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53:終わりのはじまり

それからの幸助のパフォーマンスは、目に見えて安定した。

スタッフが気を利かせてリハの順番を変更してくれたのだが、初の取り組みであるALLTERRAオルテラとのコラボを難なくやり遂げたのだ。


佑賢ゆたかが特に心配していた《スケイル》も、空元気のようなはしゃぎ方も見せつつ、かいとのハモりをぴったり合わせて歌い切った。

スタッフたちの空気も安堵に変わり、昼休憩を挟んで午後からはPinkertonピンカートンのリハをやり直すことに決まった。


絶好のタイミングで訪れた自由時間。

Pinkertonだけで話がしたいと人払いをし、四人は小さいスタジオに籠った。

ごく自然に向かい合って床に座り込むと、配られた弁当の蓋を開けるより先に幸助が口を開いた。

どこか急くような口調で櫂との会話を全て詳らかにすると、あぐらをかいたまま頭を下げた。


「……っというわけだから、すまん、一旦忘れてくれ! 頼む!」


幸助への遠慮もなくさっさと弁当を食べ始めていたゴンは、案の定顔をしかめ不服の声をあげた。


「忘れろだぁ? んなこと言われたって無理だろ、こんなとんでもねーこと知っちゃってよ」

「いや〜、まぁそれはそうなんだけどさ」


早々に攻めあぐねる幸助を横目に、佑賢は能面を貼り付けたままチキン南蛮を頬張った。まだ加勢してやらないぞという意思表示だ。


「うーん、忘れるというか、正直飲み込むのがまず難しい……けど、確かに気にしないようにしないと演奏に集中できないよね」


佑賢に代わって口を開いた望田もちだは、幸助の言い分を白米と一緒にあっさり飲み込んだようだ。


「全部ちゃんと理解してからの方が集中できるだろうが。大体なんだよ、俺らの関係が変わっちまうって」


まだごねているゴンは、怒りのままに唐揚げを頬張り、そのまま言葉を続けた。


「気に入らねえな。人間そんな簡単に変わるかっつーの!」

「つまりゴンは、俺たちが真実を知ったら櫂くんやALLTERRAから離れていくような人間だと思われてる事が気に入らないんだろ。離れる気なんてさらさらないからさっさと教えろ、そう言いたいんだよな?」


行儀の悪さを嗜めるのも面倒で、佑賢はさっさとゴンの本音を通訳してしまった。

ずばり言い当てられたらしいゴンは、唐揚げの咀嚼を終えるなり小さく「まぁそういうこと」と呟く。


視線を向けた先、幸助の表情はみるみる明るくなっていった。

やっとヘラヘラした笑みを浮かべたと思ったら、思い出したように弁当に手を伸ばす。


「ゴンちゃんはやっぱ強ぇな。変わらねーって言ってくれて、ちょっとホッとした」


幸助は弁当の蓋を開けながら、「俺もそうやって言い切ってやれたら良かった」とこぼした。

彼の中に揺れる不安が垣間見えて、佑賢は密かなため息を吐く。


変わることを恐れる、その純粋な気持ちはよくわかる。

自分だって同じだ。怖がって怖がって、今日まで来てしまった。


でも幸助は、自分とは違う。怖がりながら前に進んでいける。迷いながらも、正しい選択が出来る人間だ。

きっと今回もそうなる。何もかもが明らかになった後も、その選択を見届けてやればうまくいく。

そう根拠もなく思えるこの感情を恋と言うのなら、幸助も自分も、間違ってない。


「……お前が櫂くんを信じるなら、俺たちはお前を信じるだけだ」


前置きもなく結論だけを口にして、佑賢は箸を置いた。

顔をあげると、弁当を口いっぱいに頬張った幸助が慌てて咀嚼している。

その間抜け面に軽く笑ってしまってから、佑賢は隣のゴンを見た。


「実際、さっきのリハは最低だったろ。変わらないとか豪語してても音には出るんだよ。真相を知っても尚動揺せずいられるかどうかは現状わからないし、だったら幸助の言う通り『一旦忘れとく』が一番良いんじゃないか?」


決まり手をきっちり繰り出して、佑賢はゴンの了承を引き出した。

望田もふっくらと丸い笑顔で頷き、よーし忘れるぞー、なんて小ボケを繰り出している。

そんな望田を軽く揶揄ってから、幸助ははにかんだ。


「櫂くんのおかげでツーマン成功がなんとなく見えてきたんだ。ちゃんとやればちゃんと響くんだって自信も湧いてきて、やっと少しずつ楽しみになってきた。さっきのALLTERRAとのセッションも気づいたらめちゃくちゃ楽しくてさ、そうだ音楽って考えながらやるもんじゃなかったなって今更思い出したりして」


照れ隠しのつもりか、ほとんど残っていない紙パックの緑茶をずるずると奏でてから、幸助は割り箸を振り回してこう続けた。


「だからさ、一旦考えるのやめようぜ! 忘れるのは無理だけど、考えないように脇に追いやって後回しにすんのは結構簡単じゃん? そうやってさ、その場しのぎだろうがなんだろうが、今は楽しくやりてぇのよ。どうせ、全部知っちまったらこの辺ぐちゃぐちゃになるんだしさ」


