目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

エピローグ

八月。苗場。グリーンステージ。


夏の風物詩、大型野外音楽フェスの二日目は清々しい晴れ間に恵まれ、朝から強烈な日差しが一帯を焼いていた。

人々は帽子やタオル、ハンディファンで暑さをしのぐ。口元を覆うマスクは肌に張り付いて不快だが、感染対策の一貫として装着は参加者の義務だ。


顔に熱がこもって熱中症になりやすいからと、水分補給用の屋台が至るところに目についた。

ミネラルウォーターは無料で配布され、簡易テントが日陰を作り、冷気の吹き出すマシンの周りには人々が入れ替わり立ち替わり涼みにやって来る。


2022年。

過去2回の中止を経てやっと開催された夏フェスは、今までみたことのない景色が広がっていた。

たくさんの不自由。たくさんの我慢。

でもそれを超えて飲み込んでも尚ここに来たいと思った観客たちの熱意は、以前よりもずっと強く、激しかった。


一日目、Pinkertonピンカートンのステージではそれを肌で感じることができた。

憧れのシャイフェス、グリーンステージに立って歌う。

叶えた夢の景色はマスクありだったけれど、声を出せない観客たちは全身でリズムを取り、手を上げ、打ち鳴らして応えてくれた。

最高の景色だった。また一つ夢の扉を開けて、幸助は胸を張って突き抜ける青空を見上げた。

呼びたい名前があったけれど、それは二日目にとっておくことにした。

歌いたい歌も、届けたい想いも翌日に残して、幸助はPinkertonとしてのパフォーマンスをやり遂げた。


「ピン助さん、向井さん、お願いします」


スタッフに名前を呼ばれ、パイプ椅子から立ち上がる。

大地と目があって、無言で頷き合った。


昨日ぶりのステージへ上がる。

時刻は午後四時半を過ぎて、空の色に少しだけオレンジが混じり始めた。

大きな拍手の中で、幸助はアコギを片手にセンターマイクの前に立った。

佑賢ゆたかもゴンも望田もちだもいない。後ろのドラムセットには大地が座る。

不思議な組み合わせのステージを見上げる観客たちは、ALLTERRAオルテラのタオルで目元を拭う。


「皆さん、こんにちは!」


Pinkertonの時には絶対やらない挨拶をしてみた。

拍手が一層大きくなって、言葉を返してくれているようだ。

こちらを見上げる観客たちの表情を一つ一つ見つめながら、幸助は少し強ばった表情で続けた。


「……俺が言うのも何なんですが、あえて言わせてください」


心臓がちぎれそうなほど高鳴っている。

今すぐに名前を呼びたい、その衝動を飲み込んで、幸助は声を張り上げた。


「ようこそ、ALLTERRAの世界へ!」


それは、ALLTERRAがライブの時に必ず言う挨拶だった。

3年前を最後に誰も言わなくなった、始まりの合図。

世界でただ一人、この挨拶を口にしてきたALLTERRAのボーカル・八坂櫂やさかかいは、もうこの世にいない。



***



3年前も、幸助はこのステージに立った。

櫂が死んだその日は、シャイフェス2日目、ALLTERRAの出演日だった。


櫂の訃報を受けて主催側は朝からバタバタと対応に追われていたが、ALLTERRA出演中止の報に待ったをかけたのは幸助だった。

きっとまだ漂っているだろう櫂の魂に、一曲だけ届けたかった。

櫂急逝の報も、一曲やる間だけ待ってくれと幸助がALLTERRAサイドに頼み込んだ。

大地もこの申し出を一つ返事で了承してくれた。

櫂に届けるためならばと、ALLTERRAの最後のステージを幸助に託してくれた。


タイムテーブルはALLTERRAの時間を指していたが、ステージに幸助が上がると観客からどよめきが湧いた。この時はまだ誰も、櫂に起こった事を知らなかった。

櫂はどうしたのか、と心配そうな観客をよそに、幸助はMCもなくギターを鳴らした。

大地がドラムでついてきてくれる。説明のないステージに観客は困惑し、いつものような手拍子はない。


たちこめる動揺を押し返すような大声で歌ったのは、《スケイル》。

櫂に託された大切な歌。

櫂と自分が出会った証。

櫂が生きた証を、幸助は櫂が旅立った空に届けたかった。


泣かないつもりだったのに、涙が溢れた。

鼻水が垂れても歌うことはやめなかった。

観客の動揺が困惑に変わる。櫂に何かあった、と察した者も多かったらしい。

幸助は泣きながら《スケイル》を歌いきって、何も言わずにステージを降りた。


その直後に、八坂櫂の訃報が発表された。



***



3年前のあのステージでは、心の準備もないまま、ただ櫂を送るための歌を歌った。

だが今年は違う。2回のフェス中止を経て、心の準備もMCもばっちりだ。


「えー、今日は、皆と一緒に櫂のことを思い出したくてこのスペシャルステージを企画しました。本当は一昨年も去年もここでやりたかったんだけど、情勢的に難しくて。奇しくも初開催が、櫂の三回忌の日になってしまいました」


