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第4話 準備を待つ男と準備する女達

 ダンジョン研修において、一刀に落ち度はなかった。いや、なさすぎたのが今回の騒ぎの原因とも言えた。


「ご、ごめんね。オレのせいでみんな着替え遅れて走る羽目になって……!」

「いえ……厳島くんのせいじゃないから。その、気にしないで。ねえ?」

「え、ええ……もちろんですわ」

「そ、そうそう。絶対に気にしないで」


 息を少しだけ切らせながらも一刀を囲んで研修用ダンジョンに走っていく3人に一刀は心から感謝しながら、ペースを合わせる。だが、周りの3人の胸中にあるのは謝罪の気持ち。


(うぅうう、ごめんね。一刀くん。3人とも急にすごく意識し始めて身だしなみに時間かけちゃって……!)


 環奈がちらりと校舎の窓に写った自分を見ながら走っているせいで乱れている前髪を直すと、後ろからついてくる一刀の姿を見て、きゅっと小さな口を結ぶ。

 一刀の着替えが終わり、教室に戻ると女子全員が入念に身だしなみチェックやメイク直しをギリギリまでしており、初めて見る光景に環奈は唖然とした。

 元々環奈は小中と男子と同じクラスになったことがない。男子にあったことはあるが、その時の男子に対して特に何の感情も持つことなかったのでクラスの異常事態を見て、改めて『男子が来た』ことの認識を変えた。


 そして、急に焦りを感じはじめた自分に驚く。だが、何が原因かはすぐに気付く。環奈の本能が危機を感じてしまったのだ。時間いっぱいを使って、男子へのアピール準備を整えた彼女たちに比べ、一刀の着替えを待ち教室を往復した自分たちに与えられた準備時間が少なすぎると。他の2人もそれに気づいたのかそわそわしている。

 けれど、それを一刀に気取られるわけにはいかない。その瞬間がっつくはしたない女子と思われかねない。環奈は、一刀に気づかれないよう深呼吸をし、笑顔で振り返る。


「じゃあ、交代で着替えてこよう。厳島くん、こういう時は、護女子補佐の剣崎さんが入るから安心してね。じゃ、二人先にどうぞ。あ、剣崎さんに声をかけといてね」


 若干の申し訳なさを見せながらも九十九里達も慌てて教室に髪を整えながら入っていく。そして、代わりにやってきた剣崎も朝よりも気合の入ったメイクになっているのが、普段化粧をほとんどしない環奈でも分かるほどだった。


「えへへ、厳島くん。さっきは挨拶できなかったから初めましてですね。護女子補佐の剣崎景です。3人のフォローとかが仕事だから遠慮なくわたしにも声をかけて。よろしくね」

「あ、よろしく」

「……!! えへへ、よろしくぅ」

「!!!!!」


 一刀が世間知らずという事をいち早く理解した剣崎は自己紹介をしながら一刀に手を差し出した。そして、一刀は今までの女子の対応とは違いフレンドリーな様子を見せる剣崎に対しほっとした笑顔を見せ、握手に応じた。

 それを見てびくりと肩を震わせたのは環奈。

 男女比1:99の世界で男性が丁重に保護されている時代とはいえ、握手をしてはいけないというルールはない。ましてや、男子を守る生徒として自己紹介をした上で信頼関係を確かめるための握手であれば、男子が応じる応じないの自由はあれど手を差し出すのはマナー違反ではない。男子が学外で見知らぬ人に手を差し出されたら気をつけろという教えはあるがここではその例にあてはまらない。

 それゆえに、その機会を逃したことに、環奈は自らの失敗を悔やんだ。一度しっかり挨拶をした環奈に挨拶の握手のチャンスは訪れることは無いだろう。


(迂闊だったわ。それにしても……剣崎さんは九十九里さんと同じ3年の中馬先輩に猛アタックしてると聞いたけど、こんな猫なで声を中馬先輩の前でも聞かせているのかしら)


 剣崎は成績優秀ではあるが、多少性格がキツ目だと環奈は思っていた。そんな剣崎が目をとろんとさせて甘えるような声で一刀の手を握ったまま話しかけている。


「って、いつまで手を握ってるの? 剣崎さん」

「あ……ご、ごめんね。わたしみたいなのがずっと握ってていやだったよね?」

「い、いや、その、いやではなかったよ」


(く……なんてうまいやり方。その言い方で一刀君ならいやだったって言うはずないでしょ……!)


 その後も、剣崎は一刀に対し質問責めし、環奈が注意するの繰り返し。たっぷり時間を使い、しっかりと身だしなみを整えた九十九里達がかえってくるまでそのやりとりを続けてしまう。


「あ、みんな準備ばっちりみたいね。厳島君ごめんね神崎さんに怒られるくらい色々聞いちゃって。じゃあ、わたしは先にダンジョン行ってるから、厳島君またあとでね」


 ぺろと舌を出してかわいらしく見えるよう謝る剣崎を見送り、九十九里達と交代した神崎は一人肩を落とす。準備をする為に入ろうとしている教室は流石にもうみんなダンジョンへ向かってしまい、しーんとしている。それがまた神崎の悲しみを引き立たせる。


(ああ……絶対に一刀君に口うるさい女だと思われたに違いない……)


 教室のドアを閉めようとしたその時だった。ふいにドアを持っていた手を掴まれる。今までにない感触に神崎はびくっと背すじを伸ばす。骨ばった、女性とは違う手。それだけで想像がつき慌てて振り返ると、予想通りの男子生徒、一刀が手を掴んでいた。


「え、え、え?」

「あ、あの……」


 一刀は視線を少しばかり宙に浮かせ逡巡したあと、じっと環奈の目を見て近づき、耳元に口を寄せ、囁く。


「あの、剣崎さん押しが強くて、どうしたらいいか分からなかったから、神崎さんが助け舟出してくれて助かった。ありがとう」


 その瞬間、混乱防止用のマジックアイテムと神崎のキャパを越えた。

 そして、頭が真っ白のまま、ダンジョン用服装に着替え、ハッと意識を取り戻した時には、とてつもなく丁寧にポニーテールを結び直している自分に気づいた環奈だった。


 そんなやりとりがあり、ギリギリでやってきた一刀たちを待ち構えていたのは、腕組をしたダンジョン担当教官だった。


「おい。早速男子を走らせるとは護女子としてはどうなんだ? まあ、先に来た連中の様子を見れば、何があったかは想像がつくが……何事もいつ戦いになるかわからんからなあ、準備は迅速な方が嫌われないと思うぞ?」


 意味深な教官の言い方に一刀だけは首を傾げ、他の生徒たちは各々なりにその言葉を受け止めていた。


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