「はーい、先生が気絶しかけて厳島君に支えられて教室が阿鼻叫喚となって、そこから静かになるまで3分かかりました。皆さん、厳島君がこのクラスに馴染めるようにちゃーーーーーーーーーーーーーーんと協力してくださいね」
藤崎の圧ある言葉に先程まではお祭り騒ぎだった教室が、どこかの美術館かのように静まり返り、一刀は思わず唾を静かに飲み込み、周りを見渡す。
(ほ、本当に女子ばっかりなんだな……!)
上京してくる時も、確かに女性が多いとは思っていたし、チラチラ見られている気はしていた。だが、まあそういうこともあるだろうと一刀は考えていた。ここが女性の多い車両なのだろう。お洒落な駅だから女性が多いのだろう。そして、自分がいなかもんだからチラチラと見られているのだろう、と。
だから、一刀は東京駅についてからは田舎者に見られないようにキョロキョロせず、一目散に叔母から指定された場所へと早歩きで向かった。
その後は、叔母が全て送り迎えしてくれたし、叔母の家に慣れるまでは外に出ない方がいいと言われていたので、ここにきて漸く一刀は学園関係者達の一刀に対する態度に納得し始めていた。
2000年に起きたダンジョン大発生による男性のみが死亡する流行り病と男子の出生率低下によって男女比が1:99になっていて、男子生徒の入学は特別な事なのだと。
一刀の村には10代の男の子は一刀だけ。
いや、老人たち以外は一刀しかいなかった。一刀は幼い頃から祖母に面倒を見てもらっており、勉強や武道、その他諸々の技術も村の老人達に教えてもらっていた。
その上、老人たちは一刀からすれば……。
(ばあちゃん以外ほとんどじいちゃんかばあちゃんか見分けつかんかったからな……! 老若比99:1みたいなもんやったけん)
そんな環境を当たり前にして過ごしてきた一刀にとって、教室という閉ざされた空間に同じ年の女の子ばかりが数十人集まっているという事実がやっと一刀の中での『男女比1:99の世界』を実感させるものとなった。そして、急に襲ってくる緊張に身体の強張りを感じる一刀。
(駄目だ! かっこ悪い所は見せられん! オレはここに嫁に来てくれる子を探しにいきたんやけん! 一日目から呆れられるわけにはいかん!)
静まり返った教室でダンジョンに入る時にするルーティーンと同じように出来るだけ細く、それでいて、一定に、自称剣術小町ばあちゃんが教えてくれた糸の深呼吸で心身を一瞬で整え、顔を上げると一刀なりの精一杯の笑顔を向けた。
「皆さん、田舎者で迷惑をかけると思いますけど、どうか仲良くしてください」
瞬間、凡そ半分の女子生徒が一気に俯いた。
その異常な光景に一刀は全身から汗が噴き出るのを感じる。
(なんかミスったあ!? え!? 都会はわからん! オレの笑顔をそんなに気持ち悪かったか!?)
中には「う……! おなかが……」と小さなうめき声を上げる女子もいて……一刀は自分がどれだけ気持ち悪がられているのかとショックを受け、呆然としていた。
一方、隣にいた藤崎も全身から汗を噴き出し笑顔を固まらせていた。
(厳島く~ん! 駄目だよ! そんな笑顔をこの女獣達に向けちゃあ!)
そう、顔を俯かせた5割の女子は一刀の笑顔に『やられて』いた。照れている生徒がほとんどだが、中には興奮が抑えきれず口を必死に塞ぐ者、机に涎を溢す者、鼻血を慌ててティッシュで止めようとする者、滂沱の涙を流し始めた者もいた。
(うめき声を上げたのは万々宮真理愛さんかしら……想像力逞しい子だから想像妊娠をし始めた可能性もあるわね。あとできっちり聞いておかないと)
固まった笑顔のまま藤崎は顔を俯かせなかった者を見回すが、その子達も爽やかな男の子の笑顔を目に焼きつけようとガン見する女子や信じられないものを見る表情で固まってしまっている女子もいる。他にも、男嫌いの生徒も勿論いるのだけど、総じて一刀から見ればあまり印象よく捉えられていないように見えておかしくない光景であった。
顔を引きつらせる一刀に藤崎は更に汗を流し始める。
(転校初日に彼が学校嫌いになって来なくなったらあたしはもう終わりよ!)
「いいいいいいいいいいいいいいつくしまくん、みみみみみみんな、男子にななななれていないからねねねねねねね、だだだだだいじょうぶよ」
「せ、先生……先生こそ、大丈夫ですか? その汗かきすぎて滝行後みたいな状態ですけど」
滝行だったらどんなにいいかと藤崎は思った。むしろ滝行に入って心を鍛えたいと、そう言えば東京にも滝行出来るところがあったな、確か九頭竜ダンジョンの近くに……などと考えているとふいに一刀の視線が自分の胸元に向いている事に気づく。
その視線を追うように自分の身体を見てみると本当に滝行に打たれたようにびっしょりになった藤崎のワイシャツが透けて下着が見えてしまっていた。
(ぎゃああああああああああ! あまりに今日の対応のことで頭いっぱいで超ダサい下着を! いやそうじゃない! 見、見せてしまったあああああ! これじゃあ痴女扱いされても仕方ない!)
