今回は、私が取材した太田智久さん(仮名30代男性)の体験談の続きとなります。
全ての発端は、彼の父親が亡くなった事でした。
父の実弟、つまり太田さんの叔父である次郎さん(仮名60代)は、兄の死に顔を愛用の一眼レフカメラで撮影するという異様とも言える行いをした約1年後に、山奥の河原で急死してしまいました。
そして、彼の遺体の側に落ちていたカメラには、奇妙な写真が……。
詳しい経緯については「第39談 呪物?と叔父(前編)」をご参照ください。
太田さんは、叔父の最期が写された写真の背後にいる得体の知れない‶ソイツ〟を見て、まるで心臓を氷の手で鷲掴みにされたような悪寒がしたそうです。
しかし、叔母は〝ソイツ〟に気づいていないようでした。怖がらせてはならないと、太田さんは口を噤んだといいます。
⋯⋯次郎さんが亡くなってから1ヶ月ほどが過ぎた頃です。
遺品の整理が一段落し、次郎さんの妻・志津子さん(仮名50代)がふと、押し入れの奥にしまったはずの〝一眼レフカメラ〟のことを思い出したそうです。
それは、夫が最期まで肌身離さず持っていたものでした。
持ち主である次郎さんが、河原で倒れて死んでいたのに対して、カメラだけは傷一つなく、レンズもどこか光沢を帯びていたそうです。
志津子さんは、そのカメラを桐の箱に納め、仏壇の下へと仕舞い込みました。
遺品とはいえ、もう誰も使うつもりはありませんでした。
だが、それから1週間程が経過した夜から、彼女の家では〝妙なこと〟が起き始めるのでした。
最初の異変は、音だったそうです。
ふいに、廊下の奥から「カシャリ……」と乾いた音が響いたのです。
シャッターのような音。それは、金属とバネのこすれ合うような冷たい響きだったといいます。
志津子さんは、ふと目を覚まし、時計の針が午前2時を差しているのを確認しました。
風もなく、外は静まり返っているのに〝音だけ〟が確かにそこにありました。
最初は気のせいだと自分に言い聞かせました。しかし翌晩も、その次の晩も、同じ時間に「カシャ……カシャリ……」と規則正しく音がするのです。
まるで、誰かが真夜中に〝何かを撮っている〟ような。
志津子さんは怖さを感じつつも、聞こえないふりをして布団を頭から被ってやり過ごしていたそうです。
そんな日々が続く中、朝食時に高校生の息子の宏樹さん(仮名)が、不意に問いかけてきました。
「お母さん。昨日の夜中に、僕の部屋に入ってきた?」
志津子さんは驚き、首を傾げながら答えます。
「入るわけないじゃない。何かあったの?」
「夜中に、ベッドの側に誰かが立ってる気配がして起きたんだ。目は閉じてたんだけど、すぐ近くで〝カシャッ〟てシャッターの音がして、瞼の裏が真っ白になった。フラッシュが光ったんだと思う。慌てて目を開けたけど、誰もいなかったんだ。お母さん、僕の写真撮った?」
「そんな事をするわけないでしょ!この家には私と宏樹しかいないじゃない。きっと、寝ぼけて夢を見てたのよ!くだらない話ししてないで早く朝ご飯食べなさい」
志津子さんは気味悪さを感じながらも、息子に心配をかけまいと気丈に振る舞っていたそうです。
更に2週間くらい経過した週末、親子で外出した帰り道、宏樹さんがポツリと呟きました。
「あのさ、お父さんのカメラは、もう捨てたら?あれ、夜になると音してる。昨日、勝手に〝カシャリ〟って⋯⋯」
志津子さんはゾッとして、宏樹さんに問い返しました。
「ど、どういう事なの?」
「僕、喉が渇いたから水飲みたくて仏壇の部屋の前を通ったら、〝カシャ〟ってシャッターみたいな音がした。それで部屋の中に入ったら仏壇の方から〝カシャ〟〝カシャ〟って2回も音が聞こえたんだよ!」
彼女の背中に冷たい汗がすっと伝ったそうです。
仏壇には、亡くなった次郎さんの遺影と、生前彼が撮った兄⋯⋯太田さんの父親の写真が並べられておりました。
翌日、志津子さんは宏樹さんが学校に行ってる間、思い切って仏壇下の桐箱を開けました。
中には、カメラと未現像のフィルムが数本。あるのはそれだけでした。
しかし、カメラを手に取った瞬間、志津子さんの鼻腔に、どこか鉄のような匂いがふっと立ち上ったそうです。
血のような、あるいは、焦げたフラッシュ球の残り香のような臭気だったといいます。
そしてレンズの奥、内部に何かが〝存在してる〟ような違和感を覚えたそうです。
まるで、黒い穴の向こう側から誰かが〝こちら〟を見ているような。
目を背けてカメラを置こうとした瞬間、触れていないのに、レンズから〝カチリ〟と空耳か、実際の物か判別も出来ない程、か細い音が聞こえた気がしたそうです。
(このカメラ、私を撮った?)
