私の取材に応じてくれた太田智久さん(仮名 30代男性)の体験談をご紹介させていただきます。
数年前の夏が終わりかけた頃、太田さんの父親が亡くなりました。
長年の闘病の末、病院のベッドの上で、静かに息を引き取ったそうです。
(ようやく楽になれたんだろうな)
太田さんはそう思いながらも、胸の奥に言いようのない空洞が出来たような感覚を覚えていました。
父とは、ずっと折り合いが悪かった。若い頃は口喧嘩も絶えなかったし、病で倒れるまで素直な会話は出来ませんでした。
それでも、夏休みに連れて行ってくれた川釣りや、近所の公園で行ったキャッチボールなど、子供の頃の父との楽しかった思い出が脳裏に浮かび、溢れてくる涙を必死にこらえていたそうです。
訃報を聞きつけて真っ先に自宅に駆けつけてきたのは、太田さんの叔父、つまり父の実弟でした。
※以下、次郎さん(仮名60代)と記載します。
玄関先で顔を合わせた彼の姿に、太田さんは思わず我が目を疑ったそうです。
(カメラ?鳥撮るのが趣味ってのは聞いてたけど、今、それいるか?)
次郎さんは、黒い一眼レフカメラを首から提げていました。
レンズフードまできっちり装着された本格的な物で、明らかに〝撮影する気満々〟の出立ちだったそうです。
「おお。兄貴、逝ったんだってな」
兄の死を悲しむ言葉でしたが、そのトーンはどこか軽く、まるで他人事のように聞こえました。
手でカメラをそっと支えるその仕草には、妙な落ち着きと手慣れた動作がありました。
太田さんには兄の死を悼むというより、どこかで〝記録〟を意識しているように見えたそうです。
「兄貴の遺体は、どこにあるんだ?」
「こっちです。叔父さん」
太田さんは、父の遺体が安置されてる一階の和室へ叔父を案内しました。
布団の上に横たわる父の姿は、小さくなったようにも見えて、太田さんの胸にまた別の寂しさを呼びました。
隣にいた次郎さんは、無言でカメラのストラップを外して床に片膝をつき、静かに構えた。
「え?お、叔父さん。何を?」
〝カシャ〟
白布のかかった父の顔を撮った音が和室内に響きました。
「ちょっと!何撮ってんですか!?」
太田さんの声は乾いていました。目の前の叔父の非常識な行動に対して〝信じられない〟というより、〝見なかったことにしたい〟という気持ちが強かったそうです。
「こういうのはな、ちゃんと残しとくべきなんだよ。家族としてもな」
叔父はそう言いながら、今度は白布をめくり、父の顔へとレンズを向けました。
「やめてください。やめて!さすがにそれは!!」
太田さんは、思わず叔父の手首を掴みかけましたが、その瞬間、ファインダーを覗く叔父の目が、まるで別人のように冷たく澄んでいるのを見て、指先が凍りついたように動かなくなったそうです。
「この顔も、もう二度と見られないからな」
それは、兄弟に対して愛情や哀悼の言葉ではありませんでした。太田さんには、ただ、〝撮る者〟のとしての呟きに聞こえました。
その晩、次郎さんは太田さん宅に泊まりました。
深夜、トイレに起きた太田さんは、リビングで一人、カメラを分解して手入れする叔父の姿を見かけました。
蛍光灯の下、静かにクロスでレンズを磨くその手元からは、レンズ洗浄液の鼻をつくよう独特な臭いが立ち込めていました。
「何してるんですか?こんな夜中に」
「ああ。いや、こういうときこそ、ちゃんと準備が必要なんだ」
そう言った次郎さんの視線はレンズの奥。まるでその向こうに、何かを見つめているようでした。
翌日、葬儀社の車が遺体を引き取りに来たとき、次郎さんは同行を申し出ました。
「兄貴を見送りたいだけだ」と言うその顔には、昨晩と同じ〝撮る者〟の気配がありました。
遺体安置室に着くと、彼は手早くカメラを構え、止める間もなく、室内を撮影し始めました。
空気には独特の湿気があり、冷房のはずなのに生温い風が肌にまとわりつく。遠くで誰かが咳き込むような音が、壁越しに微かに聞こえたと太田さんは、語ってくれました。
「やっぱり、こういうところは、記録として残すべきだよなあ」
(誰にとっての、何の記録だ?)
