「聞いて、俺の答え。この一ヶ月間、ずっと考えてたんだ」
そう言って幸助が続けたのは、
『来年の夏まで何もせず死ぬ俺を見届けるか、今ここで全部終わりにして来年の夏に俺の訃報をネットで知るか』
どれほど考えても、どちらも正解ではないと思った。できることは限られているとわかっても、第三の道を探し続けた。
一人で足掻ける問題ではなかったから、早い段階から周囲に助けを求めた。櫂の真実を知っているメンバーに全て打ち明けた上で、二人の最良の未来はないかと相談した。
何人集まったって答えが出るかどうかわからない、不思議で複雑な問題だ。もちろん、かなりの時間がかかった。仕事の合間、昼も夜もなく意見を寄せ合い、「最良」とは何かを考え続けた。
その中で幸助たちは、一つだけ解決していないある疑問に気がついたのだ。
「……そもそもさ、櫂はなんでそんなループするんだと思う?」
突然の問いかけに、櫂はおずおずと顔を上げた。迷うように視線を泳がせてから、ぽつりと答える。
「それは……俺が幸助くんのことが好きで……」
「そう。俺に会うために何度もループする。で、俺と出会って、ギター教わって、その後友達になったり恋人になったり、色々な経緯を経て色々な関係になってきたわけじゃん?」
再びの疑問符に、櫂は怪訝な顔で頷いた。だからどうしたと言わんばかりの目に、幸助は笑いかけた。
「櫂はなんのためにループしてるんだろうって考えたんだ。俺に再び出会うためだったら、二回で終わるはずだ。俺と付き合うためでもなかった。メジャーデビューでもないし、ツーマンでもない。何か、櫂が心の底から求めている欲望や願いってやつがもっと他にあるのかもしれないって思った。そんで多分、わかったんだ俺」
それはごく普通の、そして当たり前の願いだった。
誰もが抱くもので、けれど達成はなかなか難しいもの。自分の努力でどうにかなるものではなく、環境や運、時間の経過、何より自分自身の定義によって達成の可否が変わってくるもの。
もしかしたら櫂自身も気づいていないかもしれないその願いを、幸助は告げた。
「……櫂は、ただ幸せになりたいんじゃないかな」
ヒントはツーマンのリハにあった。あの時櫂が言った「結婚式」という単語から、この答えを導き出した。
八坂櫂の人生の全てを、幸助はまだ全く知らない。
ただ、あの夏の夜に出会った高校生の櫂は決して満たされた子供ではなかったように思う。
才能と努力でミュージシャンとしての成功を掴んだにも関わらず、フェスのステージに雷が落ちて死ぬなんていう恐ろしく低い確率での不運に見舞われていることからも、櫂の人生は不運の連続だったのかもしれない。
その人の才能や努力や生き方に関わらず、気まぐれに味方にも敵にもなるのが運というものだ。
自分ではどうすることもできない要素。
それを恨み、悔やんでしまうのは当たり前だ。
あの時あぁしていれば。あの時これをしなければ。
どうして自分ばかりが、こんな。
死の瞬間に爆発した後悔と、人生ロクなもんじゃなかったという強い恨みが、櫂をタイムループに閉じ込めた。
そこで櫂は、自らの不運をひっくり返し続けた。敵だった運を味方につけて、ついには自ら「運命」まで形作ってしまった。
しかし、幸運への貪欲な想いは尽きることはない。もっと、もっと、と無意識に求め続けた結果、櫂はタイムループの本当の目的を忘れてしまった。
「櫂は、櫂にとっての最良の人生にまだ辿り着いてない。だから幸せになりたくて何度も繰り返す。満たされるまでループは止まらない」
櫂の表情が驚きに変わっていくのを見つめながら、幸助は勢いづいて言葉を繰り出した。
「俺の答えはここにあったんだ! 櫂が死んでくのを黙って見てるのも嫌だ、ここで櫂と絶縁するのも嫌だ。じゃあ俺はどうしたらいいかって、そんなんもう決まってるよな。これは俺にしか出来ないことだ」
握った手に力を込めた。櫂の瞳が震えている。
