「……タイムリープじゃなくて、タイムループ?」
「まぁそうなるよな。だからまずは、リープとループの違いを説明する」
まずはこれ、とタッチペンで指し示すと、すぐ下の余白に横棒を一本引く。
「幸助が言ってる【タイムリープ】ってのは、時間軸のある一点から、過去ないしは未来のある一点へ移動する事を言う。その移動が意図的なものを一般的には【タイムリープ】【タイムトラベル】と言い、不慮の事故で過去に飛ばされてしまう、など意図的でない移動を【タイムスリップ】と言ったりする」
三人が同時におおお、と唸り声を上げた。
さすがわかりやすい、と拍手までするゴンを一瞥して黙らせると、タッチペンで横棒に縦線を二本引き、一方から矢印を伸ばした。
「
「対バンライブの箱が押さえられなくて希望の日程に出来ない、ってなったら、一年以上前に戻って箱を押さえてまた現在に戻ってくればいい……ってことか」
「便利な能力だなぁ。いくらでもやり直しが効くなんて最高じゃん」
「そう。確かに【タイムリープ】でもこれまでの櫂くんの行動に説明はつくんだ」
ゴンと
黙り込んでいる幸助に視線を向けると、先ほどよりも力のこもった目が見つめ返してくる。
「これも違うよな、幸助。櫂くんがしてるのは、時間を自由に移動することじゃない」
「……うん。そんな便利で簡単な話じゃない。櫂の歌詞に滲む苦しさと切なさは、時間を移動できるってだけで出るものじゃない」
幸助の声にも力が戻り始めていた。
もやもやした不定形の真実がいよいよ明確な形を持ち始めたからだろう。
スマホを取り出した幸助は、少しの操作のあと
幸助なりの根拠を説明しようとしていると汲んだ佑賢は、タッチペンごとテーブルの上から引いて聞く姿勢をとる。
「前に櫂くんがラジオで、人には無意識に創作物に滲んでしまう《サビ》があるって話をしてたんだ。気付いたら繰り返し歌詞に使ってしまう単語が《サビ》で、それは自分の根幹に関わるものだから意識して消さなくてもいいんだ、って」
見えてきた光へ向かう足取りが徐々に強く、早くなっていく。
幸助は夢中でALLTERRAの歌詞を表示しながら、一心不乱に光を見つめていた。
目を離したら見失ってしまうかのように、縋る視線の向かう先は、歌詞に繰り返し出てくる言葉。
「俺探したんだ、櫂くんの《サビ》。そしたら、こんな言葉だった」
幸助が拡大して見せたのは、
《時間》
《繰り返す》
《何度でも》
《また会おう》
の4単語。
それを見た瞬間、佑賢は小さく息をのんだ。
幸助の言う通り、この単語が歌詞に繰り返し出てきていると言うのなら、自分のこの仮説はほぼ間違いない。
信じられない話ではあるが、しかし確かに、
幸助は確かめるように佑賢を見た。
目を見て頷いてやると、幸助はやっと表情を少し緩めた。
まだ何も解決していない、あくまで仮説がはっきりしたというだけだがそれでも、現状を言語化できたというだけで幸助は少し楽になれたのかもしれない。
「……櫂は多分、人生を繰り返してる。何度も何度も、同じ時間の中を繰り返してるんだ。
ファミレスで作詞の講師になるって話した時も、あいつ『今まで百回以上講師をしてきた』って言ってた。そんなわけねーじゃんって思って聞き流してたけど、その百回以上講師やった相手って全部俺だったのかもしれないって気づいた。
櫂は、その繰り返し続ける人生の中で何度も俺に出会ってて、何度も作詞の講師をして、何度も何度も
幸助が興奮気味に吐き出す言葉を聞きながら、佑賢はタブレットの文字を消し、最初に書いた図に線を書き足していった。
片方の線の端から、画面のふちをなぞるように走らせた線は、やがてもう一端へとたどり着く。
「自由に時間移動するのではなく、ある一定の期間を無限に繰り返すのが【タイムループ】だ。
幸助の言う通り、櫂くんは同じ時間を繰り返す中で、起こり得る出来事とそれが及ぼす影響を全て把握し、自分の望む展開になるよう調整しながら繰り返し生きてきたんだろう。ALLTERRAのデビューもおそらくは彼の調整の賜物だし、俺たちのデビューだって、引いては彼の手のひらの上でそうなるよう仕向けられたもの、ということになる」
終わりのない時間軸。
矢印は何度なぞっても始点に戻り、線は途切れることがない。
その中心に【タイムループ】と書き込むと、三人はそれぞれ息を吐き、この結論を飲み込もうとする。
しばらく誰も口を開かなかった。
Pinkertonにしては珍しい長い沈黙を甘受して、佑賢はこの隙に次の思考を広げていく。
八坂櫂はタイムループをしている、と仮定した場合、確かめるべき点は二つある。
一つは、いつからいつまでをループしているのかということ。
どれほどの期間かはわからないが、タイムループには始点と終点が確実に存在している。
そして今わかっている情報だけで言うと、おそらく始点は四年以上前……いや、もっと前か。櫂がPinkertonの最古参ファンだというのもこれで理由がついた。Pinkertonの最初のライブに居合わせることも、タイムループの中でなら可能だ。
吉祥寺JOINでの初ライブは高三の時。つまり今から六年前だ。ループの始点はそこよりさらに前。
では終点はどうだろう?