嬉々として室内を撮影する叔父の言葉に、太田さんは背筋がじんわりと冷たくなるのを感じました。
葬儀屋の従業員も、次郎さんの異様な行動を見て、明らかに顔が引きつっていましたが、何も言えず黙っていたそうです。
⋯⋯通夜の夜、式場の照明が一瞬フッと落ちて騒ぎになりましたが、何とか予定通りに進行しました。
太田さんは視界の端で、また次郎さんがカメラを構えているのを見ました。
〝カシャ!〟〝カシャ!〟
棺の中の父の顔を、あろうことかズームレンズで撮影してたのです。
「兄貴、最期のお別れだ」
そう呟く彼の表情は、笑っても怒ってもいなかったそうです。
ただ、カメラ越しに〝何かを残したい〟という異様な執念と迫力がありました。
弔問客のざわめきの中で、太田さんは冷たい石を無理やり飲み込まされたような寒気を全身に感じていたそうです。
時が経ち、1年が過ぎた頃。次郎さんは突然亡くなりました。
S県の山奥、人気のない河原で倒れていたそうです。死因は心筋梗塞。
前夜、妻には「バードウォッチングに行く」と言い残していました。
それから10日後くらいの夕方、太田さんの自宅のインターホンが鳴りました。
玄関に立っていたのは、次郎さんの妻、つまり叔母でした。
小柄な体を黒いカーディガンで包み、目の下にはくっきりとしたクマ。どこか憔悴した様子が窺えました。
「突然ごめんなさいね。ちょっと、どうしても、見せたいものがあって」
叔母は薄手の紙袋を手にしていました。
リビングに通すと、彼女は静かに座り、紙袋から封筒を取り出しました。
その仕草には、どこか〝躊躇〟のような迷いがあったように見えたそうです。
その声は少し震えていました。
「智久くん。あの人の遺品を整理してたら、妙な写真が出てきたの⋯⋯」
叔母は、そう言って封筒から10枚くらいの写真を差し出しました。
彼女の話によれば、現場で見つかった次郎さんの遺体の側には、〝あのカメラ〟が転がっていたそうです。
フィルム式だったため、現像されて戻ってきた写真とのことでした。
太田さんが見た最初の数枚は、全て〝真っ黒〟でした。
まるで光すら拒絶するような均一な闇。
何も写っていないはずなのに、太田さんは黒い面を見ていると、写真の奥に何かが潜んでいるような感覚を覚えました。
「おかしいのよ。記録上は全部、シャッターも、露出も、問題なかったって。でも、1枚だけ写ってたのがあるの。最後の写真を見てみて」
叔母に言われた写真を見た瞬間、太田さんは思わず息を呑み、指先が震えました。
そこには〝倒れた次郎さんの姿〟が、はっきりと写っていたのです!!
うつ伏せの体。半開きの唇。苦痛と驚愕が混じったような表情。目は見開かれ、今まさに何かを叫ぼうとした瞬間のように見えたそうです。
「これ、あの人が自分で撮ったっていうには、おかしいのよ。警察やカメラ屋さんとかにも色々聞いてみたんだけど、カメラが転がってた位置じゃ、こんなアングルは撮れないそうなのよ」
叔母の声は震えていました。
太田さんもそれに頷きかけた瞬間、ふと写真の背景に目を留めました。
夕闇に沈んだ森の奥、その木々の隙間に〝何か〟が立っていたのです。
それは煙のようでもあり、影法師のようでもあり、あるいはカメラの露光ミスのようにも見える形容しがたい〝モノ〟
見る者によって違うものに見える得体の知れない〝ソイツ〟には、1つだけ明確なことがありました。
〝ソイツ〟は、レンズの方を見ていたのです。まるで、〝自分が撮られること〟を知っていたかのように。
「この写真、あの人が死んだ瞬間に撮られたものじゃないかって。でも、もしそうだとしたら、撮ったのは一体〝誰〟なのかしら?」
叔母の問いに、太田さんは答えることができませんでした。
そして、彼の頭の中では葬儀の時に聞いた叔父のカメラの忌まわしいシャッター音が、何度も何度も繰り返し聴こえてきたそうです。
次郎さんの一眼レフカメラは、いわゆる〝呪物〟と呼ばれる物だったのでしょうか?
彼は呪物によって死んだのでしょうか?
もしも、カメラが呪物だとしたら、そうなった理由は何でしょう?
次郎さんが手に入れる前から呪物だった?
それとも次郎さんが〝死者を冒涜するような写真〟を撮り続けた結果、呪物へ変貌してしまったのか?
今回の話は、これだけでは終わりません!
更なる怪奇現象が発生するのですが、その続きは次回にお話しします⋯⋯。