生放送のラジオ収録を終えて、幸助は
時刻は深夜0時半を回っている。収録で散々盛り上がったからか、それともこの後の事を考えているのか、車内に会話はない。
心配していた眠気は微塵も感じないが、幸助は少し疲労を覚えていた。
車の揺れに身を任せながら、窓を向いて少しだけ目を閉じる。
櫂との約束通り、幸助はツーマンライブ翌日の夜に生放送されたラジオ番組にゲストとして出演した。
ツーマン直後というタイミングのおかげもあってか、番組は過去最高聴取率を叩き出したらしい。
SNSでの反応も上々。櫂との自然体な会話は多くの
ラジオ収録は楽しかった。
ツーマンのテンションをそのまま引きずった二人は、リハや舞台裏のぶっちゃけ話をして大いに盛り上がった。
大量に寄せられたファンからのメールもライブに触れるものが多く、特に互いの曲を一緒に歌ったコラボ企画が好評だった。
放送中、二人は幾度も『楽しかったね』と言い合った。
この言葉に嘘は少しもなく、ツーマンライブは本当に心の底から楽しかった。
それ以外の感情が見当たらないほど、ライブ中は無我夢中で楽しんでいた。
ファンの反応も全く同じだ。
楽しかった、最高だった、とあらゆる賛辞の後に続くのは『またやってほしい』の一言。
特に今回は東京1会場のみでの開催だったため、地方のファンから対バン全国ツアーを希望する声が多数上がった。
わかっていた反応とはいえ、実際に耳にしてしまうとやるせない気持ちになった。
『また』がこの先ないであろうことは、櫂の今回の気合の入れようから察している。櫂に起こっていることを全て知った上でチャンスを模索するつもりではいるのだが、その覚悟もたびたび揺らいでいる。
この収録が終わったら、いよいよ櫂の全てを知ることとなる。
そして二人の関係は変わる。元には戻れなくなる。
どう変わるのか、本当に変わるのか、変わらずにいられる方法はないのか、それらを考えられるようになるのはもう少し先になりそうだ。
だから今は、何事もなかったかのように明るく振る舞い、口先だけの約束を繰り返すしかない。
これがラジオで本当に良かったと思いながら、幸助は必死でテンションを上げた。
『またやりたいね』
『やろうぜ全国ツアー』
『ご当地の美味しいもの一緒に食べよう』
『いいなぁ、楽しそう』
それが叶わぬ未来だとわかっているからだろう。
櫂はその会話の間、ただの一度も幸助を見なかった。
「運転手さん、ここで止めてください」
なんの前触れもなく櫂が声をあげたので、運転手だけでなく幸助も肩を弾ませてしまった。
車窓には見慣れた景色が広がっている。吉祥寺だ。百貨店前の大通り。
ここで降りるということは、と横を見ると、幸助の視線だけで櫂は頷いた。
深夜の閑散とした街に降り立つと、唯一煌々と光るファミレスの看板を見上げる。
「折角だから、初めましての場所でさようならでもいいかなって」
櫂はそう言って、迷わず建物へと進んでいく。
そのどこか投げやりな物言いが気になって、幸助は櫂の腕をとった。
「待って。何だよ、さよならって」
櫂は少しだけ振り向いて、口の端を持ち上げた。
「これから話すことは、別れ話みたいなものだから」
「……付き合ってるわけでもねぇのに?」
「そう。両片思いの終わり。まったく、面白いよね、俺たちの関係って」
冗談めいて言われたって、笑えるはずがない。
思わず手に力をこめてしまったら、櫂に体ごと振り解かれてしまった。
櫂は進む足を止めない。
このまま逃げてしまいたい衝動を必死で飲み込んで、幸助は無理やり足を前に出す。
終電後の24時間営業のファミレスは、平日ということもあり閑散としていた。
眠そうな店員に好きなところでどうぞと促され、櫂は前と同じ席を選んだ。
メニューも見ずにドリンクバーを二つ注文し、櫂はさっさと席を立つ。幸助の飲み物を聞くことすらしなかった。
遠ざかる背中を見つめながら、幸助は逃げるようにあの日のことを思い出す。
『とりあえず、ドリンクバー取ってきましょっか。で、落ち着いてからもう一度説明するね』
櫂がそう切り出して始まった、二人の最初の時間。
けれど本当は最初ではなくて、櫂が何度も繰り返し経験してきた時間だった。
だから櫂はドリンクバーの位置を正確に知っていた。知ってるくせに『氷は?』と聞いてきたのは、おそらくカモフラージュだったのだろう。
同じ場所にいるからか、思い出せる映像も音声もとても鮮明だ。
自分の感情すら、新鮮に呼び起こされる。
バケットハット、黒縁メガネ、テーブルを叩く指。
八重歯が可愛いと思ったこと。
そこらの女より可愛いかもしれないと思ったこと。
緊張で落ち着かないまま、ずっとふわふわしている自分に動揺しながら、櫂との関係に名前をつけたいと思ってしまったこと。
『なぁ、友達として、ってのはどうよ?』
そんな単語を当てはめておきながら、あの時確かに、恋が始まっていたということ。
「お待たせ」
櫂はそう言ってグラスを二つ置いた。手元で白い液体が揺れる。
礼を呟いてストローを咥えると、予想通りの味がした。
櫂の手の中には、きっと烏龍茶。
何もかもをあの日と同じにして、櫂は幸助と向き合った。
目が合うと少し笑って、「お腹すいたら注文していいからね」と言った。
胃袋なんて存在しないかのような空虚な内側から目をそらして、幸助はゆるく首を振る。
櫂もきっと同じだろう。あの日はアイスを頼んでいたが、今はメニューに目もくれずグラスの水滴を撫でている。
長い、長い沈黙の後に、櫂はゆっくりと口を開いた。
その様子はとても緩慢で、まるでエンディングを渋っているようにも見えた。
けれど語り出した櫂はとても饒舌で、言い淀むこともなく、用意された物語を読み上げるようにして、
彼の経験の全てを、打ち明けたのだった。