現代社会では男性用車両も出来、男性用トイレには様々な覗き対策がとられているし、男性が襲われるという事件も東京では起きるくらい昔とは貞操観念が違ってしまっている。そんな中で下着を見せた女など危険人物に他ならない。
慌てて胸元を隠し一刀を見ると耳どころか顔や首を真っ赤にさせ照れている一刀がホワイトボードを見つめていた。
「うっわ、かわえっろ」
「え?」
「え?」
思わず純粋な心情を溢した藤崎。それを聞き返す一刀、に聞き返す藤崎。
「え、え、えっとおお! ごめんね、変なものを見せちゃって!」
「いえ、全然変ではないです! そのありがとうございます、じゃなくて、なんでしょうか! 気を付けます!」
そう言って深々と頭を下げる一刀に藤崎はただただ茫然としていた。
(えーーーーーー? こんなにいい子が今時男の子でいるの? しかも、今の子って本当に好みにうるさくてストライクゾーン激せまなはずなのに、30のわたしがいけちゃう男子高校生がいるとか奇跡かいやもうこうなったら教師人生なんてもうええでしょう先生この子とけっこんすりゅー)
「藤崎先生、厳島君がずっと立ちっぱなしで可哀そうですのでそろそろ席についてもらっては?」
あまりの一刀のいい子っぷりに暴走し始めていた藤崎を現実に引き戻したのは落ち着き払った低く染み渡るような声。声の主は、美しく艶やかな黒髪をまとめたポニーテールの横で真っ直ぐに手を挙げ微笑んでいた。
「は! じゅ……! そ、そのとおりね。流石、神原さん」
慌てて垂れかけていた涎を吸い上げた藤崎は心の中で神原に感謝する。そして、彼女が守ってくれるのであればきっと大丈夫であろうと確信し小さく頷く。
「厳島君、君の席は申し訳ないけどみんなが慣れるまであの一番奥の、今手を挙げてくれた神原さんの横でお願いします。神原さんは学級委員で『ごじょし』も引き受けてくれたからなんでも聞いてね。前と斜め前の席の二人でも勿論いいからね。とにかく、何か感じたら、特に身の危険とかを感じたらすぐに相談してね、ね?」
「は、はい」
ぐいぐいと迫る藤崎がまだ汗びっしょりで服が透けている為近づいてこられるのに照れる一刀の救いの鐘の音がなりショートホームルームが終わる。
「あ、厳島くんの簡単な紹介でなっちゃったわね。ちょっと駆け足で伝える事だけさっさと伝えるわね。厳島君は席に」
藤崎に促され、慌てて席に向かう一刀。転校したばかりの彼には関係ない話であったのだろう最近の不審者の話やダンジョンへの注意喚起などが背中越しに聞こえるのだがそれ以上に刺さる視線が痛い。先ほどの半分俯き事件のせいで一刀は自分があまりにも歓迎されていないと感じ、出来るだけぺこぺこと笑顔で頭を下げながら席へと向かうのだがほとんど誰とも目が合わない、否、合わせてくれない。勿論、女子たちは照れているのがほとんどだが一刀は気づかない。
(ばあちゃん、オレには嫁探しは無理かもしれん! どうしよう!)
そんな勘違いで落ち込む一刀だったが、自分の席の周りにいる女子たち3人だけは空気が違っていた。一刀をしっかり見ているし、挨拶もそれぞれ返してくれた。
「厳島さん、よろしくお願いしますね」
「よろしく」
「厳島君、なんでも困ったら私達3人を頼って下さい」
先ほどからずっと微笑みを絶やしておらず、丁寧に一刀に接してくれる神原に一刀は手を合わせた。
「ありがとう、えっと、神原さん」
「……え? あ、はい、そうです。私は神原環奈。この2年9組の学級委員で、暫くはあなたの護女子ですから」
「ごじょし?」
田舎では聞いたこともない言葉に一刀が首を傾げると環奈は上品に口元を隠しくすりと笑い、一刀を席に座るよう促し、机からパンフレットのようなものを取り差し出しながら小声で説明してくれた。
「【護女子】は、学園からお願いをされてクラスの男子を守るお仕事を引き受けた女子生徒達のことです」
女子に守られる男子。それだけで一刀の知っている男女観とかけ離れており、自分が嫁探しの為にばあちゃんから与えられた作戦が通用しないのではないかと一刀は心の中で頭を抱えたのだった。
(ばあちゃん! 都会では男は女に守られる者らしいぞ! オレの女子を守ってかっこいいところを見せてモテモテ作戦がもう失敗しそう!)
一刀がそんなことを考え茫然としているとは分からず、いつまでも護女子を含めた説明の書かれた生徒会作成のパンフレットを受け取らない様子に環奈は困ったように微笑んでいた。