志津子さんは、カメラを箱に仕舞うと、逃げるように仏間を飛び出しました。
⋯⋯その晩から、志津子さんの夢に同じ風景が繰り返し現れるようになりました。
月もない真夜中の森。しんと冷えた空気。足元には、誰かが倒れている。葉の揺れる森の奥から、じっと、〝何か〟がこちらを覗いている。
最初は、ただ〝気配〟でした。
二度目には、少し距離が近くなり〝輪郭〟が見えました。
三度目には、更に近くなり〝それ〟が人のような、何か異様に手足の長い〝カタチ〟をしていると気づきました。
そして、ある夜。〝ソイツ〟は、目の前まで近づいてきていました。
顔は、闇に溶け込んで見えません。
しかし、その両目だけが真っ黒に、異様なまでに大きく膨れ上がっていたのです!
次の瞬間、パチン!!と何かが弾けたような音がして、志津子さんは目を覚ましました。
翌朝、彼女は太田さんに電話し、事の顛末を打ち明けました。
志津子さんいわく、太田さんには夫の最後の写真を見てもらったし、他に相談出来る相手がいなかったからとの事です。
太田さんは、最初は半信半疑でしたが、あの叔父の最後の写真。全てが真っ黒だったフィルムの事、ただ一枚だけ写っていた苦悶の叔父の顔の事を思い出した時、何かが合致するような感覚を覚えました。
「叔母さん。あのカメラには、この世にあってはいけない〝何か〟が棲み着いてしまったのかもしれません。もしかしたら、叔父さんが親父の死顔を撮影したあの日から」
太田さんはそう言って、志津子さんの家を訪れました。
そして、彼は試しに件のカメラで仏壇を一枚だけ撮ってみました。
現像したその写真には、確かに仏壇が写っていました。
しかし、次郎さんの遺影の前に、輪郭が滲んだ黒い人影のような〝モノ〟が写り込んでいたのです。
それは、顔全体が黒く塗りつぶされたようで、頭部だけが異様に大きく、脚は地面に触れていないように見えたといいます。
太田さんには叔父の写真にいた〝ソイツ〟に見えたそうです。
志津子さんは、仏壇写真の中の〝ソイツ〟を見て震える声で言いました。
「こ、これ、あの夢の中の〝森の影〟と同じ⋯⋯!」
志津子さんは、すぐにそのカメラを処分しようと考えたそうです。
しかし、太田さんは彼女を制止しました。
「もし本当に〝何か〟がこのカメラに宿っているのだとしたら、むやみに捨てるのは危険です。封じておくべきだと思います」
彼の言葉に、志津子さんも頷かざるを得ませんでした。
彼女自身も(実際、このカメラが夫の死後も傷一つなく残り、妙な音や夢、影を引き寄せている以上、何かが〝そこ〟にいる)と、思えてならなかったのです。
結局、カメラは厚い布で何重にも包まれ、志津子さんの家に代々伝わる漆塗りの古い箱。昔は位牌を納めていたというその木箱に収め、再び仏壇の下へと封じられました。
志津子さんは、毎晩仏壇に手を合わせながら、こう念じているのだそうです。
「どうか、どうか、これ以上誰も連れていかないでください」と。
それ以降、カメラには誰も触れていません。
〝ソイツ〟が、今も覗いているのかどうか、確かめようとする者もいません。
しかし、深夜2時頃になると、以前より頻度は減りましたが、それでも時折〝カシャ〟という音が仏間から聞こえるという⋯⋯。
これ以降、太田さんからは、その後の話は聞いてません。
けれど、私は思ってしまうのです。
あのレンズの奥に、まだ〝ソイツ〟が棲み着いているのだとしたら?
あのカメラが、本当に呪物だとしたら?
そして、今も誰かを見ているのだとしたら?
次に〝写される〟のは、いったい誰なのか?と。