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61:怪獣のバラッド

一度の長いMCとアルバム収録予定の新曲披露を挟み、セットリストが中盤に差し掛かった頃、幸助は再びMCを始めた。

ステージと客席の照明がシンプルに白く、明るくなる。

ステージ上の見られたくないコード類なんかも見えてしまうが、ステージ上から会場全体もよく見えるようになった。


ありがとうございます、と一つ礼を告げてから、幸助は一度背を向けて水を飲んだ。

ここまで途切れずついてきてくれた集中力は、今、別の緊張に邪魔されて少し精度が落ちている。

むしろ今ここからもっと集中して意識を失いたい程なのにな。そんな苦笑を奥歯で噛み殺して、幸助は一度短く息を吐いた。


顔を上げたら、ドラムセット越しに佑賢ゆたかと目があった。

緊張を見透かしているのだろう。口許がうっすらと弧を描き、何か言う。


短い言葉だった。

けれど音が聴こえないから、はっきりとはわからなかった。

『大丈夫だよ』

勝手な解釈をすれば、多分こんな言葉だ。

そういうことにしておこうと、幸助は小さく笑って頷いた。


前に向き直ったら、きっとすぐ見つけてしまう。

二階席正面に座る、彼を。


見つけたら最後、目が離せなくなるだろう。

だってこんなにも、会いたかった。

今までのどの一ヶ月よりも、会いたくて会いたくて仕方なかった。

その顔を見たら、すぐにでも想いが溢れてしまいそうだ。

せめてライブの間は頑張れ、俺。そう自分を鼓舞しながら、ゆっくりとセンターマイクの前で顔を上げる。


「……次の曲、は、えーと、」


用意していた言葉は、案の定口の中で躓いた。

かいの姿は遥か彼方、頭が米粒程度のサイズに見えるほどの距離だ。


それでも、目があっているのがちゃんとわかった。

間違いなく櫂がこちらを見ているのだとわかった。

その証拠に、目があった途端櫂の肩がぴくりと跳ねた。すぐにそらされた視線。落ち着かない片手が前髪を握る。


俺は知ってるぞ。それはお前の「照れてる」の仕草だ。

そんなことを考えていたら、何を話すつもりだったか忘れてしまった。


「……俺たち今日、メジャー初ワンマンです。これもう何回も言ったけどさ、今日は本当に記念すべき日なのよ」


予定にないことを口走っていたら、気持ちが少し落ち着いてきた。

言うべきことも思い出した。緊張と不安が、観客の拍手と共に消えていく。


「そんな記念すべき日に、今から俺は、超個人的な歌を歌います」


ざわめくフロアを差し置いて、幸助は真っ直ぐに櫂を見つめた。櫂はまだこちらを見ないが、耳はちゃんと聞いているはずだ。


「さっきバンドメンバーにも謝ったんだけど、この一曲やる時間だけは、この場所と音楽を私物化します。今日ここに居る、俺の一番大事な人に届けたいもんがあってさ。あ、違うよ? お手紙朗読とかそういうんじゃねーよ? ちゃんと歌うよ、新曲」


