ステージの下手裾で、最後の精神統一をする。
心臓は全く落ち着かない。浅くなりそうな呼吸を意識して深めながら、幸助は暗闇の中で一点を見つめていた。
すると、背中に小さな衝撃があった。
振り向くと、スタッフが照らす小さなライトで僅かに浮かび上がる
客入れBGMがやかましいせいか、言葉はない。
いつもの円陣を組もうと言いたいのだろう。
幸助は頷くだけで答えた。肩を並べて歩く数歩の距離で、ふと思いついた疑問を口にする。
「なぁ、佑賢」
BGMに負けないように耳元に口を寄せた。佑賢は返事の代わりに目だけでこちらを見る。
「……お前ならどうしてた?」
出した答えが本当に正しいかどうか、幸助はもう何度も聞いてしまっている。
佑賢はその問いにいつも同じことを返した。
『俺に聞くなよ』……その通りだ。だがそれでも、幸助にとって佑賢は自信を与えてくれる存在だから、迷ったら縋ってしまうのだ。
こんな直前になってまで同じ問いを口にすることは憚られて、幸助は少し言い方を変えた。
例えば佑賢が俺の立場だったら、どんな答えを出すのだろう。
まともに答えてくれないことはわかっている。彼が言うであろう言葉も、なんとなく想像がつく。
出会ったあの日からずっと、彼はその時一番欲しい言葉をくれる人だ。だから最後に一度だけ、その力を借りたかった。
「俺はお前じゃない。お前の正解は、お前にしか出せない。だからそれでいいんだよ」
もう一度背中をトンと叩いて、佑賢は前に大きく踏み出した。
円陣を組もうと待ち構えるゴンと
礼を言い損ねてしまった。でもまぁ、今更ありがとうなんて言葉は佑賢も聞き飽きているだろう。
重ねてしまった一生かかるほどの量の借りは、これからも音楽で返していくよ。
心の中でだけ礼を告げ、幸助も仲間の元へと歩み寄る。
ステージに灯りが灯った。フロアの歓声と拍手が聞こえる。
出囃子が始まった。幸助は円の一部となり、佑賢と望田の肩を強く掴んだ。
Pinkertonのルーチンワーク。どんなライブでも、必ず円陣を組む。
掛け声は幸助があげる。だから三人は、急かすような手拍子を聞きながら今か今かと幸助を見る。
けれどその日幸助が発したのは、いつもの気合入れの声ではなかった。
「……すげー今更だけどさ、」
見渡す三人の表情が変わった。真剣に、幸助の言葉を受け止めようとしてくれている。
始まる前だというのに、なんだかもう涙腺が緩んでいた。泣きそうな衝動を飲み込んでから、続ける。
「初のワンマン、私物化しちゃって、ごめん」
ずっと言わなきゃと思っていたことだった。
ワンマンだけじゃない、
今更だな、と責められる覚悟もしていた。このライブの出来が悪ければ、全て自分の責任にしていいとすら思っていた。
けれどそれを口にするより先にあっけらかんと口を開いたのは、ゴンだった。
「それ言ったらさぁ、佑賢の方が先にバンドを私物化してるよな」
「おい」
隣の佑賢がすかさず低い声をあげた。至近距離で睨まれたゴンは、やけに楽しそうに笑みを浮かべている。
「え、どゆこと?」
咄嗟に逆隣の望田に助けを求めたが、ハの字眉で困ったように微笑むだけだった。決して目を合わせようとしないあたり、彼も事情を知っているようだ。
思わぬ置いてけぼりにキョトンとしていると、ゴンがガハハと笑い飛ばした。
「いーんだよ。ロックンロールはプレイする奴の数だけ意味がある。俺たちのロックが持つ意味は『私物化』ってこったろ」
四人を急かすようにBGMの音量が上がった。歓声もさらに大きくなる。
いよいよこみあげる興奮が、弾けて口から飛び出した。四人で吹き出して、笑いながら「ダセェ」と言い合う。
佑賢の私物化は少し気になったが、今はとりあえず脇においておこう。
笑顔のままで、幸助は深く息を吸い込む。
行こうぜ、Pinkerton。
いつものようにそう叫んだら、三人は笑いながらおうと応えた。
深く沈んだ円陣を解いて、脇目もふらずにステージへ駆け出す。
強い強い、光と音と熱。
拍手と歓声で空気が揺れている。
のまれそうになるのをグッとこらえて、ギターネックを掴む。
