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51:終わりのはじまり

ALLTERRAオルテラPinkertonピンカートンのツーマンライブまであと一週間となったその日、都内某所の大型スタジオでは最終リハーサルが行われていた。


2バンドが揃ってまともに演奏できるのは最初で最後ということで、当日に向け丸一日かけての調整を行っていく。

Pinkertonはここで、ベースに望田もちだを入れた完全体での演奏を初披露した。ツーマンへの望田起用は再三事務所側に打診しており、やっと幸助たちの希望が通ったのだ。


ツーマンはアウェー戦だ。

ALLTERRA目当ての客しかいないような場所で、それがどうしたと笑い飛ばせる強さが必要だ。

ここで望田が復帰できれば、ステージ上のテンションが変わる。

メンバーが全員揃っている、本当の自分たちの音を鳴らすことができるというのは、心理的にかなりプラスになる。

味方が誰も居ない場所で、これがPinkertonだと胸を張って見せつけるにはもってこいのタイミングでもある。


しかし、スタジオリハのPinkertonの出来は散々なものだった。

気持ちがひとつにならない。全員の意識が音に集中していない。

演奏のスキルの問題ではない。全員の精神状態が良くない。

その原因は間違いなく、スタジオの隅に座り真剣にこちらを見つめている八坂櫂やさかかいという存在だ。


八坂櫂が視界に入るたび、存在を感じるたびに、どうしたって『タイムループ』という単語がよぎってしまう。


本当に時間を繰り返しているのか? 本当に人生百回目なのか?

このリハもツーマンも、もう何度も経験しているっていうのか?


気にしないようにと思えば思うほど、意識が散漫になる。

慌てていつも通りを取り戻そうとして、音が乱れる。


中心で歌う幸助は、正面の鏡越しに何度もメンバーを見た。

特にリズム隊の佑賢ゆたかと望田が走ると、そこにあわせているギターもボーカルも全てが崩れてしまう。

せめて佑賢だけはフラットでいてくれと縋るような目を向けるのに、視線を交わすことすらままならない。


このままではまずい。

この状況をライブ当日まで引っ張ったら、Pinkertonの評判は散々なものになる。


バンドはライブが全てだ。ライブのパフォーマンスがコケたら終わり。

ドラマのタイアップもデビューシングルの評判も、ロックバンドにおける真の評価にはならない。

どれほど音源がよかろうが、生のパフォーマンスが追いついていなかったら評価はついてこない。

楽曲の良さだけが評価されお茶の間の再生数が上がったところで、ライブに来てくれるオーディエンスが増えなければロックバンドではなくなる。


Pinkertonはロックバンドだ。メジャーデビューした途端J-POPに転向した、なんて絶対に言われたくない。

誰にも説明できないような状態で本来の実力を発揮できなかったら、支えてくれているスタッフや拾ってくれたレーベルにも申し訳が立たない。


5曲目を終えたタイミングで、セットリストではMCを挟むことになっている。

ちょうどいい、ここで一旦休憩を入れよう、と幸助は考えていた。視界に入るスタッフたちの表情を見る限り、ここで立て直さないとまずい。


不安定に重なった最後の一音を聞き届け、腹を決めて顔をあげた。

しかし、スタジオ内に響いたのは強ばった別の声だった。


「ごめんなさい。ちょっとリハ止めていいですか?」


ギョッとして視線を向けた先、櫂が立ち上がっていた。

どこか難しい顔で幸助を見つめ、こう続ける。


「幸助くん、ちょっと来て。他の皆さんは少し休憩しててください」


有無を言わさぬ強さが声に滲んでいて、異を唱えられる者は誰もいなかった。

幸助も例外ではなく、メンバーを見渡すのがやっとだった。どの表情も曇っていて、胸が詰まる。

すみません、と繰り返しながら櫂の後に続いてスタジオを出た。

廊下のスタッフたちも空気を読んでか、誰も声をかけてこない。


このタイミングで声を上げたのだから、櫂はPinkertonの演奏について物申したいのだろう。

スタッフが止めなかったのも、皆が同様の印象を抱いているからだ。

代表して櫂が伝えてくれようとしているだけだ。


そうは思っても、櫂と二人きりで話すのは怖かった。

パフォーマンスが悪すぎるという苦言は甘んじて受け入れるしかないが、その原因を問われたらどう切り返せばいいだろう。

ここでタイムループについて触れていいのだろうか。

こんなタイミングで、真実を問いただしていいのだろうか。


櫂は廊下を端まで進み、最奥の小スタジオの前で立ち止まった。

今日はスタジオ全体が貸切なので部外者に見られることはないが、大勢のスタッフの前で二人きりになるのは少し居心地が悪かった。背中に好奇の視線を感じながら、櫂に促されるまま入室する。


電気がついてホッとしたのも束の間、重たい防音扉が閉じると空気が薄くなった気がした。

息苦しい無音の中振り向くと、櫂が真っ直ぐこちらを見つめている。


「今日、誰か調子悪い?」


案の定、櫂は眉を下げてそう言った。

咄嗟に否定するも、櫂の表情は曇ったままだ。


「そっか。じゃあ……そういうことなのかな」


独り言のような曖昧な呟きのあと、櫂は意を決したように小さく息を吸った。

何が『そういうこと』なのか。

身構える幸助の目を臆せず見つめた櫂は、次の瞬間、あまりにも場違いな言葉を口にした。


「あのね幸助くん。このツーマンは俺にとって、結婚式なんだよ」

「……はっ?」


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