげようか』
そのヒントがキスという行動なのだとしたら、これはもう間違いない。
櫂の《サビ》は自分だ。自分への想いだ。
櫂は俺の事を好きでいてくれてるんだ。絶対そうだろ。
そんな確信が欲しくて、幸助はALLTERRAの歌詞を片っ端から読んだ。
しかし、何度見ても何度聴いても、櫂の《サビ》が自分への想いとは繋がらない。
櫂いわく、その人の《サビ》とは無意識のうちに繰り返し使ってしまう言葉の事。
創作するにあたってのその人の根幹、ベルトコンベアの出発地点にあるその人の核となるものだそうだ。
だから幸助はALLTERRAの楽曲から繰り返し出てくる言葉を書き出した。すると、明確に偏りがあることがわかった。
《時間・時》
《繰り返す・やり直す》
《何度も・何度でも》
《また会う・再会》
櫂の書いた詞には、時にまつわる描写が多い。
時間、特に過去への後悔や、繰り返したいやり直したいという苦悩が随所に散見される。
前向きな歌詞の場合、櫂が歌い上げるのは未来のことだ。
今度会ったらあれをしよう、これをしよう。
きっとまた会いに行くから待っててというニュアンスの詞が多い。
それ自体におかしなことはない。
過去にとてつもなく悔やまれる事があったのかもしれないし、まだ見ぬ未来こそ希望の象徴という考えなだけかもしれない。
けれどそれが何故、あの夜のキスへと繋がるのかがさっぱりわからない。
ヒントと言われたが、なんのヒントにもなっていない。
もっと明確な、好きとか恋とか愛してるとかそういう言葉が見つかるのなら理解が早いのに、これでは余計首を傾げるばかりだ。
結局思考は宙に浮いてしまい、何もわからぬまま今日になった。
ヒントとしてもらったキスが余計混乱を招いていると、櫂は気付いているのだろうか。
終始何事もなかったかのように振る舞い声をかけてくる姿に、正直に戸惑いを覚えてしまう。
八坂櫂の根幹。八坂櫂の感情。
八坂櫂という人間の形が、再びぼやけて遠ざかる。
ツーマン当日までに、櫂の本心を知る事が出来るだろうか。
来月のスケジュールを見る限り、ゆっくり櫂と話せる時間は限られている。
その時間、櫂が空いているかどうかもわからない。アルバムリリースを控えているから、Pinkertonと同じくらいプロモーションで忙しいだろう。
つまり、まともに会える機会があるとしたらそれは、来月末のツーマンライブスタジオリハのタイミングしかない。
幸助がALLTERRAのステージに上がるためのリハであり、櫂がPinkertonのステージに上がるためのリハなのでメンバーもスタッフも大勢居るが、どうにか二人きりになれる時間を作るしかない。
ツーマンライブ前に全ての決着をつけてしまうのは、怖くもある。
だから今は、二人がどうなってもブレずにパフォーマンスするための力を蓄えるしかない。
自分の感情に振り回されないように、オーディエンスにちゃんと届く音楽を安定して奏でること。
今できることは、それだけだ。
そう心に決めながら、幸助とPinkerton一同は再び多忙な日々へと駆け出していった。