言いながら自分の胸を叩いた幸助は、力の加減を間違えたのか咽せてしまった。

そのダサい姿に笑ったら、スタジオ内の色がやけに明るく見える事に気がついた。いつの間にかゴンも笑っている。


「確かに、『音楽は楽しくやらなきゃ届かない』って田中パイセンによく言われたもんな。俺たちが馬鹿みたいに楽しまなきゃ、ZETTの3000人も楽しくなれねーか」

「そうそう、そうだよゴンちゃん!」

「僕はまだちょっと、楽しめるか自信ないけど……」

「そこは俺がMCでめっちゃ笑わすから任しとけって!」

「いやいやいやお前絶対やめとけってそれは。どんだけ音楽が良くても寒いMCしたら終わるんだからな!」


ごく自然に食後の雑談へとなだれこんだ三人は、もうすっかりいつも通りだ。

ツーマンへのプレッシャーもいい具合にほぐれたようで、この調子なら午後は問題ないなと胸を撫で下ろす。

そして佑賢は、ぎゃあぎゃあと小学生のような言い合いを始めた二人をよそに、ひそかに記憶を反芻しはじめた。


先ほどの幸助とALLTERRAとのセッションで受けた衝撃は、まだ生々しく思い出せる。

初めて合わせたとは思えないほど噛み合った呼吸。美しく重なったハーモニーは《スケイル》という名曲に新たな魅力を添えた。


それに何より、二人が心から楽しそうに歌う姿が佑賢の胸を強く打った。

打ち合わせもなくいつの間にか向かい合って歌っていた二人は、何にも邪魔されることなく、今この瞬間の音の中で笑っていた。


きっと二人の音楽は、完成形として多くの聴衆の心に届くはずだ。

ライブの大トリで披露するに相応しい、伝説の《スケイル》となるだろう。

佑賢の目にも、この時初めてライブ成功の画がはっきりと見えた。

こうすれば大丈夫だという正解を見せてもらったような気分だった。


二人が、あの短い時間で手繰り寄せた正解だ。

敵わないなと舌を巻く。自分がいかに平凡かを悟る。

未来がわかっている櫂が強いのはもちろん、それについていける幸助の強さも並ではない。

二人の強さとは、一切の邪念もなく全力で、今しかできないこと今やりたいことに挑める精神の強さだ。


目前に迫る終わりをものともしない。

……いや、終わりが来ることをわかっているからこそ、今を全力で生きられるのだろうか。



「……佑賢、お前まさか、幸助に言わないつもりか?」


幸助がスタッフに呼ばれスタジオを飛び出していくと、すかさずゴンが肩を寄せてきた。

望田も同じことを考えていたのだろう。弁当のゴミを丁寧にまとめながらこちらを伺っている。


実は一つだけ、幸助だけが知らない事実がある。

佑賢がそれを知ったのは昨夜遅くで、今朝、幸助が集合する前にゴンと望田にだけは伝えていた。

午前中のリハがボロボロだったのは、その動揺によるものだ。

だが、幸助にはその事実を伝えるつもりはない。


昨夜、佑賢はALLTERRAのドラマー・大地を呼び出し、自宅で向かい合っていた。

リハ前だからと気を利かせて麦茶を出したのだが、大地は去り際までコップに触れることはなかった。


佑賢が切り出した話題は勿論、ALLTERRAの事だ。

あくまでPinkertonの売り出し方の相談という建前で、彼らのこの先の予定について何気なく聞いてみたのだ。


タイムループについて触れる気は少しもなかった。

探りを入れている様子すら出したつもりはないが、何故か大地はいつもより頑なで、何かを迷うように歯切れの悪い返答を続けた。

ALLTERRAの未来に何かある。

それはおそらくタイムループの終点に関わることだろうと目星をつけたところで、不意に大地が重い口を開いた。


『……櫂には口止めされているのですが、』


大地なりの覚悟が決まったのだろう。堰を切ったように饒舌になったその口が、予想だにしないことを告げた。


ALLTERRAは、来年の八月以降全ての予定が白紙であること。

レーベルには、来年の九月でALLTERRAを解散すると相談をはじめていること。

そして、大地は『全てを知っている』ということ。


『……俺から言える事はこれだけです。でも、』

そう一度言葉を切った大地は、強張った表情をぐしゃりと歪めて、こう続けた。

『今度こそ、櫂には救われて欲しい。俺には何もできないけど、幸助さんなら……』


震えた声がかき消えて、大地は項垂れた。

啜り泣きのような浅い呼吸の後、彼が呟いたのはとても小さな『ツーマン、よろしくお願いします』だった。



「うおーい! そろそろリハ再開するってよ! 腹ごなしに声出そうぜ」


スタジオの重い扉に体をねじ込んで、幸助があっけらかんと戻ってきた。

重く落ちた空気など気にも留めずに体を引っ込めると、腕のストレッチをしながら廊下を駆けて行く。

その背中を長方形の窓から見送って、佑賢はゆっくりと立ち上がった。


「……言えねーだろ今は。櫂くんがあと一年で死ぬ、なんてさ」


ずしん、と腹にくる重さを、深く息を吐いてやり過ごす。

視線を交わす二人もまた、小さく頷き立ち上がる。


なぁ幸助。

終わりは、お前の想像以上に早くやって来るぞ。

あと一年もない。カウントダウンは始まってる。

このツーマンが終わったら、お前はきっとまた、ぐちゃぐちゃになって悩み苦しむんだろうな。


その先でお前は、どんな選択をするのだろう。

刹那に過ぎていく残り時間をどう生きるだろう。

そして自分はその選択を、どう受け止めるだろう。


未来のことは何もわからない。

臆病者に今出来ることはただ、先回りして色々な覚悟を決めておくことだけ。


さぁ、まずは俺たちの最初のビッグステージ

ALLTERRA×Pinkerton ツーマンライブを始めようか。


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