「あれは!」
ふと庭からの視線を感じたベルンハルトは、執務室から庭を見下ろし、つい声をあげた。そこには、ローゼロッテとヘルムートが談笑しているのが見える。
今の視線はヘルムートの仕業だろうか。
今すぐにでも庭に飛び出して行きたい衝動を抑えながら、再び机の上に積み上げられた書類に目を通す。
だが、一向に頭に入らない。サインをすれば良いだけのものは次々に処理が済んでいく。
しかし、領地経営に関わる重要事項に関して、何も考えないわけにはいかないだろう。
文字ばかりが並んだ書類を睨みつけながら、頭の中に浮かび上がるのはリーゼロッテと親しげに話すヘルムートの姿。
「アルベルト!」
余計な想像ばかりが大きく膨らんで、我慢ができなくなったベルンハルトがアルベルトを呼びつけるまで、大した時間もかからなかった。
「はい。いかがいたしました?」
「リ、リーゼロッテ王女はちゃんと部屋に案内したのだろうな?」
「はい。家具の交換も配置換えも必要ないと仰っていただき、侍女の件もお詫び申し上げておきました」
「そ、そうか」
「奥様が、いかがされました?」
「いや……」
ベルンハルトの視線が窓の外に向けられたこと気づいたアルベルトが、窓の外を見れば、リーゼロッテとヘルムートが仲良くお茶を飲んでいるではないか。
「あぁ。奥様はお庭に出られたのですね。おみえになった時から関心を寄せていらっしゃいましたから、楽しそうで何よりです」
「ヘルムートだぞ? よりにもよって」
「酷い言いぐさですね。一応私の実の父なのですが」
「……すまん。だが、私はどうにも苦手で」
「存じ上げております。苦手な理由まで知っていますから」
「それならば」
「苦手な理由はベルンハルト様の個人的なものです。それに、御者として王城にまで迎えに行かせたではありませんか。それであの父が距離を詰めないはずがないでしょう」
「いや、あの時はヘルムートしか手のあいている者がおらず、仕方なくだな」
そう言うとベルンハルトは、頭を抱えて机に突っ伏してしまった。
「そこまで言うのであれば、庭に降りていかれたらいかがですか? お花、お好きなのでしょう?」
アルベルトの発言を聞いて、ベルンハルトが顔を上げれば、ニヤニヤと嫌な笑いを浮かべるアルベルトの顔が目に入る。
「なぜ、そのようなこと……」
「奥様からお聞きしました。王城の温室に行かれたのですか?」
「そこまで、知っているのか」
「ベルンハルト様に花を愛でる趣味があるなど、初めて知りました。今度この部屋にも飾りましょう」
「やめてくれ」
「なぜです? 綺麗だと思いますよ」
「このような顔で花など、似合うわけもないだろう。それにヘルムートに知られれば、国中の笑いの種になる」
「似合わないなどと思いませんし、そんなことを言いふらすとも思えませんが」
「あいつは、私をからかうことに全力を尽くすだろう。隙を見せるわけにはいかぬ」
「父はどうしてそこまで信用がなくなってしまったのでしょうか……まぁ、自業自得でしょうけど」
アルベルトがもう一度庭に目をやれば、リーゼロッテの後姿を見ながら、呆然と立ち尽くすヘルムートの姿が見える。
「それにしても、不思議な奥様ですね」
「ん? どういうことだ?」
「父があのように立ち尽くしている姿というのは、珍しいと思いますよ」
アルベルトの声に誘われるようにベルンハルトが窓の外を覗いた。
そこには、アルベルトが珍しいと言ったヘルムートの姿がある。
「確かに」
「ベルンハルト様。初めて聞いた時はどうなることかと思いましたが、良い縁組になるかもしれませんね」
「ふっ。彼女は素敵な女性だからな」
「おや? 奥様のことを以前より知っていたのですか?」
「ん? いや。婚約披露や結婚式があったからな。何度か話すうちにそう思っただけだ」
「そうでございますか」
「あぁ」
そう答えたベルンハルトの顔は、あの隙のない笑顔だ。
その顔を見たアルベルトは、諦めのため息を吐く。こうなったベルンハルトから本音を聞くことは、限りなく不可能に近い。