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57:真実と選択

これが映画や漫画の話だったら、どれほど良かっただろう。

幸助はうまく動かない頭でぼんやりとそんなことを思った。


手元のカルピスはまだ飲み干していない。

何かを口に含む気にもなれず、ただグラスを指でなぞる緩慢な動きを見つめている。


『好きな人がタイムループをしている』……この事実には少し前から気付いていたから、今更驚きはない。

けれど、改めて本人の言葉で聞かされた内容に、幸助は滅入ってしまっていた。


例えばこれが、自分とは直接関係のない誰かに起こった話だったら、羨ましいなーなんて思っただろう。

何度もやり直せるなんて最高じゃん。いろんな職についたりやりたいこと全部やれて楽しそうじゃん。なんて言う自分が容易に想像できる。

けれどかいは、そんな軽い気持ちでこの異常現象に挑んでいない。

彼は繰り返しの中で、おそらくただの一度も遊んでなどいなかった。

彼に訪れるすべての時間とチャンスは、自分と出会い幸せになるためだけに注がれていたのだ。


俺自身が、櫂のタイムループの理由。

俺に注がれている櫂の一途な恋心が、櫂を時間の檻に閉じ込めている。

この事実が、幸助の気持ちを重く沈めていた。


「あ、ちなみにこのファミレスでの会話は狙って起こしたものだよ。俺はもう何十回もこの場面を経験してる。このあと幸助くんが何て言うかもパターン別に全部わかってるから、安心してなんでも聞いてね」


幸助の沈黙をしばらく許容していた櫂は、思い出したようにそう言った。

あっけらかんと告げるにはあまりにも不思議な内容に、幸助は顔を上げることしか出来なかった。

質問なら幾つも浮かんでいるが、何から聞いたらいいかわからない。

聞いたところで、飲み込めるかどうかもわからない。

鉛を飲み込んだかのように重い胸のあたりをさすりながら、持て余した時間でとりあえずカルピスを飲み干す。


「……えぇと、じゃあ……今って何回目のループなの?」


結局絞り出したのは、自分にダメージが少なそうなクエスチョンだ。

何百回と言われても、ループをしていない自分にはまずまともに想像が出来ない。へぇそうなんだ、と他人事のように遠くに追いやることしか考えられない。


「それがね、100を超えるあたりからもう数えるのも面倒になっちゃって。正確にはわからないんだけど、まぁ多分120か130くらいかな」


用意しておいた「へぇそうなんだ」は出てこなかった。

ふと気になって指折り数えてしまう。


櫂は今、何十年生きているんだろう。

厳密には肉体は死んでいるけど、記憶は生きているわけだから『生きている』と言っていいんだよな?

そんなことを考えながら指を七本折ったところで、幸助は顔を上げた。


そういえばこれを聞いていなかった。

もしかしたら一番大事な質問かもしれない。

恐怖が膨らむが、聞かないわけにはいかない。夢で見た雨の夏フェスの景色ごと、恐怖を奥歯ですりつぶして飲み込もうとする。


「……櫂くんの、ループの終わりって……」


いつなの、と続けるまでもなく、迷うように途切れた言葉の隙間で櫂はあっけらかんと笑った。


「来年の8月」


呼吸が止まるかのような衝動。

カレンダーを見るまでもなく、指折り数えられる残り時間。

あとたったの10ヶ月。一年も経たずに、櫂が、死ぬ?


「日はまちまちだけど、大体同じ時期だね。8月第3週の土日の、」

「シャイフェス?」


食い気味に身を乗り出すと、櫂は初めて目を丸くした。え、と動揺を見せてから、苦笑をこぼす。


「このパターンは初めてだな。誰かから聞いた?」

「いや、夢で見たんだ」


「夢?」と櫂は再び目を見開いた。

そして次の瞬間には、吹き出すように笑う。


「さすが幸助くん。突拍子もないなぁ」

「茶化すな」


つい腹から声が出た。いつもは嬉しいはずの櫂の笑顔が、異様に腹立たしかった。


幸助は夢のことをまくしたてた。

櫂に出会う少し前から、不定期に夏フェスの夢を見るようになったこと。

同じようなシチュエーションだが毎回少しずつ違っていたこと。

でも大半の夢の終わりは同じで、ステージは落雷による轟音と衝撃と激しい光に包まれ、閉じた目を開けたら現実で目が覚めていたこと。


そして、櫂のタイムループに気付いた時から、この夢が『過去、別の自分が経験したループの終わり』なのだと理解したこと。


言葉は感情を連れてくる。

夢で見たいくつものパターンを説明しながら、幸助の中には夢で抱いていた焦燥や渇望が蘇えっていた。


櫂を救いたくて足掻いた、過去何十人の自分の悔しさが流れ込んでくる。

その濁流に抗うどころか自ら飛び込んだ幸助は、溢れる想いを抑えておくことはできなかった。


「全部わかってんならさ、なんで抗おうとしないんだよ? 雷が落ちて死ぬってんなら雷をどうにか回避すればいいだろ。ステージに上がらなければいいだけだろ。シャイフェスなんて再来年もその次もずっとあるんだ。来年の一回を辞退することぐらい、」

「とっくにやってみたよ」


幸助の言葉を遮った櫂は、烏龍茶を飲み干して伝票を手にした。逃げるつもりかと眉を顰めると、櫂が眉を下げて笑う。


「やってみたけどダメだった。俺の死因は感電死で固定じゃないみたいでね。夏フェスを辞退しても家で突然死するし、ステージを変えてフェスをやり切っても帰り道に事故って死ぬ。神様は何がなんでも来年の8月に俺を殺すんだよ」