センターマイクの前に立つ。でも前は見ない。音が鳴ったらスタートだ。ステージの照明が変わり、オーディエンスが息を潜める。
ドラムが4カウントで始まりを告げたら、幸助のギターが不穏に唸る。
望田のベースが誘うように歌い出し、ゴンのギターアルペジオが高音で応える。
四人の音が寸分の狂いもなく重なった瞬間、爆発にも似たエネルギーが会場を飲み込む。
MCなしで始まったPinkertonのワンマンは、3曲をノンストップで駆け抜けた。
照明の熱と興奮で汗が吹き出す。汗で濡れた前髪が邪魔で、せっかくセットしてもらったのに頭を振って乱してしまった。
音を奏でること。歌を歌うこと。
メンバーの音を聴くこと。オーディエンスの歓声を聴くこと。
それ以外の全てに、邪魔をされたくなかった。
集中は最高精度を叩き出す。考えなくても口が動く。指が動く。
観客を煽る、そのタイミングすら完璧だ。
幸助の意思はそこにほぼ介在していない。パッションだけで正確無比なライブパフォーマンスを行い、余計な感情は一切滲まない。
一種のトランス状態に陥っていた幸助だが、目だけは自分の意思で動かすことができた。
けれど、見たいものはそんなに多くない。
セトリは記憶しているし、観客の顔は時々見られればそれでいい。
だから幸助は大体の時間、目の前に広がる大きな空間の最奥、照明の届かない闇を見ていた。
ステージに上がるとちょうど目線の少し上にある、二階席最前列。
そこにいるであろう存在に目を凝らす。どれほど睨みつけたって恋焦がれるあの愛らしい顔は見えないが、そこにいると信じて気持ちだけを飛ばし続ける。
なぁ櫂、そこにいんのか。ちゃんと聴いてるか。ちゃんと届いてるか。
照明が強すぎて二階席何にも見えねえ。でも居てくれてるよな。
なんたってお前は、Pinkerton最古参だもんな。
櫂、ちゃんと見とけよ。
俺たちは今日、ALLTERRAとのツーマンライブを超えるパフォーマンスをする。
ここにいる、正真正銘俺たちだけを見に来た連中全員、きっちり満足させる。
まずはそこからだ。櫂とALLTERRAがずっと前に駆け抜けたスタートラインを、俺たちも超えてやるんだ。
そしてもっと先へ行く。もっと上へ行く。
伝説になるだろうALLTERRAをも超えて、邦楽ロックバンドの代名詞にまでなってやる。
ALLTERRAがいなくなった来年の夏の先、その空いた椅子に座るのは俺たちだ。誰にも座らせねぇ。ヒットチャートに食らい付いて、いつまでも居座ってやる。
そうしてさ、俺たちに権力ってやつが身に付いたら、お前の追悼ライブでもやろうかと思ってんだ。
毎年、ツーマンやった七月あたりにZETTでさ。
フェスみたいにしたいな。集まったゆかりあるバンドでALLTERRAの曲カバーしてさ。
あ、もちろん俺たちは《スケイル》歌わせてもらうよ。そこは絶対誰にもゆずらねぇ。
音楽はデータで残る。
アーティストがいなくなったっていつでも聴ける。
けど、個々の想いや寂しさに委ねてしまったら、感動はすぐに風化する。
日々のあれこれに流されて、いつしかその曲を聴かなくなる。
そういうの嫌なんだよ。
強制的にALLTERRAを思い出させるイベントを起こしていきてぇ。
そんで、出来ればイヤホンなんかで一人で聴いて欲しくねぇんだよ。
生の音圧に圧倒されて、隣の奴と同じタイミングで腕上げて飛び跳ねて、皆同じ曲で泣いて笑って大声で歌って。
全員で同じ奴のことを思い浮かべながら、音楽に感情全部預けられる場所が欲しいんだよ。
寂しいとか、会いたいとか、悔しいとか、そういう苦しいもん全部をさ。
みんなで一緒に持ち寄って、音楽の中に溶かしてやる日が、きっと必要になんだよ。
お前が残していくファンが、毎年 《スケイル》聴けるようにしてやりたい。
俺たちも忘れたくないんだ。櫂の音楽を、絶対に忘れたくない。
だから、ALLTERRAの曲は俺たちが歌い続けるよ。お前らの盟友として、ALLTERRAを絶対に風化させねぇ。
そのために俺たちは上に行くから、どうか安心してほしい。
それと、安心ついでにもう一曲、聴いて欲しいんだ。
これは俺個人の話。
俺が出した答えを、伝えたい。