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60:怪獣のバラッド

ステージの下手裾で、最後の精神統一をする。

心臓は全く落ち着かない。浅くなりそうな呼吸を意識して深めながら、幸助は暗闇の中で一点を見つめていた。


すると、背中に小さな衝撃があった。

振り向くと、スタッフが照らす小さなライトで僅かに浮かび上がる佑賢ゆたかの無表情。


客入れBGMがやかましいせいか、言葉はない。

いつもの円陣を組もうと言いたいのだろう。

幸助は頷くだけで答えた。肩を並べて歩く数歩の距離で、ふと思いついた疑問を口にする。


「なぁ、佑賢」

BGMに負けないように耳元に口を寄せた。佑賢は返事の代わりに目だけでこちらを見る。

「……お前ならどうしてた?」


出した答えが本当に正しいかどうか、幸助はもう何度も聞いてしまっている。

佑賢はその問いにいつも同じことを返した。

『俺に聞くなよ』……その通りだ。だがそれでも、幸助にとって佑賢は自信を与えてくれる存在だから、迷ったら縋ってしまうのだ。

こんな直前になってまで同じ問いを口にすることは憚られて、幸助は少し言い方を変えた。

例えば佑賢が俺の立場だったら、どんな答えを出すのだろう。

まともに答えてくれないことはわかっている。彼が言うであろう言葉も、なんとなく想像がつく。

出会ったあの日からずっと、彼はその時一番欲しい言葉をくれる人だ。だから最後に一度だけ、その力を借りたかった。


「俺はお前じゃない。お前の正解は、お前にしか出せない。だからそれでいいんだよ」


もう一度背中をトンと叩いて、佑賢は前に大きく踏み出した。

円陣を組もうと待ち構えるゴンと望田もちだに合流し、片手を伸ばして幸助を待つ。

礼を言い損ねてしまった。でもまぁ、今更ありがとうなんて言葉は佑賢も聞き飽きているだろう。


重ねてしまった一生かかるほどの量の借りは、これからも音楽で返していくよ。

心の中でだけ礼を告げ、幸助も仲間の元へと歩み寄る。


ステージに灯りが灯った。フロアの歓声と拍手が聞こえる。

出囃子が始まった。幸助は円の一部となり、佑賢と望田の肩を強く掴んだ。


Pinkertonのルーチンワーク。どんなライブでも、必ず円陣を組む。

掛け声は幸助があげる。だから三人は、急かすような手拍子を聞きながら今か今かと幸助を見る。

けれどその日幸助が発したのは、いつもの気合入れの声ではなかった。


「……すげー今更だけどさ、」


見渡す三人の表情が変わった。真剣に、幸助の言葉を受け止めようとしてくれている。

始まる前だというのに、なんだかもう涙腺が緩んでいた。泣きそうな衝動を飲み込んでから、続ける。


「初のワンマン、私物化しちゃって、ごめん」


ずっと言わなきゃと思っていたことだった。

ワンマンだけじゃない、Pinkertonピンカートン名義で出す曲に滲ませた幸助の個人的な感情や、かいALLTERRAオルテラとの関係、果てはメジャーデビューやヒットのタイミングまで、全てにおいてメンバーを巻き込んできたのだ。

