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48:捻れたアンサーソング

まだ日も沈まぬハッピーアワーの吉祥寺安居酒屋。

行きつけの店に四人揃っての来店は久しぶりだった。

迎えてくれた顔見知りの店員はテンション高く、Pinkertonピンカートンのポスターにサインしてくれとせがんできた。正直言ってそんな浮かれた気分ではなかったが、これも営業の一つということで代表して佑賢ゆたかがにこやかに対応した。


有名人になるとはこういう事だ。

その瞬間どんな事情を抱えていようが、ファンや関係者には上っ面だけでも取り繕って接しなければいけない。

本来ならフロントマンである幸助は特にそうするべきなのだが、今日の彼には何を言っても届かない。

有名人になって得したことと言えば、相談しなくとも店の奥の半個室に通してもらえた事ぐらいだろうか。


四人揃ってテーブルを囲む久しぶりの宴席は、色濃い困惑の中、乾杯の音頭もなく始まった。


「つーかさ、この現代日本にタイムリープってさぁ、ンな事あるかぁ?」

「俺だって意味わかんねーけどさ! でもそれが正解だって思うんだよ、なんか、よくわかんないけど」


ハイボールのジョッキをテーブルに叩きつけて、ゴンは早々に苛立ちを吐き出す。

負けじと声を張る幸助だが、その手に握られた一杯目のレモンサワーは半分も減っていない。


「さっきからわかんねーわかんねーって、そればっかじゃねーか幸助」


今日の酒はゴンの不機嫌を助長するばかりのようだ。

あわや喧嘩でも始めそうな重い空気が立ち込め、望田もちだはすっかり萎縮してしまっている。

普段の幸助だったら、売り言葉に買い言葉でゴンと胸ぐらを掴み合っていただろう。しかし、どこか憔悴した様子の幸助が掴んだのは自分の胸元だった。


「だってなんか、……俺が俺じゃないみたいで、すげー気持ち悪ぃんだ」


一時間前、スタジオで『タイムリープ』という言葉が出た瞬間から、幸助はずっとこんな調子だ。

吐きたいけど吐けない。

自分の内側が気持ち悪いのにどうすることもできない。

そんな不快感を口にして、ずっと眉間に皺を寄せている。


かいくんはタイムリープをしてる。絶対にそうだと思う。何でそう思うのかはわかんねー。ただなんか、それが真実だって言ってるもう一人の俺が居てさ、そいつがすげーしんどそうで、そのしんどさが今こっちにも流れ込んできてるっつーか……」


幸助の説明はずっとこんな調子で、要領を得ない。

タイムリープ疑惑に対する確信の根拠もなく、もう一人の自分という非科学的な言い回しも胡散臭い。

片想いの相手にまつわる衝撃の事実にパニックを起こしているだけかとも思ったが、いつも単純明快な幸助がこんな複雑な状態に陥るのは前例がない。

脳にまつわる異常の前ぶれか、なんて心配してみても、そうじゃない体は問題ないと頑に否定する。


「じゃあ幸助、そのしんどさはどうしたら治ると思うんだ?」


佑賢の問いかけにも、幸助は困ったように眉を下げるばかりだ。

少し考え込んだ後、か細い声で「わかんねぇ」とつぶやき、俯いてしまう。


幸助の状態を正しく理解することは、現時点では不可能だと佑賢は判断した。

幸助自身が自分の状態を理解しなければ、自分たちにできることは何もない。彼の内側のことは、どうしたって彼自身からの発信に頼るしかない。


ならば、今やるべきことはもう一方の分析だろう。

幸助が謎の状態に陥った原因である『八坂櫂やさかかいタイムリープ疑惑』を紐解いていけば、何かが変わるかもしれない。


佑賢は隣に座るゴンの貧乏ゆすりを片手で制してから、二杯目のトマトジュースを注文した。

ほとんど減っていないお通しの塩キャベツをテーブルの端に寄せてしまうと、三人によく見えるようにタブレットを配置する。


「一度状況を整理しよう。俺たちが今もやもやしてるのは、《スケイル》が《Naked Truth》のアンサーソングである可能性が高いにも関わらず制作順が逆だという矛盾に気付たからだ。そうだよな?」


ゆっくりと話しながら、佑賢はタブレット画面にタッチペンを走らせた。

一本の横線を二つの短い縦線で区切り、一方には《スケイル》もう一方には《Naked Truth》と記す。

時間の流れを示す矢印を最後に加えたら、三人の顔を見渡した。

不安定な幸助、苛立つゴン、怯える望田とそれぞれの表情は変わらないが、バラバラと頷いてくれる。

スタート地点を合わせたところで、佑賢はタッチペンを走らせながらゆっくりと続けた。


「さっきWEBやSNSを漁ってわかったことをまとめると、ALLTERRAが《スケイル》を歌い出したのは4年前。彼らがまだインディーズレーベル所属の頃で、俺らは大学通いながらアマチュアでやってた時期だ。

メジャーデビュー後もライブでのみ披露される幻の名曲となった《スケイル》は、実は幸助が高校時代に作曲し八坂櫂に贈ったもので、八坂櫂はそれに自分で歌詞をつけ、ALLTERRAとしてのアレンジを加え現在も披露し続けている」


一度言葉を区切ると、佑賢はもう一度三人の顔を見渡した。

新規の情報がないからだろう、皆の表情は特に変わらない。


「対する俺たちの新曲Naked Truthは、幸助が4ヶ月前の5月に作詞作曲したもので、現在のステータスはレコーディングが全て完了し10月末のリリースに向け粛々と進行中、というところ。