みるみるうちに溢れる涙が、月明かりに照らされて流れ星のように伝い落ちた。
次の曲のタイトルは《流星群》にしようかな。
そんなことを思いながら、幸助は笑った。
「今日、今、俺と生きてるお前を、残りの時間でむちゃくちゃ幸せにする。『幸せすぎて明日死んでもいいや』って言わせちゃうくらい、今回のこの人生が櫂にとっての最高の最良になるように、俺が櫂を幸せにする」
クサい事を言ってるなと、恥ずかしさで我に返りそうになるのを笑って誤魔化した。
向かい合う櫂の表情はもうぐちゃぐちゃだ。かわいい顔が見るに耐えない泣き顔に変わり、櫂はそれに気付いたのか俯いてしまった。
嗚咽で肩が弾んでいる。時折漏れる唸り声のようなものが苦しそうだ。
嬉し泣きだと思っていたけど、これもしかして違うやつ? なんて考えたら急に不安になってしまって、幸助は思わず櫂を抱き寄せた。
「お前のループを止めてやる。もう次なんてねぇぞ。やり直しなんてできなくしてやる。そのために俺は、残りの時間を全力でお前と生きる。
……あ! でも安心しろよ。俺だって負けないくらい幸せになるからさ。俺を犠牲にしてお前を幸せにしたってなんも意味ねぇし。ほら、結婚って二人で幸せになるが正解だってよく聞くだろ? いや本当に結婚するわけじゃねぇけどさ! ものの例えっていうか……あれ? 別にいいのか、例えなくても。結婚するようなもんだし合ってんじゃね?」
櫂を口説き落とすつもりで言葉を尽くしていたが、途中からなにが言いたかったかわからなくなってしまった。
幸助が勝手に混乱していく様に、耐えかねた櫂は嗚咽とは違う短い声をあげた。肩が小刻みに震えている。幸助の胸に顔を押し付けて、泣き声がくすくすと弾む。
「……結構笑うじゃん……」
「ふふ、いいから続けて」
くぐもった櫂の声は笑っていた。ひどい鼻声だった。
幸助もそれを笑って、櫂の頭をくしゃりと撫でた。
「つまり! 俺はこれからの10ヶ月間、
雑に撫でた手を止めたら、櫂がひどい鼻声のまま低く「うん」と応えた。
背中に回った櫂の両手に力が入る。しがみつくようなその手の感触に、幸助の胸も苦しくなった。
もっと早く、この答えに気付いてやれたらよかった。
その後悔はきっと、この10ヶ月間もその先もずっと消えないだろう。
でも、その後悔を口に出すことは絶対にしたくない。櫂に伝えたくない。
後悔を重ねて生きてきた櫂に、後悔はもうただの一つも要らない。
今日、今、この瞬間から、二人を否定するものは何であろうと許さない。
連なる全ての一瞬を、人生最高の瞬間として上書きしていく日々の始まりなのだから。
「……もう、ループしなくていいよ。何度も何度も生きなくていい。わけわかんないもんに巻き込まれて、もう百回も傷ついてさ、しんどかったろ。いいよもう、やめようぜ」
櫂をあやす手を止めて、幸助はそっと腕を解いた。
櫂の両手から力が抜け、二人は顔を見合わせる。
ひどい顔をしている。櫂も、きっと自分も。
「……櫂と離れたくない。死んでほしくねぇよ。でもそれを止めるために何かして、そのせいでお前がまたループするのは違う。お前が、俺の知らない人生の中でまた何度も傷つくのは、死ぬより嫌だよ」
瞬きで涙を払って、幸助は笑った。
頭の中にはもうずっと、《怪獣のバラッド》が鳴り響いている。
もし神様なんてもんがいるなら
この願いをきいてくれ
永遠なんてくれてやるから
二人で笑える 今が欲しい
先のことは考えない。
未来は誰にもわからない。
短命な人間と、永遠を生きる怪獣は、
ただ、今を生きる。
笑って、歌って、今を生きる。
「今度はちゃんと言わせて。
ずっと、ずっと、ずっとずっとずっとずっとずっと、ずっと、好きでした。
俺と付き合ってください。一緒に幸せに、なってください」
櫂は声をあげて泣いた。子供のように泣いた。
130回分の涙を流して泣き続けたあと、
長いことかかってやっと聞こえた櫂の返事は、
歌うような「だいすき」だった。