今日、幸助は八坂櫂追悼ステージに立っている。

Pinkertonとしてではなく、ALLTERRAと八坂櫂を愛する者の代表として、大地と共にステージに立っている。


「まず最初に、この企画を受け入れてくれて、この場所と時間を用意してくださったシャイフェススタッフの皆さんに心からの感謝を。それから、今日ここに来られない人たちのためにと、無料のオンライン中継を提案してくれたスペミュスタッフの皆さんにも、本当にありがとうございます」


一度深く頭を下げてから、幸助はやっと表情を緩めた。

大きな大きな拍手が、幸助とこの時間を暖かく迎えてくれていた。それが伝わって、少しだけ肩の力が抜けた気がした。


「そして何より今この瞬間、八坂櫂を想ってくれている全ての人へ。今日は一緒に櫂のことを思い出して、櫂の歌を歌ってください。

そんで、ALLTERRAっていう最高のバンドが居たことに、その音楽が持つエネルギーに、歌詞の意味ひとつひとつに、改めて気付いてもらえたらいいなって思います」


自分の言葉を噛み締めてから、幸助はピックを握った。

ずっと櫂の胸にぶら下がっていたピックだ。

高校以来久しぶりに指の中に戻ってきたそれを、大切につまんで、弦を弾く。


櫂の声じゃなければ、ALLTERRAのステージとは言えない。

それはわかっている。自分の歌声じゃALLTERRAにはならないこともわかっている。

それでも幸助は歌い続けた。

櫂が作った歌を、櫂が書いた詞を、櫂のメロディに載せて、綺麗な色の空に放った。


これは櫂の願いだ。

いつまでもこの歌を歌い続けること。ALLTERRAを風化させないこと。

八坂櫂という人間が存在した証を、ずっとずっと、響かせ続けること。


ファンもそれを理解してくれているのだろう。幸助の歌を聞き入りながら思い思いのリズムで揺れ、手を上げ、音の中を泳いでいるようだった。

誰もが同じ人を想いながら、記憶の中にある同じ歌声を聴きながら過ごす、優しい時間。


彼らに真実を語らないのは、不誠実かもしれないと思うこともある。

公式の発表では、櫂は突然死したということになっている。よくある「くも膜下出血」とかその類の病名がついていたが、真実は違う。


櫂は眠るように息を引き取った。

幸助のすぐ隣で、同じベッドの中で、「また明日ね」を言い合って目を閉じて、手を繋いだまま亡くなった。


苦しまなかっただろうというのは、櫂の表情からもよくわかった。

本当に寝ているようで、おはようと声をかけてしまったほどだった。

シャイフェス2日目の朝のことだった。

櫂は、ループの終わりであるALLTERRAのステージを待たずに、逝ってしまった。


【ある朝僕は、こう言ったんだ

ねぇ、詩を書いてみた

いつまで寝てるの

起きたら聴いてよ】


《怪獣のバラッド》の歌詞のようだなと、幸助は歌いながら思った。

もしかしたら櫂は、狙ってそうしたのかもしれない。《怪獣のバラッド》を気に入っていたから、一番幸せな死に方として、歌になぞらえたのかもしれない。


なら俺だって、と幸助は顔を上げた。

見上げた先に広がるのは、夕焼け空と言うにはオレンジが足りないし、薄紫と言い切るにはまだ水色が強い気がする、綺麗な綺麗な【君と見た空の色】だ。


【空に色がついたら 君を想うよ

会いたくなったら 時を超えるよ

僕が終わるその時まで

君の歌を 歌う 歌ってるから】


空にはいつだって色がある。

だから俺はいつだって、櫂を想ってるよ。

そういう意味を込めて作った歌詞だって、気付いてたか?


なぁ、櫂。

俺は今日も歌ってるよ。

櫂と一緒に作った歌詞に、想いを載せて歌ってるよ。

怪獣の鱗でギターを鳴らして、声の限りに歌ってるよ。


音楽を鳴らし続ける限り、俺はお前を想い続けるよ。

それが俺の幸せだから。


「……最後に、ALLTERRAのラストライブになってしまった3年前の7月、幕張のアンコールで櫂が言った言葉とこの曲で、この時間を終わりたいと思います」


5曲という短いセットリストを終えて、幸助は観客をぐるりと見渡した。

マスクでは隠しきれない泣き顔ばかりが目についた。その綺麗な涙ひとつひとつに感謝を込めて、幸助は静かに息を吸った。


「……まだまだ続く旅のどこかで、また会いましょう!」


俺たちはさよならを言わない約束だから。


右手を上げて、高らかに歌おう。



「《スケイル》!」





この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?