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第21話 ロイスナーの冬 1

 ロイスナーへ移動してきて初めての冬がやってこようとしていた。シュレンタットよりも北にあり、領地のすぐ横に高い山脈を抱えるロイスナーの冬は早く、そして厳しい。

 ただ、日一日と寒さが増す気候よりも、リーゼロッテの心を凍えさせているものがある。

 それがベルンハルトの態度だ。


「ヘルムートさん、わたくし、どうしたらいいのかしら」


 相談相手は移動した初日以来、常に庭師のヘルムートではあるが、これといった解決策もないまま日々が過ぎていく。


「今日は、どうされました?」


「ベルンハルト様が食事を一緒に取りたがらないのは、もう諦めましたの。だからね、せめてお茶だけでもいかがですか? ってお誘いしたのよ」


 リーゼロッテは庭に置かれた椅子に腰をかけ、テーブルに肘までついて不満を口にする。


「その様子では、断られたと」


「そう!」


「まぁ、今の時分は少々忙しすぎるのかもしれませんね。一分一秒でも惜しい、といったところでしょうか」


「それは、冬だから?」


「要因の一端ではあるでしょうね」


 そう言いながらヘルムートがいつものようにお茶を淹れてくれる。

 ヘルムートの淹れるお茶は温度も苦味も完璧で、寒くなってきた頃から、最初の頃よりも少し温度の高いものに変わっていっているのがわかる。

 熱いぐらいのカップを両手で包み込み、冷ましながら少しずつ口にしていくのが、リーゼロッテの今の癒しの時間だ。


「冬はそんなに大変なの?」


「ロイスナーは周りの道が雪で通れなくなります。そのため人の行き交いがなくなり、物流が止まります。領内にあるものだけで冬を越さなければならないのです」


「食糧を増やしておかなければならないということ?」


「そうです。それに、領内に全域に万遍なく食糧が行き渡るようにしなければなりません」


「その調整が大変ということね」


「それに……」


「それに?」


「いえ、それはまた今度に致しましょう。お茶もなくなってしまったようですし、体が冷えます。もうお部屋にお入りください」


 ヘルムートがそう言って空を見上げれば、今にも何か降り出しそうな、湿気をたっぷり含んだ雲が一面に広がっていた。



 ヘルムートに部屋に追い戻されたリーゼロッテはいつものようにソファでくつろぐ。考えごとをしたいときの指定席だ。

 そして、ヘルムートから聞いた話を反芻する。


 ロイスナーの冬がそれほど大変だとは思いもよらなかった。

 移動して間もなく二ヶ月が経とうとしている。それでも未だにリーゼロッテはお客さま扱いで、ベルンハルトが毎日何をしているかも満足にわかっていない。

 ベルンハルトの身の回りのことは、アルベルトが全て仕切っていて、手を出す隙もない。


 ベルンハルトに食事の同席を断られたのは移動してきたその日の夕食のことだ。

 今でもその記憶はありありと思い出すことができ、その度にリーゼロッテの心を冷やしていくのだが。



「奥様。どうぞ、お召し上がり下さい」


 あの日リーゼロッテの前に運ばれてきたのは温かそうなコーンスープ。

 広々とした食堂のテーブルには一人前のスープ。着席したのはベルンハルトとリーゼロッテの二人。

その一人前のスープが、リーゼロッテの目の前にある。

 その不可思議な光景に、リーゼロッテは首をかしげた。


「ベルンハルト様は? お召し上がりにならないのですか?」


 リーゼロッテのその声に、給仕をしていたアルベルトが固まる。

 そして、一時の沈黙が訪れ、それを打ち破るようにベルンハルトが言葉を発した。


「私は、後でいただきます。今はリーゼロッテ様だけで、お召し上がり下さい」


「……え? ど、どうしてですか? 一緒に召し上がったら良いじゃないですか」


「私はこれのせいで食事をしづらいものですから。後ほど、自室で食べます」


 そう言って、自分の顔につけられた仮面を指先で叩く。


「それならば、外したらいかがですか?」


 リーゼロッテの口をついて出たのは、至極当たり前の疑問。

 このやり取りをすれば、誰もが同じ疑問を口にするだろう。


「それはできません」


 その当然の疑問を、ベルンハルトは一言であしらった。


「どうしてですか?」


「この下には、人に見せるようなものではないものが隠されています。そんなものを見ながら食事など、不快にしかさせません」


「わたくし、平気ですよ」


 リーゼロッテがそう言うものの、ベルンハルトの表情はびくともしない。

 その後は何を言っても取り付く島もなく、そのうちに「食事が進まないようですので」そう言って出て行ってしまった。


 リーゼロッテとの結婚を承諾して、忌避することもなく話をしてくれるベルンハルトは、少しでも自分に好意を持ってくれているのではないかと、そう思っていたリーゼロッテは一気に谷底へ突き落とされた気がした。


 その日の食事は何の味もしなかった。


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