レコードリリース当日はレコード店を周り、挨拶とサイン書きを繰り返す。
インディーズでもそれは変わらないが、メジャーはやはり規模が違う。
やることは単純。自分たちのレコードをプッシュしてくれる店舗にお礼と挨拶をして、店舗スタッフが書いてくれたポップやスタンドと記念撮影をし、そこにサインやメッセージを書き記して、SNSにあげていく。
これを二十店舗ほど繰り返していくのだが、予想以上に楽しい仕事だとわかり、特に幸助とゴンは浮き足立っていた。
なんといっても、自分たちの曲やパフォーマンスに対する生の声を聞けるのだ。
耳の肥えたレコード店のスタッフ達はどこが良かったか、どこに期待しているかを明確に言葉にしてくれて、その全てがとても前向きなものだった。
何人かからはライブに行きたいとまで言ってもらえた。
平置きのレコードに添えられたポップの言葉ひとつひとつも、全てが泣きそうになるほど嬉しいものだった。
忙しさから忘れていたデビュー達成の実感が、やっと沸いたようだ。
全ての時間がご褒美のようで、テンションが高いままの三人は移動中の車内でもはしゃぎ続けた。
そんな中でのセカンドシングルのタイアップ内定報告は、大体なんでも笑顔で許すマネージャーの後藤が「静かにしろ」と声を張るほどの喧しさとなった。
これで知名度アップは確実だ。
ヒットチャートに食い込む可能性も大いに高まった。
最近の傾向から、後続の曲がヒットチャートに入れば芋づる式に過去の曲もランクインが見込める。インディーズ時代のCDも売れるだろう。この流れに乗っからない手はない。
「よ〜し、アルバム前倒しで出すかぁ」
「おっ! 言ったねゴッちゃん!」
「確かに、セカンドがこれだけ早いペースなら年内にアルバムいけますね」
「俺めっちゃ曲作るよ! 今度の休みはスタジオ缶詰!」
運転中の後藤がゆる〜く口火を切り、車内は本日何度目かのパーティータイムだ。
三者三様の意気込みに、後藤は垂れた目尻に深い皺を寄せた。
この貪欲さが少しでも長く続けばいいけど、なんて思いながらウィンカーを出す。
次の街は彼らの音楽が生まれた場所、吉祥寺だ。
レコード店の売り出しも気合が入っていると聞く。
インディーズ時代からのファンも待ち構えているだろう。
彼らのささやかな凱旋を楽しみにゆっくりとブレーキを踏んだら、後部座席から一斉にLINE通知が響いた。
「おっ、
ゴンの呟きと共に、三人は各スマホに視線を落とす。
どうやらデビューを祝うメッセージがグループラインに届いたようだ。
すぐに顔を上げた三人は、楽しそうに歓声をあげる。
「ちょっ、ゴッちゃんこれ見て!」
ゴンが突き出したスマホを覗き込むと、写真が表示されていた。
写っているのは高く積まれたCDと
確か彼らは今北海道あたりでツアー中ではなかったか、と思ったところで、CDのジャケットに目がいく。
「えっ、これもしかして
「そう! 櫂くん、札幌のレコード店ちょっとずつ回って積んだらしい」
「櫂くんって時々ものすごいオタク根性出してくるよな。あと後藤さん、信号変わってます」
慌ててアクセルを踏みながら、後藤は困惑を飲み込んでいた。
写真に写っていたCDは目算で30枚以上。円盤の売り上げは確かに大事だが、サブスクアプリでの配信、再生数に比重が偏っている昨今はバンド界において特に見かけなくなったムーブだ。
今それをやっているのはアイドルオタクぐらいだろう。
つまりこれはボケか。
ドルオタみたいな事をして笑いをとったのか。
身銭を切った渾身の祝福ということか。
後藤が一人で困惑を消化していると、返信を終えたらしい
「そういえば、《Naked Truth》のライブ解禁って10月入ってからくらいですかね」
「ん、そうだね〜。ドラマの初回放送が10月半ばだから……あぁ、ちょうどALLTERRAとの対バンぐらいが解禁じゃないかな?」
「えっ、じゃあ対バンでこの曲演るってこと? 確定?」
予想外の声を上げたのは幸助だ。
新曲初披露の場がALLTERRAとのツーマンだなんて最高のシチュエーションだが、幸助にとっては焦りや戸惑いの方が強いように聞こえた。
幸助の反応を、佑賢も怪訝に思ったようだ。
当たり前だろ、と返す声にそれが滲んでいる。
「むしろそこで初披露できるのはデカいぞ。情報解禁は終わってるから、ライブに来るALLTERRAファンは俺たちの存在を認識している。主題歌が聴けるんじゃないかと期待してくれる人は多いだろう。さらにドラマのメインターゲット層とALLTERRAのファン層がマッチしてるから、《Naked Truth》ぐらいキャッチーな曲ならより好意的に受け入れてもらえる可能性が高い」
息巻く佑賢とは裏腹に、幸助の反応は鈍い。
後藤は何度かバックミラーを盗み見たが、幸助の表情までは写っていなかった。
新曲初披露に何か問題でもあるのだろうか。
「今仮で組んでるセットリスト、ちょっといじった方がいいかもしれないねぇ〜」
「そうですね、《Naked Truth》が一番盛り上がるように流れを組み直したいです」
「櫂くんとのコラボで客を惹きつけといて、ラストでぶち上げるとかどうよ?」
「ゴン、それ名案だ」
うぇーい、とハイタッチをする二人をよそに、幸助のテンションは上がらないままだ。
その違和感を知ってか知らずか、佑賢は声のトーンを落としてこう呟いた。
「……なんか、怖いくらい順調だな」
吉祥寺の大手家電量販店前を通り過ぎ、地下駐車場入り口へゆっくりハンドルを切る。最初の一軒はこの建物内のタワーレコードだ。
凱旋に向けてテンションを上げようとする幸助が、吹っ切るような短い雄叫びを上げた。
それを横目に、ゴンは佑賢の呟きを拾い上げる。
「俺たちには音楽の神様がついてるってことじゃん」
車は地下へ続く薄暗い下り坂をゆっくりと滑り降りる。
ゴンもまた、軽いストレッチをしながらテンションを営業モードに切り替えようとしている。
時折幸助にちょっかいを出すのは、バンドのフロントマンである彼のテンションがちゃんと上を向いているかどうかの確認だろう。
幸い、聞こえてきた幸助の声は明るかった。
ゴンのくだらない冗談を笑い飛ばしている。
大丈夫そうだな、と安堵した瞬間、二人の騒音にわざと紛れるように、佑賢が小さく吐いた。
「……神様っていうか、櫂くんの手のひらの上で踊らされてるみたいなんだよなぁ」
後藤だけが聞いていたその言葉を、半月後、佑賢は確信と共にもう一度繰り返すことになる。