これは未来の話になるので現時点での予測は難しい。
だが幸い、櫂は一般人ではなくアーティストだ。一定の地位を得たミュージシャンである以上、直近数年の予定は大体埋まっている。
武道館は二年前から押さえなければいけないし、デビューからの周年イベントなんかも一年以上前から計画と準備を始める必要がある。
佑賢はすぐにスマホを取り出し、LINEのリストから向井大地を選んだ。
端的な挨拶のあとに『相談があるので直近で時間とれないか?』とメッセージを投げておく。
ALLTERRAの予定を聞くなら、櫂本人よりも大地の方が楽だろう。ついでに大地が櫂のタイムループを知っているかどうかも探りを入れられる。
タイムループの始点と終点。これは情報を集約すればある程度予測がつく。
しかしもう一つの確かめるべき点は、情報収集と分析だけでは思考の糸口すら掴めない気がしてならない。
八坂櫂は何故、タイムループしているのか。
幸助の話を思い出す。
《サビ》という考え方はなかったが、佑賢も櫂の歌詞の中に繰り返し出てくる「過去への後悔」は気になっていた。
つまり櫂はこのループの中で、何らかの後悔を拭おうとしているのか?
やり直したい、と繰り返し歌い、願い、本当に時間の檻の中に留まるほどの後悔とは、一体どんなものなのか?
こればっかりは、本人に聞いてみなければ真実は見えてこないだろう。
そしてそれを問えるのは、おそらくこの世に一人だけ。
八坂櫂の根幹に強く居る、何度繰り返しても出会いたい人、だけ。
ズレた眼鏡を押し上げるフリをして、そっと幸助を盗み見た。
すっかり顔色も良くなっているようだが、先程までの憔悴しきった姿にはさすがに動揺が隠せなかった。
あんな幸助は一度も見たことがない。病的に弱った状態でうわごとのように繰り返す『櫂はタイムリープしている』という発言は、仮説がはっきりした今でも佑賢にとって懸念の種だ。
幸助の発言にはいつだって大した根拠などないが、タイムループなんて非現実的な事を強めの確信を持って言い放つなんて、いつもなら考えられない。
何故そこだけはっきりと確信を持てたのか。幸助自身もよくわからないようだが、これは厄介だと佑賢は感じている。
八坂櫂のタイムループに最も深く関わる人間、それが幸助なのは間違いない。
問題は、どの程度関わっているのか、だ。
櫂のループのきっかけが幸助、というのは十分ありえるが、それが例えば幸助の命に関わる事だとしたら、こちらとしては気が気ではない。
もしくは幸助自身もループに巻き込まれている可能性。
これも十分にありえる。特に今日の根拠のない確信や「俺が二人いるみたい」という発言からも、本来リセットされるはずの記憶に少しほころびが生じている、もしくは、真実に触れたことで封印されているループの記憶が蘇りそうになっている、なんて事も十分に考え得る。
もし幸助の未来に害が及ぶのなら、黙って見ているわけにはいかない。
八坂櫂を幸助の人生から排除することも視野に入れていかなければならない。
きっと幸助は、櫂を救おうとするだろう。
でも、それでもしも幸助に何かが起こってしまうのなら、
彼の音楽が止まってしまうことになるのなら、
大事に抱えた棺の蓋を開けて、自分の全てをかけてでも、幸助を守らなければいけない。