10月から11月にかけての
アルバムレコーディング、ワンマンツアーの準備、セカンドシングルのプロモーションと怒涛のように時間が流れていく。
ドラマタイアップのおかげで知名度は鰻登り。セカンドの売れ行きも好調で、ヒットチャートは
レーベルはここぞとばかりにPinkertonを売り出した。数多のメディア露出を捌きながら、深夜にレコーディングを詰め込むような日々。
ゴールデンタイムの音楽番組にも出た。フォロワー数は3倍まで膨れ上がった。
街をまともに歩けなくなった。幸助は吉祥寺を離れることを決めた。
忙殺される日々の中で、あの日『何をしても変わらない』と嘆いた
なんだって死ぬ気で頑張れば変えられると思っていた。
でもそれは間違いだ。
この世界には、自分にはどうしようもないものがあまりにも多すぎる。
その最たるものが、時間だ。
時は止まらない。他の何を変えられても、時の流れる速度やリズムを変える事は出来ない。
退屈に、着実に、一定のビートを刻み続ける。それは何人たりとも止めることの出来ない、絶対不変の世界の鼓動。
そして、時の流れとともに物事は変わっていく。
変わらないものなんて一つもない。
生き物は姿形を変え、季節は移ろい、朝は夜になり夜は朝になり、空の色も雲の形も刻一刻と変化する。
Pinkertonを取り巻く環境も変わった。
交友関係が華やかになった。電車に乗らなくなった。
表参道のマンションに興奮していたガキみたいな自分も、もういない。
こうやってこれからもずっと、変わり続けるのだろう。
ずっとこのままでいたい、だなんて儚い夢だ。
時と変化の流れは、誰にも止められない大流。
人々はそれに飲まれるしかない。
そして、変化を繰り返した先に待つのは、避けられぬ死。
11月に入ってすぐの頃、闘病を続けていた
Pinkertonが音楽番組に生出演した日の翌々日、眠るように息を引き取ったという。
『母親がね、親父はきっとホッとしたんだろうって言ってたんだ。エムステ見て、僕がちゃんとバンドもやれてるってわかって安心したから、もう闘わなくていいやって思ったんだろうって。
……僕も、最後にちゃんと聴いてもらえて良かった。もう大丈夫だよって、見せてあげられて本当によかった。皆のおかげだ。
全ての後片付けを済ませ、少し大人びた顔つきになった望田は、練習の前にそう言った。
憚らず泣いてしまった幸助に、望田はまんまるの笑顔で片手を差し出した。
美味しい天ぷらを揚げて美しい旋律を奏でるふくよかな指は、とても暖かかった。
それを強く握り返しながら、幸助は改めて死と向き合う決意を固めた。
大流に抗おうとしていた自分は確かに、無謀だったのかもしれない。
何をしても結果は変わらないのだ。
人はいつか死ぬし、別れは突然やってくる。
もしも櫂が来年の夏を超えられたとしても、来年の冬もその次の春も大丈夫だという保証はない。
結局、生きている限りいつまでも、大切な人の死に怯え続けることになる。
自分は今、たまたま好きな人の死のタイミングを事前に知れただけだ。
むしろ自分たちはラッキーなのだろう。死のタイミングを事前に知ることができるなんて、こんな幸せな事はない。
残された時間をどう生きるか、最善を尽くすことができる。後悔を減らすことができる。
思い出をたくさん作って、櫂がいない世界でも櫂を感じられるようにたっぷり準備することができる。
そう考えれば、残り時間との向き合い方も少しだけ変わる気がした。
このまま逃げずに向き合い続ければ、きっと正解を見つけられる、そんな気がした。
幸助の中で、櫂と離れるという選択肢はもう、綺麗さっぱり消えていた。
でも残りの一つを選ぶつもりもなかった。
『何もせずただ死を見届ける』なんてごめんだ。
そんな勝手な事は許さない。
また一人だけ果てしない時間の中に放り出されて、もう一度同じ物語を味わおうだなんてそんなこと、絶対に許さない。
幸助は第三の選択肢を探し続けた。
考えて考えて考え抜いて見つけた答えは、不安になるほど単純だった。
もしかしたら過去の自分も同じような答えを出していたかもしれない。
櫂はそれを受け入れず、結局うまくいかなかったのかもしれない。
不安はいつまでも消えなかった。バンドメンバーに全てを打ち明けても不安は残り続けた。
せめて伝え方をちゃんとしようと、幸助は曲を作った。
歌詞に想いを込めて出来上がった一曲はメンバーからの評価も良かったが、それでもまだ、幸助は不安だった。
不安がる幸助を、メンバーはからりと笑い飛ばした。
人生で最も大事な選択をするのに不安にならない奴はいねぇよと、ゴンは幸助の頭をわしわしと撫でた。
不安も一緒に伝えればいい、それが血の通っている決断として熱と共に伝わるはずだから、と望田は優しく背中を叩いた。
佑賢はただ、静かに笑っているだけだった。彼の沈黙は肯定と同じだと、幸助にはわかっていた。
そうして迎えた、ライブツアー初日。
奇しくもALLTERRAのツアー初日と同じ新木場のライブハウスにて、Pinkertonメジャー初の大規模なワンマンライブが、幕を開ける。
***
楽屋からステージへ向かう細い通路で、幸助は落ち着きなく深呼吸を繰り返していた。
ライブ前のルーチンの一つだが、今日は酸素を取り込んだ程度では緊張が取れない。手足を振ってみたり肩を回してみたりと忙しなく動くも、ステージに一歩近づくたびに緊張は増すばかりだ。
「あ、ゴっちゃーん! ねぇ招待客リストの奴ら全員来た? 佑賢狙いのモデルのあの子も?」
先頭を歩くゴンがはしゃいだ声を上げた。
マネージャーの後藤は苦笑と共に指を立て「フロアに聞こえる」と静かに嗜める。
「全員来てると思うよ。今挨拶回ってきたけど、2階はほぼ埋まってたし」
「ウェ〜イ」
「うぇーいじゃねぇよ、余計な事すんな」
ゴンの後ろに続く佑賢が、サイケデリックな布がパッチワークのようにひしめくド派手なシャツを殴ったのが見えた。じゃれあう二人を羨ましく思うほど、幸助はまだ余裕がない。
知名度が上がったPinkertonには「紹介されたい」「紹介したい」と言ってくる人々でひしめいている。
その大半がおしゃれで細くて綺麗な女の子だ。既に業界に幅を利かせている先輩の田中は、この一ヶ月で幾度も飲み会をセッティングしてきた。
絶対に呼び出される佑賢をゴンは楽しげにからかっているが、当の佑賢は淡々と会話をこなすにとどめ、女の子を持ち帰る事は一度もしていない。
八割の確率で呼び出されている幸助にも、勿論何もない。
それどころじゃないというのが本音だが、先輩への義理や付き合いで仕方なく顔を出している。
LINE一覧にはよく知らない名前が増えた。メッセージを読んでも顔が浮かばない奴が何人もいる。
これも仕事だと思って適当にやってきたが、きっとそれは今日で終わるだろう。
田中も今日は2階にいる。彼に見せつけてやらなければならない。
覚悟と未来を。
後藤とすれ違う時、彼は穏やかに微笑んで一度頷いた。
それを合図に幸助の心臓はいよいよ暴れ出す。
櫂がいる。
二階席中央ど真ん中、センターマイクと向かい合う位置に。
照明の都合で顔は見えないだろう。でも、確かにそこにいるとわかったから、もうやるしかない。