今更だな、と責められる覚悟もしていた。このライブの出来が悪ければ、全て自分の責任にしていいとすら思っていた。

けれどそれを口にするより先にあっけらかんと口を開いたのは、ゴンだった。


「それ言ったらさぁ、佑賢の方が先にバンドを私物化してるよな」

「おい」


隣の佑賢がすかさず低い声をあげた。至近距離で睨まれたゴンは、やけに楽しそうに笑みを浮かべている。

「え、どゆこと?」

咄嗟に逆隣の望田に助けを求めたが、ハの字眉で困ったように微笑むだけだった。決して目を合わせようとしないあたり、彼も事情を知っているようだ。


思わぬ置いてけぼりにキョトンとしていると、ゴンがガハハと笑い飛ばした。


「いーんだよ。ロックンロールはプレイする奴の数だけ意味がある。俺たちのロックが持つ意味は『私物化』ってこったろ」


四人を急かすようにBGMの音量が上がった。歓声もさらに大きくなる。

いよいよこみあげる興奮が、弾けて口から飛び出した。四人で吹き出して、笑いながら「ダセェ」と言い合う。

佑賢の私物化は少し気になったが、今はとりあえず脇においておこう。

笑顔のままで、幸助は深く息を吸い込む。


行こうぜ、Pinkerton。


いつものようにそう叫んだら、三人は笑いながらおうと応えた。

深く沈んだ円陣を解いて、脇目もふらずにステージへ駆け出す。


強い強い、光と音と熱。

拍手と歓声で空気が揺れている。

のまれそうになるのをグッとこらえて、ギターネックを掴む。

センターマイクの前に立つ。でも前は見ない。音が鳴ったらスタートだ。ステージの照明が変わり、オーディエンスが息を潜める。


ドラムが4カウントで始まりを告げたら、幸助のギターが不穏に唸る。

望田のベースが誘うように歌い出し、ゴンのギターアルペジオが高音で応える。

四人の音が寸分の狂いもなく重なった瞬間、爆発にも似たエネルギーが会場を飲み込む。


MCなしで始まったPinkertonのワンマンは、3曲をノンストップで駆け抜けた。

照明の熱と興奮で汗が吹き出す。汗で濡れた前髪が邪魔で、せっかくセットしてもらったのに頭を振って乱してしまった。


音を奏でること。歌を歌うこと。

メンバーの音を聴くこと。オーディエンスの歓声を聴くこと。

それ以外の全てに、邪魔をされたくなかった。

集中は最高精度を叩き出す。考えなくても口が動く。指が動く。

観客を煽る、そのタイミングすら完璧だ。

幸助の意思はそこにほぼ介在していない。パッションだけで正確無比なライブパフォーマンスを行い、余計な感情は一切滲まない。


一種のトランス状態に陥っていた幸助だが、目だけは自分の意思で動かすことができた。

けれど、見たいものはそんなに多くない。

セトリは記憶しているし、観客の顔は時々見られればそれでいい。


だから幸助は大体の時間、目の前に広がる大きな空間の最奥、照明の届かない闇を見ていた。

ステージに上がるとちょうど目線の少し上にある、二階席最前列。

そこにいるであろう存在に目を凝らす。どれほど睨みつけたって恋焦がれるあの愛らしい顔は見えないが、そこにいると信じて気持ちだけを飛ばし続ける。


なぁ櫂、そこにいんのか。ちゃんと聴いてるか。ちゃんと届いてるか。

照明が強すぎて二階席何にも見えねえ。でも居てくれてるよな。

なんたってお前は、Pinkerton最古参だもんな。


櫂、ちゃんと見とけよ。

俺たちは今日、ALLTERRAとのツーマンライブを超えるパフォーマンスをする。

ここにいる、正真正銘俺たちだけを見に来た連中全員、きっちり満足させる。

まずはそこからだ。櫂とALLTERRAがずっと前に駆け抜けたスタートラインを、俺たちも超えてやるんだ。


そしてもっと先へ行く。もっと上へ行く。

伝説になるだろうALLTERRAをも超えて、邦楽ロックバンドの代名詞にまでなってやる。

ALLTERRAがいなくなった来年の夏の先、その空いた椅子に座るのは俺たちだ。誰にも座らせねぇ。ヒットチャートに食らい付いて、いつまでも居座ってやる。


そうしてさ、俺たちに権力ってやつが身に付いたら、お前の追悼ライブでもやろうかと思ってんだ。

毎年、ツーマンやった七月あたりにZETTでさ。

フェスみたいにしたいな。集まったゆかりあるバンドでALLTERRAの曲カバーしてさ。

あ、もちろん俺たちは《スケイル》歌わせてもらうよ。そこは絶対誰にもゆずらねぇ。


音楽はデータで残る。

アーティストがいなくなったっていつでも聴ける。

けど、個々の想いや寂しさに委ねてしまったら、感動はすぐに風化する。

日々のあれこれに流されて、いつしかその曲を聴かなくなる。


そういうの嫌なんだよ。

強制的にALLTERRAを思い出させるイベントを起こしていきてぇ。

そんで、出来ればイヤホンなんかで一人で聴いて欲しくねぇんだよ。

生の音圧に圧倒されて、隣の奴と同じタイミングで腕上げて飛び跳ねて、皆同じ曲で泣いて笑って大声で歌って。

全員で同じ奴のことを思い浮かべながら、音楽に感情全部預けられる場所が欲しいんだよ。

寂しいとか、会いたいとか、悔しいとか、そういう苦しいもん全部をさ。

みんなで一緒に持ち寄って、音楽の中に溶かしてやる日が、きっと必要になんだよ。


お前が残していくファンが、毎年 《スケイル》聴けるようにしてやりたい。

俺たちも忘れたくないんだ。櫂の音楽を、絶対に忘れたくない。

だから、ALLTERRAの曲は俺たちが歌い続けるよ。お前らの盟友として、ALLTERRAを絶対に風化させねぇ。

そのために俺たちは上に行くから、どうか安心してほしい。


それと、安心ついでにもう一曲、聴いて欲しいんだ。


これは俺個人の話。

俺が出した答えを、伝えたい。



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