楽曲の解禁はタイアップのドラマ予告編解禁と同時で、10月頭と予測される。つまり、9月の現時点で《Naked Truth》を聴く事ができる人間は、俺たち四人と制作スタッフ、レーベルのスタッフ陣のみ。

ドラマのスタッフにもまだマスターは渡しておらず、ディレクターがコンペ時に出したデモ音源を持っているのみだ。

もし情報が漏れるとしたらこのディレクターだろうが、万が一音源が漏れていたとしても、櫂くんには《Naked Truth》のアンサーソングとして《スケイル》の歌詞を書く事は難しい。

何故なら《スケイル》の歌詞は4年前に完成しているから。

ここに、常識では答えが出ない矛盾が生じている」


時間の流れを示す矢印と、アンサーソングとして二曲を結んだ矢印が真逆へ走る。

図示することでより明確となった矛盾に、三人は一斉に険しい顔を見せた。

先を促すようなゴンの視線を受け止めて、佑賢は一度タッチペンを置く。


「ここで考えられるいくつかの可能性を、まず簡単なものから潰していこう。最初に思いつくのは、【アンサーソングではない】という可能性だ」

「……あの歌詞全部が偶然、たまたま、《Naked Truth》と対になってしまった、ってことか」

「そう。これについては完全否定する事はできない。本当に偶然似通ってしまったという可能性は十分ある、が、今は一番可能性として低いと思っている」


幾分か冷静さを取り戻したらしいゴンが、何故、と低く問う。

横から注がれる真っ直ぐな視線には応えずに、佑賢は幸助を見た。


「歌詞の一部が偶然対になってしまうことはよくある。けど、全体的にここまで似てしまうのは意図的としか思えない。

それに何より俺は、八坂櫂の言動全てに何らかの強い意思、目的があると感じてる。歌詞が偶然だったとしても、デビュー直後の無名な俺たちと一年以上前から押さえてるはずのZETT東京でツーマン開催を強行してしまうのは、櫂くんの確かな意思がなければ偶然では起こりえないものだ。

だから俺は、《スケイル》は櫂くんが意思を持って作ったアンサーソングであると仮定して、さらにいくつかの可能性を考えた」


いつの間にか運ばれていたトマトジュースを一度口に含み、佑賢はタッチペンを握った。

先ほど書いた図の下に大きく【未来予知】と書いてから、再び口を開く。


「まずはゴンが言ったこれ。櫂くんが未来を予知できる力を持っていたとしたら、確かに色々と辻褄が合ってくる。

例えば《スケイル》の歌詞は、未来で幸助が作る《Naked Truth》の歌詞を予知できればアンサーソングにする事が可能だ。Pinkertonのメジャーデビュー日も予知できれば一年以上前から箱を押さえて対バンを計画する事もできるし、セカンドシングルがタイアップする事も知っていればドラマの放送タイミングとライブ日程を合わせる事もできる」


おお、と望田が感嘆の声を上げた。ゴンも眉間の皺が消えている。

しかし、幸助の表情だけは変わらない。


「……違う、未来が見えてるんじゃないんだ、櫂は」


低く呟く幸助に、佑賢は少し微笑んで見せた。

わかってるよと頷いてから、話を続ける。


「この仮説には残念ながら穴がある。

対バンやライブの日程については、先の未来で櫂くんの何らかの利益につながるんだろうと考えられる。でもアンサーソングは、未来予知をする利点が見当たらない。

《Naked Truth》のアンサーソングを書きたいのなら、俺たちがリリースした後にALLTERRAの新曲として出した方がずっと利がある。わざわざ4年も前から歌う意味がわからない」


「はい! 僕わかったかもしれない!」


気合の入った鋭い挙手とともに、そう声を上げたのは望田だった。

佑賢が議長よろしく発言を促すと、望田なりの早口でまくしたてる。


「僕たちがこうやって矛盾に気付く事を見越して張った、伏線なんじゃないかな? 未来予知の能力に気付いてほしくて仕込んだとか!」


さすが読書家の望田だ。

複雑な構造の物語への理解が早い、と感心していると、負けじとゴンが口を開く。


「ならもっとわかりやすくするだろ。それこそ、デビュー前の俺たちに『君たちのデビュー日は9月2日だよ!』って言っときゃあ未来予知能力の証明になる」

「あ、そっか……」


残念ながら束の間の舌戦はゴンに軍配が上がったようだ。

しかし、佑賢としては望田の気付きは非常にありがたいものだった。

健闘を称える意味で、肩を落としてしまった望田に微笑みかける。


「もっちーの読み、実は正しいんだ。アンサーソングは『伏線』というのは俺も同じ意見でね。未来予知のようにわかりやすい証明が出来ないから、時系列の矛盾という形で俺たちに異常を気付かせようとしたんだと思ってる」


言いながら、タブレットの【未来予知】の文字を消しゴムツールで消してしまった。

余白に再びペンを走らせ、佑賢は今日一番の議題を口にする。


「長くかかったが、俺が今一番可能性が高いと思っているのがこの仮説だ。【八坂櫂は、タイムループをしている】」


タブレットに書かれた文字をしげしげと見つめた三人は、思い思いのタイミングで顔を上げた。

全員の視線が同じ事を言いたそうだったが、代表してゴンが問う。


「……タイムリープじゃなくて、タイムループ?」


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