幸助が衝撃を咀嚼している隙に、櫂は「店を出よう」と席を立った。

さっき声を荒げてしまった自分を思い出して、幸助も後に続く。


手早く会計を済ませて足早にファミレスを出ると、終電終わりの吉祥寺はいよいよ閑散としていた。

櫂の半歩後ろを歩きながら、きっと向かうのは井の頭公園だろうと思った。


幸助はもうずっと、櫂の言葉を飲み込めずにいる。

夏フェスの落雷を避けても、櫂は死ぬ。

そういえばフェスで歌い切った櫂を見届けた夢もあったが、あれもあの後なんらかの原因で櫂の死を知ったのだろう。


『神様は何がなんでも来年の8月に俺を殺すんだよ』


それが本当なら、俺はどうやって櫂を救えばいいんだろう。

本当にもう手はないのか? 全て試したのか?

130回もチャンスがあって、その全部で死を避けられないなんてそんなことあるのか?


「……なぁ、病院で軟禁状態にするとかどうよ? ほら、心臓発作とか起こしてもすぐ処置できる環境に居れば」

「あー、それに近いことはやったけど。救急車が事故に巻き込まれて遅れるとか、医者が捕まらないとか、何かと不運が重なって助からなかったね」

「じゃあえーと、そうだ、このタイムループのことを公表してさ、頭いい奴らに調査してもらって解決策を見つけてもらうとか」

「信じてもらうのに半年ぐらいかかりそうだね。詳しくわかったところで時間切れだろうなぁ」


思いつくままアイデアを口に出しても、櫂はそれをのんびりと全否定する。

井の頭公園への道中繰り広げた会話はどれも実を結ぶことなく、10月の心地良い気温に溶けていく。


公園入り口へ続く街灯のない坂道を下る頃にはもう、何も思いつかなくなった。

自分だけじゃなく佑賢ゆたかやゴンの知恵とアイデアを借りれば、とまで言ってみたが、「勿論それもやったよ」と小さく笑い飛ばされてしまった。


「佑賢くんのアイデアは夏フェスのステージ周辺に避雷針を置くっていう、単純だけど効果の高いものでね。おかげでフェスをやり遂げることはできたけど、その夜泊まったホテルで突然死しちゃって残念ながら失敗。ゴンちゃんは俺の心拍を測る機械をつけてくれたけど、前述の通り救急車が遅れて間に合わず、だったね〜」


まるで思い出話でもするかのように、櫂は自分の死を軽々と口にした。

それは幸助の耳に不愉快な異音として響き、苛立ちばかりが募った。


坂道を下り終え、公園入り口から伸びる浅い階段に差し掛かった頃、幸助はついに我慢が出来なくなった。

他人事のように足取り軽く前を行く櫂を乱暴に引き留めた。

腕を引き振り向かせると、段差のせいで櫂を見下ろすような形になった。


「なんでもっと早く言ってくれなかったんだ?」


ここで櫂を責めるのは多分間違っている。そんな感覚は頭の片隅にあったけれど、自分を抑えることがもう難しかった。


一度開いた口は勢いを増す。

言葉にしたら取り消せないのに、脊髄反射のような直接的な感情ばかりが溢れ出る。


「もっと早く教えてくれてたら、もっと早くから色々準備もできたろ。なんで今なんだよ! なんでそんな軽いんだよ! 俺がお前のために必死になるところをもう何度も見てんだろ? 俺が必死にならないわけねぇのもわかっててなんで、なんで今……残り一年もないって時に……!」

「ツーマン終わりの今日が一番、ベストだから」

「ベストとか知るかよ! 俺にはベストがどうとかわかんねーし、今日が最良だったとしてもお前は死ぬってんだろ? それが嫌なんだよ!」

「腕、いたいよ、離して」


櫂が眉を下げたその瞬間、幸助の中の何かが弾けた。

咄嗟に掴んだ腕を引き寄せると、体当たりのように抱き締める。

強く腕に力を込めたら、この思いが肌を通して櫂に届いたりしないだろうか。

そんな願いにも似た衝動を振り払って、幸助は吠えた。


「お前の死を止めたい。好きなやつが死んでくのを黙って見てるなんて、俺には絶っ対無理だ。救いたいんだお前を、今度こそ!」


それは、夢にまで見た渇望と後悔の言葉だ。

今度こそ、今度こそ、今度こそ。

繰り返して積み重ねて幸助の核となったその想いは、しかし届いて欲しい人になかなか届かない。


「……幸助くんはどの時間軸でもそう言うよね」


くぐもった、苦笑混じりの声だった。そこに滲む諦めの色を、幸助は見逃さなかった。

離れようともがく櫂を腕の中に閉じ込めて、幸助は必死に絞り出した。


「好きなんだよ。櫂のことめちゃくちゃ好きなんだ。詞とか作っちまうくらいには好きなんだ! だから!」


鼻の奥のツンとした痛みも、目から溢れそうな熱も、何もかもが意識の外だ。

だから、何だっけ。

衝動ばかりが空回りして言葉が出てこない。

どうにか、1ミリでも届いて欲しいと願うことしか出来ない。


けれど櫂は、幸助の想いを静かに押し戻した。

離れた胸をそっと撫でながら、櫂は俯き、「だったら、俺はこう返すしかない」と小さく呟く。


「だから俺たちは、ここで終わりなんだよ」




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