観客が声を上げて笑い、歓声を上げた。ふわっと湧き上がる拍手が落ち着いたら、照れ笑いの幸助はフロアを見渡した。


「うん。ちゃんと歌うから、ちゃんと聞いとけよ。……なぁ、」


幸助はその先を言わないまま、大きく一歩後ろに下がった。

皆がその謎の行動に注目する中、幸助は顔を上げるなり、マイクを通さない地声で叫んだ。


「櫂!」


二階席正面。顔のサイズに合わない大きすぎる目が見開かれた。

観客が振り向いてざわついている。けど、そんなことはどうでもいい。


幸助は摘んだピックを高く掲げた。大声を出したら、なんだかとても気分が良くなった。

きっと俺たちは大丈夫だ。そんな前向きな気持ちで、突き上げた右手を振り下ろす。


はじまりのコードを鳴らして、マイクに飛びついた。

フロアの照明が落ちて、櫂の顔は見えなくなった。

だから幸助はまた最奥の闇に目をこらし、静かに告げた。


「聞いてください、《怪獣のバラッド》」


タイトルコールと共にゴンのギターが歌う。佑賢が刻む小気味良いリズム。

望田もちだのベースがメロウなメロディを奏でたら、幸助は力の限りに歌い始めた。



===========


こんな話をきいたことはあるかい

永遠を生きる怪獣と

それを愛した詩人の物語


彼は僕の最初の友達で

僕は彼の最後の恋人

だれになにを言われようと

かまうもんか 僕らは

朝に夕に 歌って笑った


時は流れ

季節は巡る

詩人は倒れ

怪獣は泣いた


もし神様なんてもんがいるなら

この願いをきいてくれ

永遠なんてくれてやるから

二人で笑える 今が欲しい

翌る日 詩人はこう言った

さぁ、今日は何を歌おうか


僕の鱗で弦を弾いて

歌う君は僕の恋人

だれにも言わないけれど

僕にとっても 最後の恋人


夏が君を

連れ去る その日まで

隣にいて

もう泣かないから


もし今、時が止まるなら

なんて願うこともしないさ

後悔なんて燃やしてやろう

二人は歌う 夏の夜に

ある朝僕は、こう言ったんだ

ねぇ、詩を書いてみた

いつまで寝てるの

起きたら聴いてよ


空に色がついたら 君を想うよ

会いたくなったら 時を超えるよ

僕が終わるその時まで

君の歌を 歌う 歌ってるから


この話を聞いてくれた

どこかのだれかへ 願うよ

体なんかくれてやるから

この歌をずっと 忘れないで

翌る日 賑わう市場には

大きな翼と鋭い牙と

愛の歌が 溢れていた


===========



最後の一音が消える前から、オーディエンスは歓声を上げ、手を叩いた。

私的な感情を込めたこの身勝手な時間も、彼らは受け入れてくれたようだ。

幸助はその反応に笑顔とありがとうを返して、すぐにエフェクターを踏んだ。

間髪入れずに次の曲へ。今の余韻をぶち壊すかのような激しいカッティングで、自分の気持ちも切り替える。


櫂の反応を見るつもりはなかった。

良かろうと悪かろうと、自分がやるべきことは変わらないからだ。

Pinkertonピンカートンはその後も立て続けに音楽を奏でた。時々休憩がてらのゆるいMCを挟んだが、演奏の熱と勢いが落ちることはなかった。


幸助の私物化した時間には一言も触れないまま、ライブは進む。

幸助は二階席が闇に紛れている間だけそこに目をこらし、それ以外は何事もなかったかのようにフロアを煽った。


約二時間、あっという間に最後の曲まで駆け抜けた。

終わってしまうのが惜しいと思う心を飲み込んで、幸助は笑顔でフロアに手を振り袖にはけた。


まだ終わりじゃない。アンコールが二曲ある。

だが、この瞬間にやっておかなければならないことがある。


喝采が手拍子に変わるのを聞きながら、幸助はマネージャーの後藤が投げるように寄越してきたスマホを受け取った。

汗を拭いながらLINEを立ち上げる。

衣装スタッフがツアーTシャツを広げて横に立っている。

よく画面も見ないまま文字を打ち、片手間に汗だくのTシャツを脱ぐ。


アンコールの拍手はいよいよ強く激しく脈打っている。

他の三人はとっくに着替えたようだ。

手伝おうか? と望田が声をかけてきたが、それに応える余裕もない。


あまりにも時間がなくて、本当に簡潔な文章になってしまった。

でもこれを送っておかなければ、本当に伝えたいことが伝わらない。

送信ボタンを押した後、画面に表示されたたった二行のメッセージに、幸助は少しだけ笑ってしまった。


夏のALLTERRAオルテラライブの後。

突然会いたいと送ってきた櫂も、きっとこんな感じでバタバタだったのだろう。


《会いたい。

俺の選択を伝えるから、前の公園でまってて》


後藤にスマホを投げ返して、幸助は急いでTシャツをくぐった。

袖を通す前にステージへと駆け出したら、先にステージに出ていたゴンに揶揄われた。


ゆるいMCで始まったアンコールも、曲が始まれば空気が変わる。

声の限りに吠えた《Howling》。

そしていつの間にか人気が出ていた《ボイジャー》で最後に大暴れして、


Pinkertonメジャー初のワンマンライブツアー初日は、幕を閉じた。



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